撤退戦ともふもふ
★★★★★★
「全員揃ったな! 行くぞ!」
ニルナのパーティが広場を飛び出した瞬間、俺は走り出した。
他の仲間達も、大乱闘が続く中央広場を背にして駆け出す。
「ブルーとグリーンとの合流地点を真っ直ぐ目指せ! それ以外は何も考えるな!」
転移石を持つエバーグリーンとターコイズブルーと落ち合い、王都へワープして作戦終了。
予定ではそうなるはずだった。
しかし、俺を含む一部メンバーは知っている。
既にこの計画は崩れている。
ストエダの魔の手から俺達を救うために、ターコイズブルーが転移石を使ってしまったから。
言い方を変えれば、限りある移動可能回数を消費してしまったということだ。
「……」
それでも、行かなければならない。
合流地点は、最初にワープしてきた林の中。
村を脱出し、そこまで辿りつかない限り、これからどうするかを落ち着いて考えられる暇は与えられない。
だから、俺達は急ぐしかなかった。
ウラン・レイジブルによって更地にされた広場付近を駆け抜けた俺達は、建物や道がしっかり残っているエリアへ突入する。
そこでは異形種同盟と黒鯨鉄十字団の交戦が続いているようで、剣の音や銃声が絶え間なく響いている。
「姉御、しっかり!」
「……すまん、ミッチャー…………」
須郷に肩を貸しながら、何とか一行に食らいつくミッチャーを見遣り、俺は少しペースを落とした。
「……自衛官」
「無理はすんな」
それだけ返して、俺は視線を逸らす。
須郷だけではない。
ベロニカやゾーリ、シグマ、その他ほとんどのメンバーが怪我を負っている。
ペースが早すぎては、彼らが途中でくたばりかねない。
しかし、急がなければいけないのもまた現実。
敵はまだうじゃうじゃいるのだ。
と、俺の視界の端にあるものが目に入った。
ぱっと見戦車のように見えたが、違う。
あれは自走砲だ。
俺達と交戦したソ連軍の、SU-76である。
様子を見る限り乗り捨てられたようで、あの時の路地の出口寸前で静かに佇んでいる。
「……あれに乗ろう」
皆が一斉に俺の方を見た。
彼らの思いを代表して、須郷が声を絞り出す。
「操縦……できるのか…………? というか動くのか……?」
「何とかやってみる」
「ぼ、僕も!」
前に進み出たマーティンと共に、俺はSU-76の操縦室に駆け込む。
血塗れの操縦室はかなり窮屈で、座席の真横に剥き出しのエンジンが沈黙している。
その座席には目玉を抉られたソ連兵の死体がサブマシンガンPPSh-41を握りしめていた。
死体を引き摺り出して椅子に飛び乗り、レバーやら計器やらを散々弄ってみるが、自走砲はうんともすんとも言わない。
俺は目の前の機械を蹴飛ばした。
「クソっ、エンジンがイカれてやがる!」
「僕が何とかしてみるよ!」
「頼むぞ機械マニア!」
どこから持ってきたのか、ペンチやらネジやらを手にしたマーティンがボロエンジンに飛びかかる。
狭い操縦室の中で、機械を修理する音が響き渡り始めた。
「キサオカはみんなを!」
「おう!」
弾が残り少ない89式を車内に残し、まだ弾に余裕があるPPSh-41を引っ掴んで、俺は外に飛び出す。
「重傷者を乗せて、残りは車体の周りを囲んで護衛! ゴアンスとウィルも乗せて、ゴーレムを戦闘に回せ! あともう少しだ、踏ん張れ!」
まず、ベロニカとシグマが戦闘室に運び込まれた。
それから須郷が乗り込み、戦闘室は満員になる。
トゥピラを抱えたゾーリは、装甲で覆われた車体に飛び乗る。
「急げ! 早く!」
プツェルが2体のゴーレムを急かした。
ゴーレム達が、ゴアンスとウィルを車体の上に降ろしたその直後。
「!」
銃弾が俺の頬をかすめ、SU-76の装甲に弾かれる。
「ッ……!」
振り向きざまにサブマシンガンを構え、引き金を引いて連射する。
ばら撒かれた7.62×25mmトカレフ弾は、接近していた黒鯨鉄十字団の兵士を3人ぶち抜き、物言わぬ遺体へ変える。
生き残った2人は瓦礫の背後に隠れ、棒付きの手榴弾を投げつけてきた。
カランっと音を立てて、それが俺の足元に転がる。
俺は咄嗟に手榴弾を掴み──
「ふ……ッ!」
投げ返した。
ポテトマッシャーのような形の爆弾が、顔を上げた敵のヘルメットにこつんと当たる。
その瞬間、敵兵は瓦礫諸共爆炎に包まれ、体の部位を周囲に撒き散らす。
ひとまず撃破したが、まだこれで終わったわけではない。
俺は操縦室へ向けて怒鳴った。
「マーティン! まだか!」
「もうちょっと!」
マシンガンを構えて徐々に後退る。
幸いにも、これ以上敵が現れることはなかった。
「直った!」
「よし!」
遂に待ち望んだ声が飛んできた。
俺は操縦席に滑り込んでハッチを閉じ、自走砲を発進させる。
重低音を発しながらエンジンが震え、怪我人を満載した自走砲が動き出した。
仲間が走って着いて来れる程の速度(時速10キロ程)で、SU-76は悪路を突き進む。
外を見る手段は細い窓しかなく、視界は正直最悪だった。
自動車の免許を持っているとはいえ、自走砲の運転などやったことがない。
一瞬でも気を抜けば事故を起こしそうだ。
一方のマーティンは、座席の後ろで興奮気味に叫んでいる。
「やっほう! 全速力だ!」
「ゴーカートとは違うんだぞ! それに全速力だと仲間を置いてっちゃうでしょーがッ!」
★★★★★★
瓦礫を踏み潰し、立ちはだかる敵を蹴散らして、自走砲は進んでいく。
装甲化された車体だけでなく、冒険者達に囲まれ護衛されている今、防御力はまさしく鉄壁であった。
「火山!」
主砲の上に直立するゴードンが、声高に詠唱すると、前方の地面が炎と共に捲れ上がり、道を塞いでいた異形種同盟軍が空高く吹き飛ばされる。
その様は火山の噴火以外に例えようがなかった。
それでも全員仕留められたわけではなく、生き残った異形種が雄叫びをあげながら接近してくる。
すぐにエルロッドが飛び出し、先頭の兵士を盾ごと蹴り飛ばす。
「うわあああっ⁉︎」
「何しやがんだクソ人間!」
異形種同盟側の行動は早かった。
たちまちエルロッドを包囲し、武器を突きつける。
「ぶっ殺してやる! 何か言い残せ!」
敵の言葉に耳を貸さず、エルロッドは異形の兵へ襲いかかった。
怒号と悲鳴が響き渡る中、ひたすらに蹴り続ける。
1人倒せば次の1人を、そいつを蹴り殺せば次の奴を。
エルロッドが止まれない理由は、たったひとつ。
全ての敵を殺し尽くし、彼女は振り返る。
ごうごうと唸りながら、愛する人が乗る自走砲が近づいてきた。
「ここはマーティンの道。誰であろうと塞がせない」
「前見ろバカ女!」
犬耳の弓使いが叫び、エルロッドははっと我に返り、飛来した矢を回避する。
振り返ると、魔王軍の増援が行手を塞いでいるのが見えた。
「ぜってえ逃すな!」
「殺せ! 生きて帰せば、魔王軍の恥と思え!」
口々にそんなことを叫びながら迫る軍勢。
エルロッドの口から、愚痴とため息が漏れる。
「……撤退戦はハード」
★★★★★★
その頃、中央広場。
王立軍の猛攻で壊滅的な被害を受けた黒鯨鉄十字団は、大急ぎで広場から撤収を始めていた。
スコルツェニーはハインツをハーフトラックに運び込み、自らも乗り込んだ。
その間も、軍が発射した矢が飛来し、ハーフトラックの装甲を叩いていた。
「ええい、化け物に溢れた世界なら人間もまた化け物か! あんな連中に付き合う義理はない! 下等なサル共めが……!」
背後の敵に悪態をついた後、スコルツェニーは足元に寝かされた猫耳の少女を見下ろす。
彼女のためにも、ここは退くべきだ。
それに、怪我をしているのは彼女だけではない。
勝利を信じて死んでいった部下達が浮かばれないが、スコルツェニーにとっては下すべき最良の選択であった。
そして、彼らの仇をいずれ討つことを、心に誓うのだった。
「基地を真っ直ぐ目指せ! 止まるんじゃあないぞ!」
黒鯨が撤退していく中、ウランとカルロスは激しい一騎討ちを演じる。
両腕を失いながらも、鋭い歯がずらりと並んだ口で攻撃を仕掛けるカルロスに対し、ウランはひょいひょい回避しながら人狼の体を斬りつけていく。
「おのれ……! ちまちまと!」
カルロスは怒りに任せた突撃を敢行するが、これがいけなかった。
ウランの斬撃が、彼の顔面を深く裂いた。
「がッ……!」
顔を押さえて後退するカルロスだったが、ウランに容赦なく腹を蹴り飛ばされ、大きく吹っ飛んだ。
地面に激突したカルロスだったが、すぐに爆炎のような土煙の中からよろめきつつ現れる。
「ジジイ……!」
「耐えるのう」
特注サーベル"ジャム・ウォール"に付着した血を振り払って、ウランは再びカルロスと対峙する。
魔王軍を槍で蹴散らしながら、冒険者のオースティンがウランに声をかけた。
「爺さん、加勢するかい?」
「無用じゃ」
目を離さずそう返すと、ウランは小さく呟いた。
「しかし、腕も恩恵もなしに大したものじゃのう」
「黙れッ! 恩恵だと? 貴様に俺の何がわかる!」
独り言のつもりだったが、カルロスの耳がウランのしゃがれた細い声を拾い損ねることはなかった。
目をひん剥いて、冒険者達と対峙していた時の余裕が幻であるかのように、カルロスは喚き立てる。
ウランは、カルロスの地雷を知っていた。
だから敢えて踏み抜いた。
彼は"恩恵"を獲得していない。
魔王に植え付けられた"才能の芽"を開花させられなかったのだ。
異形にとって、それは何よりも不名誉なことと見なされており、該当者の扱いは最悪のものになる。
「お主のことなど知らぬ。儂にとってお主は、ただの社会の敵にすぎぬ」
「くッ……! 喉笛噛み切ってやる!」
お互いに、飛び出す姿勢をとる。
戦闘が今まさに再開されようとしていた。
が──。
「!」
突然、カルロスの足元が白く光り始めた。
それが何かを悟ったのはほぼ同時。
カルロスはニヤケ面で、ウランは神妙な面持ちで己の感情を表す。
「これは、まさか……」
「……残念だったな、ジジイ。俺も不本意だが、ここでお別れだ」
次の瞬間、カルロスの姿は跡形もなく消え失せた。
しばらくの間、ウランはカルロスが立っていた地面を見つめていたが、やがて嘆息してサーベルを鞘にしまった。
「……ハァ」
「あーあ、逃した。ま、ありゃ誰でも無理か」
オースティンのボヤキを無視して、ウランはある方角を見つめる。
北西地域。
"魔界"発生の地にして、魔王城があるとされる場所。
カルロスはそこに帰り着いたに違いない。
あいつの力で。
「魔王め……」
★★★★★★
SU-76は速度を落とし、メンバーを車体に満載して村の外の草むらを走っていた。
「……」
「…………」
誰ひとりとして口をきかない。
互いを気遣う会話どころか、ちょっとした雑談すらも始まらない。
全員が満身創痍だった。
立ちはだかる敵との連戦。
追手とのチェイス。
ゴーレムは全て壊れたし、ほぼ全員が重傷だった。
死の淵を彷徨っている者もいる。
SU-76もボロボロで、何本かの大型の矢が装甲を貫いていた。
とはいえ、俺達は地獄を抜けた。
トル村は今や遥か後方にあり、あれだけ激しかった怒号や銃声も、小鳥の囀り程に静かであった。
剥き出しのエンジンが真横に設置された最悪の操縦室で、俺はなんとなく同乗者に声をかける。
「……なあ、マーティン」
「……ん?」
気の抜けた返事が、背後から返ってきた。
エンジンがやかましい音を立てる中でも、頭部に血の滲んだ包帯を巻いたエルフの長い耳は、俺の声を聞き漏らさなかったようだ。
「俺達は大幹部率いる魔王軍と戦って生き延びて、戦場を脱出したんだ。実感湧くか?」
「……夢見てんじゃない? 引っ叩いてよ」
「事故りたいんならしてやってもいい」
マーティンはレバーを操作する俺の両腕を覗き込み、「やめとくよ」と小さく言った。
その後は、誰も一切口を開くことなく、エンジンの振動音だけが虚空に響き渡っていた。
SU-76は林へと続く一本道を突き進む。
野鳥どころか小鼠の声すら聞こえない。
危険を察知して、逃げたとでもいうのだろうか。
やがて、合流地点が近づいてきた。
小窓から外を見ると、自走砲のライトで照らされた前方に数人の人影が立っているのが見える。
エバーグリーンとターコイズブルー──そして、弓を構えたエルフ達。
「! ちょっと待て……!」
自走砲を急停車させ、PPSh-41を引っ掴む。
まだ動ける仲間が、ばたばたと車から飛び降りる音が頭上から聞こえてきた。
「遅かったな」
突然そんな声が響き、俺は小窓を覗き込む。
女のエルフが1人、堂々と前に進み出るのが見えた。
奴の背後には緑のツタで拘束されたグリーンとブルーが、配下と思われるエルフに押さえつけられている。
何故か、2人はやたら痩せこけて見えた。
と、小窓と一体化したハッチが突然開いた。
見れば、蒸気砲を手にしたマーティンが、片腕でハッチを持ち上げている。
「バカ! ハッチを開けるな!」
「あれは……軍団長ヘイゼル…………!」
マーティンがヘイゼルと言ったエルフは、歩みを止めて冒険者達をじろりと見渡す。
そして、何を思ったのかフッと鼻で笑い、エバーグリーンとターコイズブルーを振り返った。
「待ち伏せしてやろうと思ったのだが、偶然こいつらと鉢合わせしてな。人質作戦に切り替えた。言っておくが、抵抗など考えるな。私の弓は、金属の車など簡単に貫ける」
「あうう……姉ちゃん……」
「ごめんなさいぃ……」
ぽろぽろと涙をこぼす少女達の後頭部を、ヘイゼル配下のエルフが殴りつけた。
俺は、舌打ちをせずにはいられなかった。
──最悪だ。計画総崩れとはまさにこのこと。
「てめえ……! 2人を離せ!」
「エルフ語は理解できないが、叩きのめす」
まだ比較的動けるメンバー、ミッチャーとエルロッドが飛び出していく。
「……下劣な」
ヘイゼルはそう吐き捨てると、弓に矢をつがえる。
ほんの一瞬だが、俺には鏃が緑に輝いたように見えた。
ヒュウッと、放たれた矢が空気を切り裂き、エルロッドの足元に着弾する。
思わず足を止めるエルロッドだったが、突然足元の雑草がうねうねと動き出し、ジャングルのツタ程の長さと太さになって彼女の体を拘束する。
「!」
エルロッドの体が、青く光り始めた。
その光は彼女の身体を流れ、ツタに吸われるようにして消えていく。
例えるなら、ジュースをストローで吸っている時のような光景であった。
「ぐっ……ああッ…………!」
苦痛の声が、エルロッドの口から漏れる。
明らかに、吸われてはいけないものが植物に吸われている。
「おいおい、これって……!」
難を逃れたミッチャーの呟きを、ヘイゼルの笑い声が掻き消した。
「ははははは! くくっふふふ、おい、そこのカス。察しがいいな。これは捕食密林。草木を、人間を養分にする化け物に変える魔法。人質も、同様にその化け物に拘束させてある。どうした? 早く逃げないと精気を吸い尽くされるぞ? 早く助けないと手遅れになるぞ?」
弓矢でミッチャーの足元を狙いながら、ヘイゼルはけらけら笑う。
大剣を構えたミッチャーは、その場から動かない。
仲間のために進まねばならない。
しかし、このまま進めば同じように精気を吸い取られる。
このふたつの現実的思考が、植物に拘束されていないにも関わらず、ミッチャーを動けなくしたのは明白だった。
と、その時。
「エルロッドおおお! うあああああっ!」
叫び声をあげながら、マーティンが操縦室を飛び出す。
計略も作戦もあったものではない。
やぶれかぶれもいいところ。
半狂乱になって、ただただ感情的に、恋人を守るための、勇敢かつ無謀な突撃であった。
しかし、ヘイゼルを前にして勇敢と無謀を天秤にかけた場合、無謀の方に大きく傾くのは明確すぎる事実である。
「武器を下せ、下衆が!」
ヘイゼルの怒号が空気を震わせる。
マーティンの意思に反し、彼の脚は急ブレーキをかけてその場に止まった。
恋人のピンチだろうとも、対人蒸気砲という優れた武器を持っていようとも、相手は軍団長。
彼の足は止まるしかなかったのだ。
「人と混ざった愚か者共の末裔め! 我々で受け継いできた森を捨て、エルフに約束された永遠を捨て去り、定命を受け入れた愚かなお前達が、光のエルフだと? 笑わせるな! 人間の尺度で測られて満足して! そんなに人間が好きか? お前達にエルフを名乗る資格はない!」
ヘイゼルの怒号が飛ぶ度に、マーティンの肩がびくりと震える。
種族間の問題は、基本的に根が深く、論理でも感情でも解決するのは難しい。
地球で、差別や迫害がなくならないのと同じように、論理で正せば感情で返され、感情で訴えれば論理で反論される。
互いが互いを憎み合っている以上、それは必然、避けられぬ咎。
世界の垣根を越えようと、それだけは変わっていなかったのだ。
「人間にへりくだることしか頭にないカスめ! そこの女と同じように、精気を吸い尽くされて干からびろ! それがお前にできる、真のエルフに対する贖罪だ!」
ヘイゼルが弓を引き絞る。
が、完全に弦が引っ張られる前に、俺はサブマシンガンの引き金を引いた。
銃弾がヘイゼルの肩を貫き、変な方向に飛んだ矢は細長い木に突き刺さる。
彼女の血走った目が、俺を捉えた。
「貴様ァ……!」
「……!」
さらに引き金を引こうとした瞬間──
「変わっておらんな、ヘイゼル」
いきなり響き渡った女の声が、引き金を引こうとする俺の指を止めた。
ヘイゼルもその場でフリーズし、冒険者達や他のエルフも同様に固まる。
その声の主は大声を出しているわけではない(と思う)のに、その声は闇夜の林にわんわんと、波紋のように広がっていく。
その声の波紋を耳に入れているうちに、俺は次第に奇妙な感覚に襲われていることに気づく。
「……」
──何故だろう。
──あの声の主には、絶対に逆らってはいけない。
──そんな気がしてしまうのはどうしてだろう。
──多分俺以外の全員が、同じ感覚を抱いていると確信できる根拠は何だ。
そんな俺達を嘲笑うように、声は再び響き渡る。
「口を開けば、やれ森だの、やれ正しさだの……。何度聞かされたであろうな。鼓膜を何度破ろうかと思うたか」
皆の視線が、1本の木に集中する。
栄養失調という言葉がしっくり来るほど極細で、今にも枯れてしまいそうなその木の背後から、声は聞こえていた。
「そこか!」
「クック……フフフフ…………」
木の背後で、小さなシルエットがもぞもぞと動く。
よちよちと可愛い足取りで、そいつはライトの光の方に歩いてくる。
徐々にはっきり見えてくるそいつの体はまん丸で、ぴょこんとした小さな耳とくりくりした黒い目が何とも可愛らしい。
そんな体を覆う白い毛はぬいぐるみのようにふわふわしており、抱きしめてスーハーしたくなる衝動を覚えずにはいられない。
普通ならそう思う。
だが、俺にはそう思えない理由があった。
あいつは、ある意味同居人だ。
危ないからという理由で王都に置いてきた、もふもふだった。
「もふもふ⁉︎」
「ピティちゃん⁉︎」
俺とマーティンの叫びが重なる。
確かに置いてきたはずだ。
出発前のあの悲しそうな表情を見て感じた申し訳なさは、今も俺の心に残っている。
いや、それよりも大きな問題は、この状況から察するに、先程の尊大かつ凛々しい女の声を発したのがあのもふもふであるということ。
俺の脳の処理能力は、現実の時間経過に追いついていなかった。
驚いているのは俺達だけではなかった。
エルフ達や、その親玉であるヘイゼルも、口をぱくぱくさせながらピティを凝視していた。
ようやく絞り出した、といった感じのヘイゼルの声は、異様なまでに震えていた。
「お、お前…………いや、貴女は…………!」
もふもふの可愛らしい目が、怪しく光った──気がした。




