第34話 不生
『だからこそ神は、法難に於いて、法を守る善神となるのでしょう。そしてそれは救いの神となる。無論……平等に』
神祇伯が言った言葉は、明鏡の思いと重なった事だろう。
少しの間、皆、思いに耽るような沈黙があった。
「……空、仮、中の三諦……」
神祇伯の声が静かにも、時を動かすように流れた。
その言葉に、黒僧との問答を思い出させた。
『空、仮、中の三諦の理を以て実相とする。つまりは存在を示す要素的存在が、互いの障りなく溶け合うという円融。それを知らずして、覚りは得られない』
『諸法……。では……私は『実相』の真妄を明らかにし、頌を示し、顕色を添え、可能力を示す諸法をここに顕しましょう』
神祇伯の言葉に答えるようにも、ふわりと柔らかな風が回るように吹き、神祇伯の深緋の衣をそっと揺らした。
神祇伯は住職を振り向き、ふっと笑みを見せる。神祇伯の言葉の続きを、住職が答え始めた。
「方便は様々なれど、元より一門。浄界への道筋に説くべきものは円融となる。『空は阿、仮は弥、中は陀。一切の法門、悉く阿弥陀の三字に摂す』」
住職はそう答えると、手を合わせ、そっと目を閉じた。住職に合わせて、羽矢さんも同じ姿勢をとった。
住職と羽矢さんの声が重なる。
「「南無阿弥陀仏」」
回向が高く手を上げた。印契を結ぶように動く指先。捲れた袖から見える腕に、また無数の種子字が現れた。
天に浮かぶ番神に纏うように、種子字が舞う。
仏は神と名を変える。その神は『権現』と名を称す。若しくは『明神』、そして『菩薩』
番神にも本来の姿であるという、仏の姿がある。
回向の腕から番神へと向かっていく種子字は、それぞれの番神の本地仏を示していた。
「……回向……」
その様を見て明鏡は、安堵を示すように息をついた。
「そもそも俺は、五十字門を有している」
悉曇五十字門……それぞれの字に意味をもたせ、そしてそれは仏を表す種子字ともなる。言わば梵字だ。
霊山で黒僧と対峙した時にも、数多くの種子字が回向の腕に現れていた。確かに秘密を有する回向なら、持っているのは当然と言えば当然なのだろうが……。
ニヤリと口元を歪め、堂々と言った回向に、蓮の目がピクリと動く。
あ……なんだかまずい雰囲気では……。
「回向……」
蓮が回向へと歩を進め出す。
止めようかと蓮へと手を伸ばしたが……。
「依」
羽矢さんが僕の手を掴んで、そっと下ろした。
「羽矢さん……?」
羽矢さんは、にっこりと笑みを見せる。
ああ……またこの笑みは……。
「何か文句でもあるのか? 紫条」
ふっと鼻で笑いながら、蓮を見る回向。
「お前、いい度胸してんなあ……回向?」
「あ?」
「あ? 、じゃねえ。全てお前の力があってこそ、顕現出来るものだと主張するつもりか?」
蓮は、詰め寄るように回向に近づく。
「羽矢さん……蓮……怒ってますよね……」
「だろうな」
ははっと笑う羽矢さんは、蓮と回向のやりとりを楽しむかのように見ている。
「それなら止めた方がいいのでは……」
「無理だよ。蓮の大事なもんが掛かっているからな。そもそもそれは、回向との約束だ」
「え……約束……? それはどういう……」
羽矢さんは、ちらりと僕を見て、ふっと笑みを見せる。そして目線を蓮と回向に戻すと、羽矢さんは言った。
「会っているんだ、あの二人。まだガキだった頃……蓮が二度目に行った廃仏毀釈後のあの霊山で、依……お前を見つける前に……」
羽矢さんの言葉が情景を浮かばせ、その時の二人の会話が聞こえるようだった。
「降り立たせようとしていたんだよ、依代に。仏に付会させる『神』をな。回向が持つ五十字門は、垂迹神となっても仏との結びつきを失わない為だ」
『お前……何をやっているんだ? もうここは……』
『仏はダメでも神ならいいんだろ。仏の像は皆、乱雑に扱われ、焼かれて灰にもされた。だから、仏の迹を垂れる神を繋ぎ合わせている』
『神を繋ぎ合わせる……?』
『ああ。だけど、ここにあった堂の仏の像が見つからない。欠片も灰さえも……神は仏の化身……それが叶うなら、姿を変えようとも消えはしない。それでも……下界に於いて神の姿は見えはしないけど……お前がもし……』
『その姿を見つける事が出来たなら、大切にしてくれないか。きっと……元の姿を廃されて、還る事も留まる事も出来ずに居場所を失って……泣いているはずだから』




