第31話 不還
存在が名を表すのか、名が存在を現すのか……。
当主様の言葉が、僕の全身を包むようだった。
『……おいで』
あの時、あの場所にいた、たった一つの存在。
当主様の元へと降り立つ柊。その様を皆が微笑ましく見つめる中、僕の目線は蓮へと動く。
僕の名は……僕が名乗った訳ではなかった。そもそも、あの処にいた僕に、名はあったのだろうか。
『依』
だけど自然にそれは受け入れられていた。それが当たり前であるかのように、なんの違和感もなく、ごく普通に……。
蓮を見つめる僕。視線に気づいたのか、蓮が振り向いた。
ハッとする僕に、蓮が穏やかな笑みを見せる。
互いに結び合った呪縛を解く術など、ありはしない。
僕が、蓮が、この名を捨てない限り、いや……与えられた名に結びつく存在を、正しく消し去る事など出来はしないんだ。
そっと差し出された蓮の手。
ああ……そうだ、僕は……。
僕の手が蓮の手を掴むと同時に、蓮は僕にこう言った。
「『回向堂』」
少し驚いた顔で蓮を見る僕に、蓮は笑みを見せる。
「覚えていただろう? 登拝道に行く前には参拝道があり、そこには神木が立ち聳えていた。神木を過ぎて門を抜けると神社があった。その神社には、仏の像が置かれていたんだ。神社と名を称した社の中に、阿弥陀如来の像が置かれていた。それが回向堂……そう呼ばれていたんだ」
「……回向堂……」
僕の目が思わず回向へと向いた。回向は、明鏡を交え、高宮と何やら話をしていた。
『俺の名は親父が付けたんだ』
ふいに浮かんだ回向の言葉に、以前、高宮が僕を捕まえようとしていた理由が結び付いた気がした。
回向を見続ける僕。視線を感じたのだろう、回向の目線がゆっくりと僕へと向いた。
僕と目線が合った回向は、ふっと笑みを見せる。そして、その目線が蓮へと向くと顎を上げ、得意げにもニヤリと笑って、斜めに蓮を見る仕草を見せた。
蓮は、ははっと笑うと回向に言う。
「渡さねえからな?」
「ふん……別に取り合う気はねえよ」
「ふうん……?」
「なんだよ?」
蓮の目線が高宮と明鏡を見た後、回向へと目線を戻した。
「いや……」
蓮の揶揄うような目線に、回向は不快にも顔を歪める。蓮は、構わず回向にこう言った。
「気が多い事で」
「……っ……! ばっ……紫条っ……お前っ……! 馬鹿な事、言うんじゃねえっ」
慌てる回向に、高宮と明鏡が笑う。
そんな中、一人、不機嫌そうな顔をする……。
「なんだよ? 羽矢」
無言のまま、蓮の肩に肘を乗せる羽矢さんを蓮が横目で見る。
「別になんでもねえけど?」
「なんでもねえって顔してねえけど?」
「ははー。それは蓮」
笑いながら蓮の肩に乗せた肘に、羽矢さんは体重をグッと掛ける。
「痛えだろっ。馬鹿羽矢」
蓮が羽矢さんの肘を振り切ったと同時に、僕と手が離れた。
直ぐ様、羽矢さんが僕の手を掴む。
「は……羽矢さん……?」
僕の手を両手で掴む羽矢さんは、僕をじっと見る。
「じゃあ、後は蓮たちに任せて帰ろうか、依」
「え……っと……羽矢さん……あの……僕は……いえ……その……」
「うん? 蓮の事なら気にしなくて大丈夫だから」
「いえ……だからその……後ろ……」
「後ろ?」
「はい……後ろに……」
「羽矢……」
「蓮が……」
蓮が羽矢さんの襟首を掴む。
ギクッと羽矢さんの顔が少し強張った。
蓮は、羽矢さんを強引に僕から引き離す。
「流石は『死神』……その名の通り、この地獄に永遠に棲みつきたいようだな? 生憎、俺は地獄を見せる事は出来るが、地獄から救う術は持ち合わせていない。丁度いいだろ、 なあ、羽矢?」
「死神をも裁くとは、閻王以上だな」
蓮と羽矢さんの様を見て、回向が笑いながらそう言った。




