ゾーリンゲンの闘い
「……さて、貴様はこれからどうする?」
しばらく続いた沈黙を破ったのは、スコルツェニーの言葉だった。
服だけ見れば満身創痍な元気満々の俺は、坊主頭に手を置きながら答える。
「ひとまず中央広場に向かう。奴の言葉を信じるなら、破片はこの村のどこかにあるはずだからな」
「……奇遇だな。吾輩も広場へ行こうとしていたところだ」
俺達の対立を除去する要因になったストエダは、もういない。
だから、今すぐ俺達が互いに銃口を向け合い、脳天目掛けてぶっ放そうが、誰も文句は言えないのである。
だが、俺達を軍人たらしめる以前に、人間たらしめる理性が、その争いを未然に防いでいた。
「もし再び相対することがあれば、今度こそ終始一貫して敵同士。続きは、広場でしようではないか」
「……ああ。今はもう、疲れた」
銃口ではなく、互いに背を向け合って歩き出す。
自然と俺の口から漏れたのは、聞こえよがしな独り言。
「あーあ。呉越同舟するも互いの脚を引く、なんて言われるが、案外うまく行っちまったな。クソッタレ」
一瞬、奴が立ち止まったような気配を感じたが、俺は振り返らなかった。
背中に、隻眼の将校の声が飛んでくる。
「全くだ。……次は殺すぞ」
「……ああ。俺がな」
★★★★★★
一方その頃、中央広場へ向かう大通りでは、軍団長ロークが率いる魔王軍残党と黒鯨鉄十字団が交戦していた。
須郷綾音に壊滅させられた第4軍団と、ゴーレム軍団に撃滅された第6軍団の残存兵を掻き集め、中央広場へ向かっていた魔王軍だったが、不幸にもユークリウスが指揮を執る乱入者達と鉢合わせしてしまったのである。
戦闘は黒鯨鉄十字団と科学財団の圧倒的優位で進んだ。
寄せ集めの残党ということもあり、思うように統率が取れない魔王軍に対して、黒鯨兵は連携を取りつつ、激しい銃撃を加え続けていた。
乱戦の中、複数の魔獣をひと薙ぎで斬り殺し、突撃してきたオークの尖兵達と剣をぶつけ合いながら、ユークリウスは歯噛みした。
「こんなところで時間をとられている暇はないというのに……! だが、中佐から預かったこの部隊、必ず中央広場へ到達させてみせるッ!」
その声に重ねて、ティーガーⅠの主砲が炎を吐いた。
まとまって突撃する魔王軍を、砲弾がまとめて吹き飛ばす。
財団の歩行戦車も、屈んだ状態で大砲を発射した。
それでも突き進む兵士達には、機銃掃射による極上の機銃弾が振舞われる。
例え逃げたとしても、戦車砲や重火器が容赦なく背中を狙い撃ち、上空の飛行船から降り注ぐ砲弾と爆弾によって広がる業火に焼かれていく。
「総員退避! 戦闘は終わりだ!」
これ以上の戦いは無意味と判断したロークは、撤退を宣言。
執拗に攻撃を繰り返していた異形の軍勢も、そのひと声で踵を返し、すたこら逃げ出した。
ユークリウスにとっては願ってもない状況だった。
すぐに全軍へ前進を指示したが、2人が隊列を離れ、勝手に追撃を始めた。
「中尉! 残りは俺らに任せてくだせえ!」
「瞬殺して来ますよ」
突撃隊の制服とケピ帽を身につけた大柄な男と、少年のように小柄なSSの黒服を身に纏う男。
ゴルド・ワッケン軍曹と、ストライブ・ジンクシー曹長である。
まさに戦闘狂という言葉がしっくり当てはまる男達で、前の戦いでも独断で戦列を離れ、2人で敵部隊に殴り込みをかけていた。
それなりに秩序や規律を重んじているユークリウスが苦手とする者達であり、今回もまた、思い切り毒を吐く。
「全く、好戦的な下士官共だ。まるで野蛮人ではないか」
「続きますか?」
部下の兵卒の問いに、ユークリウスは首を横に振る。
「好きにやらせておけ。我々はハインツ特務大尉と合流する。あの子猫も、そろそろキツくなっているだろうからな」
★★★★★★
燃え盛る村を、ロークは僅かな部下達と共に疾走する。
上空から降る砲弾を警戒しながらも、ロークの口からは愚痴が止まることなく溢れ出る。
「全く、ついてない……! まさかあんなことになるなんて……! 汚い人間共め……! なんだあの光る筒は! あんなものズルだろう……!」
「ローク様……」
申し訳なさそうな部下を遮り、ロークは首を横に振る。
「これも全て、私が至らないせいだ……。すまない、お前達」
これを聞いた部下達はしばしぽかんとしていたが、やがて1人、また1人と笑顔を咲かせていく。
ロークが困惑する中、トロルが呂律の回らない舌で、ぎこちない言葉を発する。
「オ……オデ……ローグ様スキ……」
「こいつの言う通りですよ!」
「俺達はローク様の味方です!」
次々に投げかけられる優しい言葉達。
ロークは発すべきセリフを見つけることができなかった。
これ程までに慕われるのは、ロークの人柄、否、エルフ柄によるものだろう。
どんな時も部下を想い、配下のために命を張り、失態を詫びることができる。
そんな素直で優しい指揮官を、彼女の配下もそうでない者も尊敬し、愛しているのだ。
ロークは思わず涙ぐみ、自らもまた、笑う。
「お前達……! ありが」
「とぅあぁーッ!」
感動ムードをぶち壊す奇声。
ほぼ同時に、ロークは顔面に飛び膝蹴りを喰らい、盛大に吹っ飛んだ。
「「「ローク様ァァァァッ⁉︎」」」
死んだようにぶっ倒れる軍団長と、響き渡る部下達の絶叫。
そこに被せるように、飛び膝蹴りを決めた少女が高らかに宣言する。
「ニルナ・ベッツ、ふっかあああつ!」
「よ、よくも軍団長を……!」
手長族の兵士が剣を振り上げるが、ニルナは一瞬で間合いを詰め、その顔面を左手の鉤爪で引っ掻く。
赤い横線を描かれた兵士は、悶えながら倒れた。
「眠ってた分、ここで取り返すッスよ!」
「無理は禁物でごわすよ」
ゆったりとした口調のゴアンスが後に続く。
よそ見をしていたトロルを蹴飛ばし、ゴブリンを拳ひとつで蹴散らしていく。
ストエダの血に触れたことで重傷を負った2人だったが、竜の血の効果で復活したのだ。
その2人を今まで護衛していたミッチャーとウィルも、彼女らに続いて戦闘に加わっている。
だがしかし。
「軍団長もいるぞ! ロークは体質を変化させる魔法を使うから、お前ら、気をつけて戦え! 王都の冒険者はレベルが違うって見せつけてやれー!」
ミッチャーの声色は勇敢だが、前線に出ていく気配はまるでない。
そんな彼女に、ウィルは軽蔑の眼差しを送っていた。
背筋が凍るような視線を浴び、滝のような冷や汗をかきつつも、やはり前線には出ないミッチャーであった。
自慢の鉤爪とナイフを駆使して、残党を殲滅していくニルナ。
その俊敏な動きに、魔王軍は彼女の姿を捉えることもできずにただ殺されていく。
「まだまだぁ! 先輩のためなら、あたしは何だってやってやるッス!」
だが、ニルナの快進撃はここで止まる。
蹴り飛ばされて沈黙していたロークが、怒りに顔を歪めながら起き上がったからだ。
「貴様……! 許さん!」
ロークの両手が、魔力を纏い、紫に光り始めた。
「ッ!」
反射的に警戒態勢をとるニルナ。
しかし、既にロークは背後に回り込んでいた。
「は、速っ……!」
「我が恩恵を味わえ、人間よ」
ぱんっ
魔力を纏った両手が、ニルナの肩を叩く。
紫の光がニルナの体にも移り、かと思えば瞬時に消える。
「……へ?」
わけのわからないまま、変な声を漏らすニルナ。
次の瞬間、ニルナの身体がボンッと膨らみ、ボールのような形に変化した。
それはもう、綺麗なまん丸に。
身体の凹凸はなくなり、丸くなった胴体から細い手足と頭が生えている。
まるでまん丸の着ぐるみでも着ているかのようだった。
いきなりの変化に、ニルナの顔はトマトのように紅潮する。
「え、ええ⁉︎ 何スか、これぇ!」
「これが我が恩恵だよ。どうだ、可愛くなったろう?」
「意味わかんないッスよ! って、うわああっ!」
ロークに蹴飛ばされ、ニルナはボールのように地面を転がる。
というか、ほぼボールだった。
ボール状態のニルナは家屋の壁に激突して跳ね返り、数回バウンドして止まった。
「う、うう……」
何とか起き上がろうとするが、丸い身体のせいで手足が地面に届かない。
どれだけバタついても、その状況は変わらなかった。
「あー、もう! この身体最悪ッス!」
半泣きになってじたばたするニルナを、ロークは愉悦の表情で見つめている。
「な、なんつー力だ……。恥ずかしさで殺すのか……?」
ぽつりと漏れたミッチャーの呟きを、ロークは聞き逃さなかった。
声の主に顔を向け、その方にゆっくりと歩き始める。
矛先が自分に向いたとわかったミッチャーは、慌てて後退る。
「お、おい、待てよ。あ、あたしはただの一般市民で……!」
「だったらその剣は何だ? ん?」
「ご、護身用だよ。こんな現場に来るんだから、最低限の装備はさ、ほら、いるだろ?」
「確かに……。だが関係ない」
紫の光を纏わせた両手を顔の前に掲げる。
ミッチャーは尚も後退するが、遂に壁と背中がぶつかり、逃げ場を失った。
必死だった。
あんな姿にはなるまいと、早口で捲し立てる。
「待て! 話し合おう! マジであれだけはやめて! 頼むから! 尊厳! わかるだろ! 女としての尊厳! あんな姿になったら結婚なんて夢のまた夢になっちまうよ!」
「ふふふ。何を怖がることがある? 体の形を少し変えるだけだというのに」
「それが嫌なんだっつーの!」
「さあ、そろそろ行くぞ……?」
当然、人間の言葉など彼女は聞き入れない。
それが、魔王軍の軍団長というものだ。
「待って! 待ってってえ! あああぁぁぁ!」
容赦なく両手でタッチされ、風船ボディにされるミッチャー。
一部始終を見ていたゴアンスとウィルは、死神でも見るような目でロークを見つめ、じわじわと後退る。
「こ、これ以上の贅肉はいらんでごわす……!」
「……」
「男を弄る趣味はないから、安心しろ。単純に殺す」
ミッチャーを仕留めたロークは、当然のことながらゴアンスとウィルを標的に変える。
ゴアンスは拳を、ウィルは弓を構えて敵の攻撃に備えるが、はっきり言って防げる自信はなかった。
ニルナを膨らませた時のあの移動速度。
全く目で追えなかった。
だが、2人は逃げない。
何故なら──
「えぐっ……う……助けてください……ゴアンス先輩ぃ……!」
助けを求めて泣いている後輩がいるから。
──おいがどれだけ弱かろうが、泣いている後輩を捨てるような恥を、見せるわけにはいかんでごわす! どんなに弱かろうと、逃げるわけにはいかん!
ゴアンスは心の中で叫び、己を鼓舞する。
爪が食い込むほどに拳を握りしめ、震える声を絞り出す。
「わ、わかったでごわす……! や、やるぞお、ウィルくん!」
「……」
返事はなかったが、弓を握りしめる彼の手にはかなりの力がこもっていた。
今まさに、戦いの火蓋が切られようとしていた時だった。
「はあああああああっ!」
ロークに飛びかかる巨大な人影。
咄嗟に彼女が回避すると、その男はそのまま勢いを緩めることなく突撃し、ゴアンスに殴りかかってきた。
頬に1発、強烈な一撃を貰うが、ゴアンスは何とか持ち堪え、お返しに相手の顔面に正面からパンチを叩き込む。
大きく吹っ飛ばされた大男は、切れた唇から流れる血を拭い、笑う。
「やるじゃあねえか……!」
「お? やってるじゃん」
別の男が、異形種の死体を踏みながら歩いてくる。
露骨に不愉快な顔をするロークを、ゴアンスを殴った褐色の服の男が指さす。
「このゴルド・ワッケン様に追いつかれちまったな、化け物! てめーはこの剛腕でゴムのようにひと捻りだぜ!」
「おい、ワッケン。見ろよ。デブい人間とやり合ってるみたいだぜ? しかも、エルフがいる」
黒い軍服の男が、嘲るように鼻を鳴らした。
自然と、ゴアンスとウィルも不機嫌な面になる。
「くせえなあ。化け物とデブしかいねえじゃあねえか。でも、ま、いいか。殺し合いの場にそういうのは関係ねえ」
言いながら、懐からナイフを取り出す黒服。
褐色の服の男は、でかい指をバキバキと鳴らし、ゴアンス達を威嚇する。
厄介な事態になることは、想像に難くなかった。
「俺達も混ぜろよ。いいだろ? なあ?」
★★★★★★
中央広場の一角で、ゾーリンゲンとニーツェは激しく武器をぶつけ合う。
ゾーリは錆びた手斧を振り回して果敢に攻め立てるが、ニーツェは片手剣で簡単にいなしていく。
ゾーリがどれだけの力を込めて放った攻撃も、この首なし騎士にとっては赤子に蹴られたも同然。
力の差はあまりにも明確であった。
「どうした! 君の力はそんなものか!」
「うるせえ!」
フルパワーで斧を振り下ろす。
やはり剣で受け止められるが、それがゾーリの狙いだった。
防御が手薄なニーツェの腹を蹴り飛ばし、後退。
再度突っ込み、猛烈に攻める。
「手慣れた動き……! しかし、まだ荒いッ!」
薙ぎ払うように剣を振るニーツェ。
斬撃を防ぎきれず、ゾーリは流血しながら吹っ飛ばされる。
「ぐわあーっ!」
ぶっ倒れたゾーリの元へ、新人弓使いが駆け寄ってくる。
「ゾーリンゲンさん!」
「悪い……!」
弓使いに助け起こされ、ゾーリは礼を言った。
再び斧を持ち直し、突撃する。
「まだ行くぞオラぁ!」
「その意気である! 我に片膝をつかせてみせよ!」
★★★★★★
2人の戦いは、柱に縛られたトゥピラからもよく見えた。
両腕が自由ならば、使えもしない杖を媒介しない魔法を、万一の可能性にかけて唱えるなりできただろうが、現状それは不可能。
ただ見守ることしかできなかった。
「……」
だがしかし、この状況がかえってトゥピラ・イリエスを冷静にさせ、戦況を文字通り俯瞰的に見ることができていた。
グラヴァ・ニーツェ。
学校の歴史の授業で、ほんの少しだけ触れた記憶がある。
ルクハント島が、大内乱により数多の国家に分裂する前の時代、島に君臨した伝説の騎士。
30年に渡って反体制派を抑え込み続け、平和をもたらした旧王国軍の生ける伝説。
彼を妬んだ親友の裏切りで首を落とされた、悲劇の英雄。
彼の非業の死によって、大内乱が引き起こされたといっても過言ではないと、教師は言っていた。
そのニーツェは今や、動く死体としてかつての祖国に牙を剥いている。
本当に悲劇の英雄であると、トゥピラは思った。
──今のところは、拮抗しているように見える。でも、それはニーツェが攻めていないから。実力差は圧倒的。このままだと、ゾーリは……。
最悪の結末が頭に浮かび、慌てて振り払う。
──何とかしないと!
と、ここでトゥピラはあることに気がつく。
ゾーリと戦うニーツェの背中に、魔法陣のような模様が描かれている。
銃を撃つ兵士やベロニカ達を襲っている死体の群れにも、同様のものが刻まれていた。
──あの刻印……。やっぱり、"骸操術! ってことは、近くに呪術師が……。
呪術。
それは魔法とは似て非なるもの。
幅広い能力を持つ魔法とは異なり、呪術は人を苦しめることや殺しに特化している。
王国やその他の諸国家では禁忌とされており、呪術を扱う呪術師は迫害の対象である。
そのため、大半の呪術師は魔王軍に合流し、人間でありながら人間社会と敵対している。
その呪術の一種である骸操術は、使用者の一定の範囲内にある死体を操り、動かすというもの。
使用者たる呪術師の実力が高ければ高いほどその範囲は広がり、より多くの死体を少ないラグで操れる。
また、ごく稀に自我を持ったまま動く死体が発生する。
死体を操る呪術。
確かに強力だが、それはつまり、操り人形の紐を握る呪術師さえ倒せば、全ての死体は無力化できるということ。
──どこに……一体どこに……!
一生懸命、辺りを見回す。
いない。
戦場のどこを見ても、それらしき者はいない。
──どこに……どこに……どこに……!
ベロニカとシグマが戦っている。
村人達が死体と格闘している。
人間の兵士達が銃を乱射している。
それでも、呪術師らしき人物はいない。
──どこに……どこに……どこに…………!
──いた。
トゥピラが縛られた柱のすぐ近く。
フードを被った護衛達に囲まれて、地面に正座し、呪文をぶつぶつと唱える男。
こいつが、呪術師だ。
灯台下暗しとはよく言ったものである。
トゥピラは、大きく息を吸った。
親友に教えるために。
状況を打破するために。
そして何より、彼を助けるために。
「ぞぉぉぉぉぉぉぉりぃぃぃぃぃぃぃぃっ!」
「あ?」
ニーツェと武器をぶつけ合うゾーリが、こっちを向いた。
トゥピラは声を張り上げ続ける。
「呪術よ! そいつは死体を操る呪術で動いてるの!」
「あぁ⁉︎ それがどうしたってんだよ!」
「その呪術を使ってる呪術師がいるのよ! そいつを倒せば、ニーツェを操る奴はいなくなって死体に戻る! わかるでしょ!」
途端に、ゾーリはフリーズする。
彼のバカさを呪いつつ、トゥピラは祈った。
何とかなってくれ、と。
数秒間のフリーズの後、ゾーリはパチンと手を叩く。
そして高らかに宣言する。
「なるほど! わかった!」
「ホントにわかったんでしょうね⁉︎」
「おう、任せな! で、どこだ! その呪術師はよお!」
「ここよ! 柱の真下!」
その言葉に反応し、呪術師の護衛が動いた。
ハルバードを構え、呪術師の前に立ちはだかる。
ここで、トゥピラは自分のミスに気がつく。
ゾーリにそれを伝えても、どうにかする術はない。
だが──
「おし、そこだなあああああッ!」
ゾーリは一切迷うことなく、行動に移した。
剣を構えて向かってくるニーツェはフル無視で、斧を振りかぶり、あろうことかぶん投げた。
皆、ぽかんと停止する。
ニーツェも、弓使いも、護衛達も、トゥピラも。
斧はくるくる回りながら飛んでいく。
猛スピードで突っ込んでいく先には、奇跡的に呪術師の頭部が捉えられていた。
護衛達が我にかえり、ハルバードで迎え撃とうとするが、一瞬の気の緩みが命取りとなった。
錆びた斧はハルバードの間をすり抜け、呪術師の額を丸太のようにかち割った。
呪文が途切れ、呪術師はひと言も発さずに倒れる。
全てを見ていたトゥピラは、いまだにぽかんとしていた。
よくわからない。
けど……。
なんか、倒せてしまった。
★★★★★★
「……君に、感謝しなければならないようだ」
不意に語りかけられ、ゾーリは振り返る。
今まさに斬りかかる寸前だったニーツェは、剣を落とし、片膝をつく。
ゾーリは不思議と、先程までの彼と今の彼が別の人間であるように感じた。
「めちゃくちゃなやり方ではあったが、我を縛っていた呪いはこれで消えた。ようやく、首の外れた死体としての、死んだ生は終わる……」
ニーツェは、地面にどかりと腰を下ろした。
脇に抱えていた首を元に戻し、穏やかな笑みをたたえた顔をゾーリへ向けた。
やはりそこに、先程までゾーリと戦っていた獰猛な老騎士の姿はなかった。
「あの少女は、君の友なのだな?」
「……ああ」
「この世界は残忍な現実で溢れておる。かつて我が友に裏切られたように、彼女が君の首を掻くことになるかもしれん。それでも……」
右手を突き出して、ゾーリは話を遮る。
そして、呆れたようなため息をついて、言った。
「ばーか。んなわけねーよ。あいつとはガキの頃からダチなんだ。そもそも、ぺったんこは喧嘩よえーし、俺は殺せねえよ」
「……そうか」
ニーツェはしばし、考え込むような素振りを見せた。
やがて何か思いついたのか、腰に下げた剣を手に取り、姿勢を正す。
「君が残酷な現実の中で抗うことを、我は応援しよう。その証に、これを受け取って欲しい」
差し出されたのは、奇妙な形の鞘に収められた、両手持ちの剣だった。
十字型の持ち手には、正面から見た竜の顔の紋章が掘られていた。
「魔剣"スレイヴ"。生前の我ですら抜くことが叶わなかった勇者の剣。君なら、いつか抜くことができるかもしれない」
わけがわからないまま、ゾーリは剣を受け取る。
そのわけのわからなさ故に、あまりに素朴な疑問が口をついた。
「おめーは何で抜けなかったんだ?」
「我は…………君のように真っ直ぐにはなれなかった……からかもしれんな」
ふぅ、と息をつき、ニーツェは目を閉じる。
これから、深い眠りにつくかのように。
「…………最期に戦えたのが君でよかった。さらばだ、若者よ。2度目の死は、あの時よりも……幾分か……」
それが、最後の言葉だった。
ニーツェはあぐらをかいた姿勢のまま、死んだ。
屍人特戦群のグラヴァ・ニーツェではなく、王国の英雄グラヴァ・ニーツェとして、彼は死んでいった。
「…………」
トーマス・ゾーリンゲンは、バカだ。
グラヴァ・ニーツェという男の生涯も、歴史に刻まれたその名前すら、知らない。
だが、直感的に、この男の偉大さ、強さを、ゾーリンゲンは感じ取っていた。
それが、無意識のうちに、彼に敬礼をさせていた。
直立不動。
弔いの、礼。
呪術師が死んだことで、動き回っていた死体の群れは動かぬ骸へと戻った。
戦場はようやく元の姿を取り戻し、各々戦いを再開する。
ゾーリは魔剣を背負い、歩き出す。
ニーツェの亡骸を通り過ぎ、トゥピラの方へ真っ直ぐと。
新人弓使いも後に続く。
「……斧投げちまったけどどうしようか」
「その剣使えばいいのでは?」
「なんか抜けねえ」
「…………小刀ならありますよ?」
「いらね」
弓使いと言葉を交わした時だった。
それは、あまりにも突然であった。
ゾーリの目の前に、何かが落ちてきた。
砂埃が舞い上がり、思わず目を覆う。
視界が晴れた瞬間、ゾーリは愕然とした。
倒れていたのは、血まみれの人間とエルフ。
しかも、よく見知った奴ら。
「……デブ? それにクソメガネ……?」
ゴアンスとウィルだった。
「ゴアンスさん! ウィル!」
トゥピラの絶叫が響き渡る。
2人とも酷い怪我を負っており、瀕死であるかのように見えた。
骨が折れているのか、腕や脚が変な方向に曲がっている。
一体何故……?
そもそも、誰がこんなことを……!
「へっ! 口ほどにもねえ!」
「後輩ちゃん、守れなかったなあ? 今頃あの化け物に遊ばれてるぜえ?」
背後で、男の声がした。
振り返ると、軍服のような服を着た男達が目に入る。
褐色の服の大男と、黒服のチビ。
どちらも嫌な笑みを貼り付け、獰猛な目でゴアンスとウィルを見ている。
ゾーリの中で、何かが切れようとしていた。
背後で、ゴアンスが呻いた。
「……に…………げ……」
「おい、どけ。そいつ殺すから」
大男の方が、しっしと手を払う。
ゾーリのことなど、脅威とすら認識していないようだった。
「……悪いな。従えねえよ」
──ぷつん
全身の血管が浮き出るのを感じながら、ゾーリは歩き出した。
トゥピラとは逆方向の、敵の方へ。
きょとんとしたような顔の2人組へ、ゾーリは罵倒の言葉を吐く。
「……こんの…………頭ゴブリン野郎が……! 死ねよ、殺してやるからよお!」
感情のまま叫び、ゾーリは大男に殴りかかった。
大木のような腕が、ゾーリの拳を防ぐ。
2人の男は顔を見合わせて、にんまりと笑う。
「やるか!」
「おう!」
【魔剣"スレイヴ"】
グラヴァ・ニーツェが所持していた伝説の魔剣。凄まじい魔力を持ち、なおかつ意思を持って己の持ち主を見定める。伝説の騎士であるニーツェですら鞘から抜くことができなかった。十字の持ち手には小さく"ミト"と彫られている




