魔王軍準幹部
将校は角刈りの金髪をクシでとかしながら、ニマニマ笑っている。
右目は眼帯で覆われており、さらに左頬の切り傷がますます不気味な印象を持たせてくれた。
歳は30代か40代くらいだろう。
不自然なくらいに若い。
とはいえ、ネオナチの構成員とも思えなかった。
あいつは本物の目をしている。
覇気があるのだ。
むしろ、周りの親衛隊の装備を着た兵士の方が半端なネオナチの目をしている。
コスプレ野郎と本職の違い、と言えばわかるだろうか。
「須郷が来た時から薄々察しはついていたが……まさか、あの女の次に出会った転生者がナチスの軍人サマだなんてな。というか、まだ生きてやがんのか。戦争が終わったのは80年前だぞ……!」
俺は忌々しげに呟いた。
ドイツ軍人はそんな俺を嘲るように笑いながら、金髪をとかし続けていた。
「ぴゅう」
「大丈夫だからね……!」
トゥピラが、ピティを抱きしめてしゃがみ込む。
ピティを守るという理由と、自身の恐怖心を抑えるためであろう。
「どうやってこの世界に来たのかは問わない。だが、大悪魔チョビ髭の使い魔が、へんぴなボロ屋に何の用だ?」
「初めに言っておこう。吾輩は仔牛を殺戮しに来たわけでも、人間と殺し合いを楽しみに来たわけでもない。まあ、穏便に事が進めばの話であるが」
「穏便に事を済まそうとしてる奴が、銃を持った部下と共に手荒な突入をかますとは思えないんだがね」
ドイツ軍人は手を下ろし、笑みを引っ込める。
彼を守る兵士達も、彼に同調するように目をギラギラさせ、ショットガンを持つ手にさらに力を入れた。
「諸君らの行動次第だぞ、日本人。まさか日本人がいるとは思ってもいなかったが、まあいい。吾輩は誠実だ。諸君の意思に応える。諸君が戦いを望むのであれば吾輩らは即座に発砲しよう。平穏な交渉を望むのであればこの場にて、平和的かつ建設的な議論を交わすことを誓おうではないか」
「何が起きてんだよマジでぇ……」
歯軋りするゾーリンゲンを無言で制し、俺はドイツ軍人の方に向き直る。
奴の顔には笑みが戻っていた。
「吾輩のことはスコルツェニー中佐とでも呼ぶといい。第三帝国の遺志を継ぐ軍団、黒鯨鉄十字団のエッカルト・ヨハン・スコルツェニー」
「……グーテンターク、中佐殿。あんたと会えて光栄だぜ。座席は便座で十分か?」
「素晴らしいゲルマン民族を糞と同列に語る気か? 身の程を知れィ!」
威嚇のつもりか、スコルツェニーは床を激しく踏み鳴らした。
だん、だん、だん。
床の木材が軋み、悲鳴を上げる。
「この前床板直したばかりなのに……」
トゥピラが泣き言を言うが、それどころではない。
目の前にいるのは本物のナチスだ。
残虐非道の象徴とも呼べる親衛隊だ。
ペーペーのホワイトパンピーがハーケンクロイツやアインザッツグルッペンに間違った憧れを抱き、突撃隊のコスプレをしながら街を練り歩く百鬼夜行とはわけが違いすぎる。
油断してはいけない。
「吾輩がここをお訪ねしたのは他でもない、お前と同じアジア人の女を追っているからだ」
「アジア人の女?」
「今朝、ここに来ただろう。彼女の動向は我々に監視されていたのだ。まあ、彼女を尾行していた吾輩の部下との通信は、このボロ屋のことを報告してすぐ絶えてしまったがね」
スコルツェニーは軍帽を被り直し、ため息をつく。
侮蔑ではない。
悲しんでいる。
「……何が目的だ?」
「吾輩の質問に答えるのが先だ。貴様ら、何を聞いた? そして、あの女はどこに行った? 言っておくが隠し事に得はないぞ」
トゥピラ達が一斉にこっちを見る。
当然だ。
須郷と関わったのは俺1人なのだから。
「さア、答えてくれ。吾輩も暇じゃあないんだよ。さっさとアンサーを得て撤退したいのだ」
「教えてほしかったら、こっちの問いにも答えてくれると助かる。その方が話しやすい」
「ほう?」
「何のためにあの女を追いかけるのか。詳しく話せっつっても話してくれないだろうし、端的な情報でもいい。教えろ」
「理由もなくネズ公を追う猫はいないと?」
「その通り」
「ンー……」
スコルツェニーは大袈裟に考える身振りをしてみせ、俺の苛立ちを誘った。
「男の子は、怪しい組織の秘密の計画は嫌いかね?」
「最高だな。どんな計画だ?」
「オイオイぃ、そこまでは言えんよォォ」
兵士に目配せし、スコルツェニーはこちらに歩いてきた。
4人の兵士も、銃を下ろさずにテーブルに近づいてくる。
「それ以上近づくなよ」
テーブルに身を隠しながら、俺は言った。
「証言者が自殺するぞ」
「何?」
「こっちにだって銃がある。ちゃちなピストルなんかじゃあねえ、小銃だよ。こんなもんでこめかみを撃ったら、脳にトンネルが掘られるだけじゃ済まんだろうな」
「Scheiße! まあ待て、早まるな。わかったよ、吾輩は理解ある軍人だ」
スコルツェニーは部下に合図して、歩みを止めた。
「どうも」
「ぬゥ……。とにかく、吾輩の要求に応じるんだ、日本人。あの女に何を聞かされたか、そしてどこに向かったのか。全て吾輩に話せ。今しかないぞォ? 吾輩が腹を割って話してやろうと言うのはァァァ……?」
「そういやあんた、流暢な日本語喋るな。どっかで習ったか?」
「むゥ? いや、貴様はドイツ語を喋っているではないか。上手い喋りだと感心していたのだが……」
「??」
「???」
「いや、君らヒト種語喋ってるでごわすよ……?」
ゴアンスの言葉に、冒険者達と兵士達が同時に頷いた。
俺とスコルツェニーはますます首を傾げるばかりであった。
「まあ、それはそれとしてだ。吾輩の要求をさっさと……」
「おやまあ、先客がいらっしゃいましたかあ」
唐突に、スコルツェニーの声が遮られた。
驚愕の表情と共に、ナチスの将校は振り返る。
入り口に、新たな来訪者が立っていた。
彼女は修道着に身を包んで、破壊されたドアの枠にもたれかかっている。
よく手入れされた白い髪は腰の辺りまで伸びている。
緑色の瞳が、笑顔を作りながらこっちを見ていた。
ナチスの次は、漆黒のシスターである。
「こんばんはあ。予定が狂っちゃってすこぶる機嫌悪いですけど、お邪魔しますねえ……」
ニコニコしながら、シスターは俺達に向けて言い放つ。
俺は何故か、この言葉が殺害予告に聞こえてならなかった。
「な、なんだァ、貴様! どこからともなく急に現れおって!」
スコルツェニーが凄んでみせ、部下も銃を向ける。
普通の人間なら恐怖し、降伏するのだろうが、当の女は全く意に介さない様子でこっちを見据えていた。
それが、俺の警戒心をさらに高める要因となる。
しかし、いつの間に現れたのだろうか。
スコルツェニーとのやり取りに夢中になっていたとはいえ、真正面の玄関に誰か来れば気づけたはずだ。
「な、なんだ貴様は! ここは吾輩の仕事場であるぞ!」
クシをビシッと相手に突きつけ、威嚇するスコルツェニー。
しかし、女は蚊が飛んでいるくらいにか思っていないのか、完全に無視している。
「んゥー、ホントに予想外ですねえ。流れる血がこんなにも増えてしまうなんて……。嘆かわしいことです」
不気味な笑みを浮かべたまま、女は言った。
物腰は柔らかく、甘い声色をしていた。
「我らが王も、このようなことは望まぬでしょうにい……。だって、平和主義者ですものお」
「何を言っておるのだ、貴様。流れる血が増えるだと? ボケ老人でもあるまいし、おかしなことを言うのはよしたまえ」
スコルツェニーは単に頭のおかしい女としか見ていないようだ。
俺も最初はそう思ったが、トゥピラやマーティンの態度を見て考えを改める。
彼女らは、あからさまに怯えていた。
「ちょっと、ちょっとちょっと……! あの顔ってもしかして……! 見間違えてないんだとしたら、私達、本気で死ぬんじゃ……」
「うん、そうかもね……いや、絶対にそうだ。あれは間違いなく手配書で見た顔だよ」
「手配書? 賞金首か何かか?」
俺がマーティンに訊くと、青い顔での頷きが返ってきた。
「その通りだよ。懸賞金がかけられてる。なんてったって、魔王の部下だからね。僕達で相手になるような奴じゃあない。それこそ、冒険者ギルドどころか、それこそ正規軍を出動させないとヤバいくらいだよ……」
「魔王か……。これまた古のロールプレイングゲームみたいな……」
俺の言葉は無視して、マーティンは続ける。
「確か、名前はストエダ。異形種同盟軍部準幹部。政府高官の暗殺や無抵抗の市民を虐殺した容疑で追われてる危険人物」
「あら、坊や。よく知ってますわねえ。お姉さん、嬉しい……」
漆黒のシスター改めストエダは、ポッと顔を赤らめて頬に手を当てた。
美人がこんな仕草をすれば普通は見惚れたりするものだが、マーティンの話が本当なら、あの女はとんでもない犯罪者だ。
そんなことできない。
やっていられるほど状況は安全ではないのだ。
「チクショー、カワイイ! こんな時じゃなかったらお付き合い申し込んでたぜ!」
……残念、ゾーリンゲンだけは違うみたいだ。
「まあまあまあ……。ありがたいですけれどお、平時だろうと有事だろうと、あなたとお付き合いするつもりはありませんのでえ」
「あひゅん……」
「面白い子達ですけどお、ここでお亡くなりになっていただくのに代わりはありません。運命ってば残酷う」
マーティンが「ヒッ……」と小さく悲鳴をあげる。
小屋の中の空気はピリピリと張り詰め、俺の両目もストエダを捉えて離さなかった。
「……何故俺達を殺す?」
「そうよ! 目的はなんなの!」
「ぴぃ! ぴゅう!」
「そうだ、もふもふ! もっと言ってやれ!」
「うーん、そればっかりは言えませんねえ。ワケアリですよ、ワケアリ。例え端的な情報でも、お話しできません」
スコルツェニーが低く唸る。
かと思えば、部下に再び目配せして、自身も腰のホルスターから拳銃を取り出した。
モーゼルC96だ。
計5つの銃口が、ストエダを狙う。
「知っておるか? 獲物を横取りされた肉食獣は、激しく怒り狂い見境がなくなるのだ。目的が同じなのだとしたら、命乞いは受け付けんぞ」
スコルツェニーの言葉が終わった直後、部下の親衛隊員が発砲した。
ショットガンの重い銃声が一帯に響き渡る。
冒険者達が耳を塞ぐ中、マーティンが興奮気味に叫んだ。
「すごい! 本物の銃声だ!」
銃口から細かい銃弾が飛び散り、強大な破壊力を伴ってストエダの頬を叩いた。
通常なら、散弾は頭の肉を削り取って骨を粉砕し、死に至らしめる。
しかし、ストエダはそうはならなかった。
流血こそしたが、頬には小さな穴が空いただけで、ストエダの頭は原型を保っていた。
「な、何ィィィィ⁉︎」
スコルツェニーの驚愕の叫び。
俺も思わず絶句し、テーブルを盾にした状態で銃を構え、臨戦態勢を取る。
「馬鹿な! 散弾だぞ! 小鬼のような怪物で試した時は確かに効果があった! 四肢を破壊できた! それを食らってなお、立っているなど! あり得ん! こいつは異常事態!」
「あらあ、痛い……。か弱い乙女に無礼ですねえ。そんなプレイは好みませんよお」
頬から流れ出る血を、ストエダはペロリと舐める。
舌があり得ないほど長かった。
「こんなプレゼントを貰っておいてえ、お返ししないのも失礼ですよねえ」
そう言いながら、発砲した親衛隊員の方を振り返る。
親衛隊員の体全体に恐怖の感情が広がり、一歩後退りした。
「私の授かった恩恵は"死の血"。私の肉や血に触れられた時点で、詰みなんです」
頬から滴る血を指につけ、ストエダは親衛隊員に向けてそれを弾き飛ばす。
血の散弾だ。
ストエダの血は親衛隊員の顔に命中する。
彼女はニヤリと笑って、ひと言。
「安眠をお……」
その刹那、略帽を被った親衛隊員の頭が弾け飛んだ。
形容し難い赤黒いモノが吹っ飛び、床や壁にべっとり塗ったくられる。
「おおぉぉぉぉ! 吾輩の部下がァァァァ!」
スコルツェニーの絶叫。
俺は迷わず引き金を引いた。
セミオート射撃だ。
瞬間的な攻撃能力は劣るが、フルオート射撃よりも命中精度は遥かに上がる。
連続して続く発砲音。
弾丸は一切の狂いなくシスターの厚い胸を叩く。
鮮血を撒き散らしながら、ストエダは数歩後退した。
自分が標的にされたとでも思ったのか、親衛隊員が撃ち返してくる。
テーブルを散弾がかすめ、木片を散らす。
「くそったりゃあ! ぺったんこ! 魔法で支援しやがれ!」
「我が家を守るでごわす!」
「え⁉︎ ちょっとゾーリ! まさか戦う気なの⁉︎」
ゾーリンゲンとゴアンスがテーブルの陰から飛び出していく。
ウィルも弓を引き絞り、矢を放った。
戦闘だ。
混沌だ。
長い夜が始まった。
【モーゼルC96】
ドイツの自動拳銃。モーゼル社が1896年より制作し、ドイツ本国では正式採用されなかったものの中国などでも使用された。9ミリの口径の割には高火力であるものの、銃身が加熱しやすい
スコルツェニーが愛用しているのはM712と呼ばれるタイプであり、フルオート射撃が可能。ただし、フルオート射撃時の反動が大きく、射線の維持は極めて困難。彼曰く「少し扱いづらいくらいが戦争は楽しいのだよッ!」とのこと