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全て終わって(Ⅱ)

 ★★★★★★




 外がガヤガヤと騒がしい。

 王都がいつものように、朝の活気に溢れている。


 一瞬だけ窓の外に目を向け、俺は人々の行き交う道路を一瞥し、すぐに俯いた。


 ──うるせえ。


 病院の廊下の長椅子に座る俺にとって、人々が明るく賑やかに振る舞っている様はうざったく、憎く思えた。


 廊下の薄暗さと、どこかの病室から漏れるうめき声が、さらに気分を陰鬱なものにさせた。


 無言で床を見つめていると、後頭部に何かが乗っかってきた。


 ピティだ。

 九尾の狐のような姿ではなく、小さくて丸い見慣れた姿で、俺の上に乗っている。


「浮かない顔じゃのう。ほれ、笑え」


 半開きの口に、突然人間の手の指が突っ込まれる。

 そのまま、にぃと口角が持ち上げられ、俺の口は醜く歪んだ。


 ──その姿じゃあ手届かねえからって、腕だけ戻しやがったな……。


「ひっふぉんふぇふぇふぉあえあふぇんはえ(引っ込んでて貰えませんかね)」


「何を言う。おれはお前を心配しておるのじゃ。そう気に病むでない。あの人間共はお前の思う以上にしぶとい。そう簡単には死ぬまいて」


 ピティはそう言うし、俺もそう信じたい。

 だが、信じたいと思えば思うほど、不安というのは大きくなるのだった。




 あの後、俺は目を覚ました須郷やミッチャーと共に、負傷した冒険者達を廃墟街から連れ出した。

 眠っていた医者を叩き起こして、無理矢理治療を開始させたはいいが、日が登った今も終わる気配がない。


 須郷は用事があると言って帰ってしまい、俺とピティだけが廊下に残されたというわけだ。


 そういえば、須郷は帰り際にこんなことを言っていた。


「恐らく、あの子には破片が入り込んだ時の記憶がない。他の保有者もそうだった。その時の記憶は、ふとした拍子に、突然蘇る。それまでそっとしておいてやれ」


 何故記憶が消えるのか。

 記憶が蘇るまでそっとしておけ、というのは何故か。


 詳しく聞きたいことは積もるほどあるが、こういった事象に精通しているのは須郷だ。

 大人しく従っておくのが利と判断した。




「お? 医者が来たようじゃぞ。よかったのう」


 ピティの指が口から離れるのと同時に、俺は立ち上がった。

 ピティの言う通り、廊下を豚のように肥え太った医者が歩いてくる。


 治療が、終わったのだ。




「みなさん無事ですよ。ご安心ください。ベロニカさんとシグマさんはかなり危ない状態でしたが、そこは元軍医の腕の見せどころです。怪我の後遺症は多少あるでしょうが、命の危機だけは脱することはできたので……まあこんなことを医者が言うのも何ですが、良しとしましょう」


 廊下を歩きながら、お喋りな医者はそう言った。

 滝のような汗をかいているのは、治療が過酷であった故か、ただ肥えているが故なのか。


 ともかく、夜中から付き合ってくれたのだ。

 俺は軽く頭を下げる。


「……ありがとうございます。──その、トゥピラは?」


「彼女なら、先程目を覚ましました。今はゾーリンゲンさんと一緒にいます」


「そうでしたか……」


 しばらく薄暗い廊下を歩くと、医者がとある扉の前で立ち止まった。


「こちらです。怪我もありますが、疲労が溜まりすぎたんでしょうな、ほとんどの方が眠っておられますよ。トゥピラさんと話すのはいいですが、どうかお静かに」


 扉を開け、俺とピティは病室に足を踏み入れた。


 広い部屋だ。

 面積だけは小学校の体育館並みだが、天井がかなり低い。

 そこにベッドがずらりと並べられ、包帯を巻かれた仲間達が寝かされている。


「……」


 入り口近くのベッドで眠っているゴアンスとウィル、マーティンを見下ろす。

 気持ち良さそうにいびきをかくゴアンスと、うなされる2人のエルフを見ていると、思わず頬が緩んでしまう。


 奥の方では、ニルナとプツェルがベッドから落ちて床で寝息を立てている他、1番重い怪我を負っていたベロニカとシグマがミイラのような格好で、同じベットに横たわっている。


 と、壁に寄りかかってぼーっとしていた女と目が合った。

 アンだ。


 俺が挨拶をする前に、向こうが口を開く。


「……来客。トゥピラ、ゾーリンゲン。お前の同居人だ」


 アンの視線が俺から外れ、ひとつのベッドに向かう。

 自然と、俺の顔もそちらへ向いていた。


 その先にあったのは、1台のベッド。

 頭に包帯を巻いたゾーリンゲンと、丸椅子に座って彼に寄り添うトゥピラが、俺を見つめていた。


「……トシヤ?」


「緑! 緑じゃあねえか!」


 ガキのようにぱっと顔を輝かせる2人。


 俺が駆け足で近づくと、ゾーリはゆっくりと体を起こしてニカッと歯を見せて笑う。

 傷だらけの身体には似合わぬ笑みだったが、むしろそれがゾーリンゲンらしかった。


「てめえが運んでくれたんだってな。ありがとよ!」


「いいんだ。なあゾーリ、それにしてもひどくやられたな」


「うるせえ。俺達はこの怪我に見合う成果を挙げてんだ。つまりこの傷は勲章だぜ!」


 どんっと胸を叩くゾーリだったが、突然顔を歪めてうずくまってしまった。


 俺の背後で、医者がため息をつくのが聞こえた。


「こらこら、君胸の骨折れてるんだからそんなことしないの。入院期間伸びるよ?」


「……安静にしとけ大馬鹿野郎」


「トシヤ!」


 トゥピラが立ち上がった拍子に、椅子ががたんと倒れる。

 突然のことに戸惑う俺だったが、トゥピラはそんなことお構いなしに早口で捲し立てる。


「怪我は? 骨折れてない? 血は足りてる? 精神の汚染とかもされてないよね? そうよね? そうだって言って!」


「……俺は大丈夫だ。心配するな。それよりも、お前が無事でよかった」


 返答に満足したのか、トゥピラはほっと息を吐き、安堵で溢れた笑みを浮かべた。


「……うん」


 ぽろり。


 彼女の目から、涙が落ちる。

 涙を拭いつつトゥピラは病室を見渡し、しゃくりあげた。


「トシヤも、ゾーリも、みんなも……」


 起きて彼女の言葉を聞いている者は少ない。


 それでも、彼女にとって言わずにはいられないのだろう。


 俺は静かに、その言葉を待った。


「……本当に、ありがとう」


 少女の見せる、精一杯の泣き笑い。


 俺は微笑み、頷いた。


 照れを隠すように、アンが嘆息する。


「要求。礼がしたいなら、高級レストランで奢れ」


「うん、そうする」


 そう言って微笑むトゥピラ。


 すると──


「それなら、是非ワタシのレストランに来てくだサーイ! デリシャスなお刺身をご馳走しますヨ!」


 1番奥のベッドで、キダニ・スミスが上半身を起こして親指を立てていた。


「「「…………」」」


「……起きてたのか」




 ★★★★★★




 その後、退院を許されたトゥピラと共に、俺とピティは病院の廊下を歩いていた。


 ゾーリンゲン達はしばらく入院しなければならないらしく、2週間後に控えている神の生誕祭は病室のベッドで過ごすことになると医者は言っていた。


 しばらくは寂しい暮らしが続きそうだ。


「……」


「……」


 2人で黙々と、廊下を歩く。


 ちょっとした雑談も許されない。

 何故だか、そんな空気ではないなと俺は感じていた。


 そんな感覚に陥った理由は、隣を歩く少女の顔を見れば明らかだった。


 視線を落とし、とぼとぼと、今にも崩れ落ちそうな足取りで俺についてくるトゥピラ。

 きゅっと閉じられた口は、何か言いたげに震えていた。


「……言いたいことがあるなら、言っていいぞ」


 ハッとしたような顔で、トゥピラが俺を見上げた。


 彼女のグリーンの瞳と俺の目線が絡み合う。


「……」


 俺は静かに、彼女の言葉を待った。


 そして、俺は見た。


 つぅ──と、彼女の頬を伝う涙。

 病室で見せた涙とは、また違った涙。


 トゥピラは視線を落とし、肩を震わせながらゆっくりと口を開いた。


「……本心なの、さっきのは。みんなには感謝してもしきれない。何が何でも、心からお礼がしたい。それは本当なの。でも、それ以上に……私…………」


 口ごもる。

 己の感情を言い表す的確な言葉を探すように。


 俺は、彼女を待った。

 いつまでも、待つつもりだった。


「…………」


「…………悔しい。凄く、悔しい。私を助けるために、みんなが怪我をして……異形種共に痛めつけられて……それなのに私は、柱に縛られて見下ろしていただけ。何も……なんにもできなかった! それがたまらなく悔しいの!」


 トゥピラは、顔を上げた。


 涙や鼻水でくしゃくしゃになった顔を、俺に向ける。


「……」


 今回の件で、トゥピラ・イリエスに非がないことは重々承知しているし、他の皆もそう思っている。

 あれは、仕方のなかったことだ。


 しかし、彼女が彼女なりに今回の件に向き合って、俺達とは違う結論を導き出したのだとしたら、俺達もまた、それに向き合わなければならない。


「トゥピ──」


 俺の言葉は、体に感じた衝撃によって喉の奥につっかえた。


 同時に、彼女の細い腕が俺の体を力強く抱きしめた。


 俺の体に頭を押しつけ、トゥピラは嗚咽を漏らす。

 涙が服を濡らす生暖かな感触が、腰の辺りで広がっていく。


「ねえ、トシヤ……。私、強くなりたい。みんなを守れるような、魔法使いになりたい……。トレーニング、いつもの倍はやるから……漁れる文献は全部漁るから…………できる努力は全部するから。──なれるかな? 私、今よりも強く……」


 強くなりたい。

 何としてでも。


 それが、嘘偽りのない、彼女の結論。


 俺の向き合い方、そして返す言葉は初めから決まっていた。


 出来る限り優しく、右手を彼女の頭に乗せる。

 そっと髪を撫でてやると、彼女の嗚咽がさらに大きくなった。


「……なれるさ。あのフレアで俺を助けてくれたろう? あれを見て確信した。お前は強くなる。何かでかいことを動かして、成せるようなそんな人間に、お前はなれる。俺が保証する」


「……うん…………うん……」


 誰もいない廊下の真ん中で、俺は微笑み、トゥピラは泣いた。


 人に見られたらどうしようかなど、思考の範疇外。

 今はただこうして、彼女と向き合っていたい。


 この涙に応えることが、今の俺の役目だと思うから。

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