第43話 司命
「相変わらず厳しい事を言うものだな、奎迦」
そう言い、ふふっと笑う閻王に、住職は答える。
「戒めを置かぬが故、目前に空いた穴にも気づかず、歩を進めてしまうのですから。この程度の事、厳しくもないでしょう」
「ははは。地獄と浄界の境界も乗り越え、我の元に来た時の事か。恐れるものなど何もないと、我の前でも動じる事もなかったな」
閻王の話に笑みを交えていた住職だったが。
「寧ろ、奎迦、あの時はお前の方が」
「……閻王」
低く響いた住職の声に遮られ、閻王の言葉が止まる。
あれ……? なんかまた空気感が変わった……。
羽矢さんはクスクスと笑っている。
僕たちの後ろにいる神祇伯が、当主様に小声で言う。
「流……間に入った方がいいのではないのか。なんだか様子が妙だぞ」
「断る」
え……?
即座に答えた当主様に、僕は勿論、蓮と回向も意外だと驚き、振り向いた。
「父……上……?」
当主様の様子に、蓮が唖然とする。
当主様は扉の方へと体を向け、僕たちに背を向ける姿勢だ。
当主様と神祇伯の近くにいる高宮が、僕たちの方を見ると、困った表情で小首を傾げた。
「おい、流」
「瑜伽……今ここで私の名を口にするな」
「何を訳の分からない事を言っている。名を口にするなと言うなら、それこそ私の方だろう」
後ろを向いたままの当主様の肩に、神祇伯が手を伸ばそうとした瞬間、扉がガタガタと音を立て始めた。
当主様は、瞬時に扉を両手で押さえる。
「なんだ?」
神祇伯は眉を顰め、僕たちは辺りを見回す。扉がガタガタと揺れる音が、震動となって足に伝わってきた。
何かの侵入を抑えているのだろうか……? だけど……こんな時に何故……?
クスクスと笑いながら、羽矢さんが僕たちのところに来る。
「おい……羽矢、どうなっているんだ?」
回向の問いに。
「うん?」
羽矢さんは、何故か笑みを浮かべている。
そして羽矢さんは、当主様が押さえる扉へと向かった。
「総代、開けていいですよ」
扉を押さえながら、当主様は言う。
「羽矢……私はいないと言ってくれ」
「承知」
……どういう事……?
当主様と代わって羽矢さんが扉へと手を掛けた。
羽矢さんが扉を開けると、ビュッと吹き抜ける強い風と共に、何かが部屋の中へと飛び込んで来る。
何なのかは捉えられなかったが、それはそのまま僕たちを抜けて、住職の元へと向かって行った。
風が治まり、閻王の台の上に、紙が次第に積まれていく。
「……奎迦」
溜息混じりの閻王の声が、台に積まれた大量の紙の向こう側から聞こえる。
「生死に関しての報告が滞っていたようですよ。冥府の門を広く開かれたならば、お忙しくなる事でしょう。私も務めが残っておりますので、下界に戻ると致します」
住職はそう言うと、閻王の姿のある方へ一礼すると踵を返し、歩を進める。だが、数歩、足を進めたところで立ち止まり、閻王に言った。
「私の方も直ぐに送りますので、直ちにお目を通して下さいね……? では……」
にっこりと笑みを見せると、扉へと向かって行く。
開いたままの扉に寄り掛かる当主様は、大きな溜息をついた。
「ああ、流……泰山王の不在によったが為、『司命』が務めがいまだに終わらぬと嘆いていたぞ、たった今」
「奎迦……お前な……私まで巻き込む気か……閻王同様、私に務めが降り掛かる」
当主様は、再度、大きな溜息を漏らした。
住職は、ふふっと笑うと当主様に答える。
「心配無用。もう帰したからな」
「どういう事だよ? なあ、羽矢」
回向が羽矢さんに訊く。
「ジジイの使い魔は、生命を司る『司命神』だからな。閻王の眷属であると同時に、泰山王の眷属でもある」
「いや……そんな事よりも……」
回向の目線が閻王の方へと向くと、羽矢さんは言った。
「無駄話だったんだろ、閻王の話が」
「あれ……もしかして住職の地雷……?」
「そういう事」
羽矢さんはそう答えて、ニヤッと笑う。
「一度に送るとは……奎迦め……余程あの時の事を……」
ガサガサと紙を掻き分け、溜息をつく閻王。困ったように紙を捲りながら、溜息を繰り返していた。
「怒らせてはならない者を怒らせるとこうなるのか……気の毒だな」
回向は、閻王を見つめながらそう言った。
羽矢さんは、ははっと笑うと答える。
「だから言っているだろ? クソジジイだって」




