第35話 把捉
蓮が回向と交わした約束……。
仲が悪そうに見えても、互いが互いを尊重している。
地蔵菩薩が羽矢さんの寺院に移されて行ったあの日。
空になった堂の前で蓮は言った。
『仏も神だと言われたのは、神の姿は仏の化身だと言われていたからだ。そうだとしたら、どちらかが消えても、どちらかは存在する事が出来る。どちらかが存在していれば、どちらも存在しているのと同じ……そう思わないか、依』
今思えばその言葉は……回向との事を思い出しながら言っていたのだろう。
『あいつが……水景 回向か』
蓮は回向を知っていたというのは、あの時のその言葉で明らかな事だった。
霊山の頂上、無数の魂と戯れるようにも、その地に腰を下ろしていた回向。あの時が……再会だったんだ。
全ての存在は実体を有しない空であり、全ての事象は因縁によって生じる仮である。空と仮を前提とし、すべての存在や事象は真実の相を示しているとする中は、この世の有り様を浮かび上がらせる。
羽矢さんは言った。
「蓮が、依……お前を見つけたのは偶然なんかじゃないんだ」
その言葉に僕は、言葉の続きを聞こうと、羽矢さんを振り向いた。
羽矢さんは、蓮と回向が口論になっていても、それを微笑ましく見つめていた。
そんな様子でも、安心を得ている事が不思議ではあったが、それが蓮と回向の距離感がない事を気づかせていた。
それは高宮にしても、明鏡にしても同じであったのだろう。止める事もせず、笑みを見せ合い、二人を見ていた。
僕は、二人を見つめながらも、話を続ける羽矢さんの言葉に耳を傾ける。
「登拝道があったとはいえ、子供の足では頂上まで行き着くには過酷だ。依……お前だってあの霊山に蓮と二人で登った時、どうだったんだ?」
「あ……」
思わず漏らした声に、羽矢さんはちらりと僕を見ると、ふっと笑みを見せ、言葉を続ける。
「長い年月を経て、禁足地となっていた霊山を登るのは、大人であっても苦行も同然だ。その厳しさは、登拝道があっても子供の足で登るのと同じものだろう」
「……はい」
確かに僕は、一歩を踏み出すのも、やっとの思いで登っていた。
「登拝道とはいえ、楽に登れるようになっている訳じゃない。上へと登る訳だから、高低差の度合いは大きい。現に、枝でも掴まなければ登れはしない段差が、至る所にあっただろう?」
「ええ。当時に道として整えられていたならば、その跡は残っていたはずです。ですが、元々、整えられてはいなかったと……登拝する人の足が道を作っていただけで、その道も今は木々に覆われてしまったのですから」
「探したんだよ」
「え……?」
「蓮は……それでもあちこち探し回って、お前を見つけたんだ。必ず見つけると蓮が決めたのは、回向の為でもあり、回向を信じたからなんだよ」
蓮と回向の口論が続く中、羽矢さんは二人を見つめながらこう言った。
「実体を有しない空と、因縁によって生じる仮は平等だ。だから、お前を見つける事が出来た事は……」
そう言いながら羽矢さんは、蓮と回向に近づいていく。そして、二人の肩にポンと手を置いた。
「「なんだよ? 羽矢」」
蓮と回向は、同時に羽矢さんを振り向き、同時にそう言った。
羽矢さんは、ははっと笑うと、二人に言う。その言葉は、僕に話していた事の続きでもあったのだろうが……。
得意げにニヤリと笑みを浮かべる羽矢さんに、蓮と回向が不快に顔を歪めた。
「俺という存在が溶けあってこそ、真実を示す事が出来るという訳だ。だって俺、『無量』だから」
うーん……羽矢さんらしい。
蓮と回向が顔を見合わせ、呆れたようにも大きく溜息をつく。
「ここに三諦を絡めるなら、把捉してからものを言え」
回向がそう言うと、蓮が頷く。
「同感だ」
だけど……。
思わず笑みが漏れた。
なんだかんだ言っても、互いの立場を保ちながら溶け合い、一体となっている。
正しく円融……そう思ったからだ。




