第39話 発遣
救いを捨てた者を救う事。
救いを捨てた者を救った事。
その意味を見出せたかと、羽矢さんは明鏡に訊いた。
それは、全てを救うという、羽矢さんの思いからでもあるだろう。
『唯除五逆 誹謗正法』
法を誹謗した者、人を殺すという重い罪を犯した者は、除かなければならないと羽矢さんは説くが、これは抑止だ。
この言葉だけを聞けば、救済の差も、機根も疑っているようにも聞こえるが、救わないという言葉にもならない。そして勿論、差別を生むものでもない。
全てを救うという羽矢さんの思いは、変わりようのない信念であり、浄界へと導く為にも、罪を犯す事を止める『抑止門』を、救済と同時に開いている。
ああ……そうだ。然暁の言葉にも、それは表れていた。
救いを求め、手を伸ばす者の手を引き導く、引摂。
然暁が言ったあの言葉は、明鏡に伝えた……最後の教えだったのかもしれない。
『弥勒に脇侍はいない……そして、光もない。引摂もなければ、救済の差異もある。なれば、その五逆の罪の救済をどう説くか』
『その願いは、救済の差異があろうとも、上下の処を行き来出来るという、往還の両相を能うにあり。そしてそれは、末法に至っての衆生の救いとなる』
生きとし生けるもの全てを救うという羽矢さんや回向と違い、救済の差異があるというのは、そこに輪廻があるからだ。
浄界という、行ったまま還る事のない往生は、成仏という最終的な目的への到達であり、輪廻はない。
だけど明鏡は、輪廻の肯定によって、導きを明確に示す事が出来る持経者だ。
明鏡が静かに口を開く。
「……俺は」
言葉を止めると、手渡された鬼籍を閉じ、羽矢さんへと返した。
羽矢さんの手に鬼籍が戻されると、明鏡は羽矢さんの目を真っ直ぐに見て言葉を続けた。
「救いを求めるも、求めないも同じ事。教化の為に俺は法を受け継いだ」
はっきりと、強さを持った声だった。そこに明鏡の信念が見える。
羽矢さんを真っ直ぐに見るその目も、強く思いを伝えていた。
「俺が意味を見出す訳じゃない。俺に意味がなければ為せはしないというならば、それこそ持経者であるべきではないだろう?」
そう答えた明鏡の表情に、自信が溢れる。
「ああ……そうだな」
羽矢さんは頷くと、ふっと笑みを返した。求めた答えが返されるといった、安心したような表情だった。
明鏡は、更にこう答えた。
「輪廻を肯定しようとも、救いを求める事の意味を見出すのは、救いを捨てた者の方だろ。その意味を見出させ、浄界へと導くその為に、俺は発遣されたんだから」
教化の為に遣わされた……か。
自信に満ちた表情で返された明鏡の言葉に、羽矢さんの問いの意味が大きく広がった。
蓮がボソリと呟く。
「……羽矢の奴……住職に鍛えられているだけあるな」
そう言うと蓮は、ははっと小さく笑った。そして、小声で僕に言う。
「問答とは、表面的な言葉だけで交わすものじゃないだろう? その問いにも答えにも、自身を先に置きはしない。自分が、ではなく、誰が、だ。羽矢の問いに弥勒がもし、自身を先に立てたなら、いくら羽矢が口添えしたとしても……」
蓮は、閻王の表情をそっと窺う。
僕も閻王へと目線を動かした。
羽矢さんをじっと見る閻王は、満足そうな顔を見せていた。
ああ……そうか。
だから羽矢さんは、あんな言い方をしたんだ。
『閻王の面前に於いて……『因』より先に『果』として知り得たものを置き、答える事を望もうか』
「その審理は変わらなかっただろうな」




