第10話 補処
黒僧は、明鏡の手をそっと解いたが、安心しろというように、明鏡の腕を軽く二度、叩くように触れた。
明鏡は、黒僧の仕草に静かに頷く。
黒僧は、閻王のいる壇を真っ直ぐに見つめ、懺悔するようにも、ゆっくりとした口調で話を始めた。
「私は……出家を望んだ事で義絶されたが……そもそも、出家であるのだから、その身一つで家を出るのは当然の事。義絶された事など気にもならず、反して義絶された事が出家の意味を深めたように思えた。仏の道が次第に広がって行く事が、国に、というよりも、民間への意識の方が高まりを見せたのは、葬送という死者への弔いに、他世という概念が及んだ事に意味を持つのだろう……」
黒僧は、一息つくと言葉を続ける。続けられた言葉は、住職に伝えているようだった。
「何に惑う事もなく、得てして満ちる、不足のない浄界という安穏なる処は、正に衆生の願望そのものであろう。器世界に於いての生には何の保護もない。生尽きる時の様に、悲歎は尽きず、せめてもの思いを他世に託す……それは下界での生の有り様に於いて、悔いが生じるからだろう。だが……」
流れ続ける黒僧の言葉に、神祇伯と住職は目をそっと閉じた。その声が、その言葉が、胸に沁み入る様に……。
「悔いとは自身の生にしがみ付く執着に限らず、果たせなかった思いに有り、それは勝敗に至るものと知れば、その悔いも怨念へと転じる。浄界への導きなどとは如何に。自らの地獄を以てして解脱を知れば、あるべき界は覚者を重きに置く。これを下界に准えば……言わずとも分かる事であろう」
「王の意を知る者……下界に准えば、氏族……ですか」
そう答えたのは当主様だった。
黒僧の少し後ろに立つ当主様は、そう言った後、神祇伯を振り向き、合図を送るように頷きを見せた。
神祇伯は、頷きを返すと踵を返し、扉へと向かう。その足音を耳にしながら当主様は、言葉を続ける。
「王の意……それが『聖意』とあらば、現聖王の意を聞かずして、その聖意は問えぬもの……」
現聖王って……それはやはり……。
ギイッと扉が開く音がして、僕たちは後ろを振り向く。
神祇伯が大きく扉を開き、中へと歩を進めて来たのは、高宮 右京だった。
「……右京……」
回向の声に高宮の目線が動き、笑みを返すと、神祇伯と共に歩を進め、当主様の元へと向かった。
「回向」
僕たちの脇を過ぎ去る時に神祇伯が共に来いと回向を呼び、回向は高宮を間に歩を進める。
……聖王を守護する臣下が並んだ。
ああ……だけど……これは……。
高宮を中心に左右に回向と神祇伯が並ぶと、黒僧と明鏡はその左側に、当主様は右側へと間を開ける様に立ち、高宮は閻王の坐す壇の正面に立った。
高宮へと皆の目線が向く中、高宮は深く辞儀をした。
緊張感を生む空気感に、蓮が呟く。
「ふ……これは凄い壇になったな……」
「ええ……確かに……」
そう答えて、僕は頷いた。
高宮を中心に僕たちは立っている。
救済願望を高める……本地垂迹の意図……。
迹から始まる物語。
それは、その存在があったという証拠を意味する。
そして……。
高宮がゆっくりと口を開き、穏やかな口調で告げる。
「一処より一処を経ずとも、補処に至る事は誓われております。元より処は決まっているのです。後戻りする事なく、慈しみを基としたならば尚の事。弥勒……その名にはもう一つ……」
明鏡を振り向いて続けられた言葉に、閻王を始め、両隣に並ぶ羽矢さんと住職が笑みを見せた。
「『慈氏』という名を持っていますよね……?」




