魔法修行
──曰く、全魔法に共通しているのは"念"である。
使い手本人の何らかの強い念が体内の魔力を消費させ、魔法という超自然的力を引き出すのである。
──曰く、魔力は有限である。
魔法を乱発すれば当然空になるし、空になれば魔法を使えないどころか歩くことすらままならない。
──曰く、魔法使いには基礎体力が重要である。
魔力消費を抑えるためにも、また基礎魔力量を上昇させるためにも、体力向上運動は必須。
軟弱者に魔法使いはできないのである。
購入した本を読んだ限り、基本はある程度把握できた。
当然、戦士や剣士といった前衛職と比べれば劣るだろうが、それらの職を最低限こなせるくらいには体力が必要な後衛職が、魔法使いというやつなのだ。
「……というわけだが、運動はやってるか?」
「全然」
「だよね」
嘆息。
トゥピラは申し訳なさそうに項垂れる。
「ま、今からやりゃ何とでもなる。過去の過ちをチャラにできる唯一の方法が、やらなかった時間以上に動くことだ。つまりは運動しろ」
「えー……」
「俺もトレーニングしたいから、一緒にやろう。基礎からやって、徐々に体力をつけていく感じで。昼は仕事があるだろうから、朝練と夜練で力をつけていくぞ。それでいいな?」
あまりいい顔をしないトゥピラだったが、首は縦に振ってくれた。
トレーニングは翌日から始まった。
真っ先に起床した俺はトゥピラを叩き起こし、小屋の外に連れ出す。
「……何?」
「何じゃあねえ。トレーニングだ、トレーニング」
眠そうに目を擦る少女を睨み、真っ直ぐに伸びる廃墟街の道を俺は指さす。
「ランニングだ。この道を奥まで走るぞ」
「……えー」
「えーじゃねえタコ。強くなりたいんだろ?」
「わかった、わかったから。やるわよ、もう」
ぶつぶつ言いながら、トゥピラは小屋の中へ戻っていく。
何のつもりかと問えば、寝間着から着替えるのだと言う。
これは完全に俺の落ち度だった。
反省。
着替えが終わったトゥピラが戻ってくると、早速ランニングが始まる。
「よーい、ドン」
俺のその言葉を合図に、俺達は走り出す。
トゥピラの動きはノロノロで、眠っちまうくらいにとろい走りだった。
彼女を追い越さないよう、俺もゆっくり後方を走った。
「ほらほら、手を振るんだ。脚だけじゃあない。体全体で走れ」
「は、はひい……」
「今はゆっくりでいい。徐々に速くしていこう。ただし、止まることは許さんぞ」
誰もいない廃墟街。
少女の激しい呼吸だけが響く。
強くなることを選んだ少女の荒い息。
それを聞く木佐岡利也の口元は、満足げに緩んでいた。
修行は始まったばかりだ。
それから毎日、トレーニングは続いた。
ランニング、腕立て、腹筋、スクワット。
できることは何でもやった。
トゥピラの口からも大した文句は出ず、汗をかきながらもついてきてくれた。
今はまだ、トレーニング開始からたったの1週間。
パワーアップしたとは言い難い。
それでも継続できているのは大きな成果であろう。
今夜もまた、トゥピラは魔法のトレーニングに打ち込んでいる。
俺には魔力なんてものはないだろうし、現に魔法を使えない人間であるため、トゥピラが魔法のトレーニングをする時は見守ることしかできなかった。
しかし、トゥピラはサボることなくトレーニングに打ち込み、俺やゾーリ達が見守るなかで何度も魔法の詠唱を繰り返していた。
「……なんつーか、ありがとよ」
唐突にゾーリンゲンにそんなことを言われた。
本を片手に懸命に杖を振るトゥピラから視線を移さず、俺は言葉を返す。
「あ?」
「あいつさ、俺の幼馴染だろ? だから……なのかはわかんねーけど、めちゃくちゃ心配だったんだよ。でも、今はあんな感じで特訓に打ち込んで、すっかり元気になっちまって。いつも以上に元気だぜ、あのぺったんこ。ありがとよ、まじで」
「礼には及ばん」
ゾーリは「おう」と軽く返事をしてから、トゥピラの方に視線を移した。
ちょうどその時、トゥピラの杖の先端からボッと炎の球が飛び出、消えたので、パーティ第762号の面々はたちまち大騒ぎである。
「おぉーっ! やるじゃあねえかぺったんこ!」
「すごいよトゥピラ!」
「ウィリアム君も見たろう? たしかに魔法が出たでごわすよ!」
わーきゃー騒ぎながらトゥピラの周りで群れる面々を見ながら、俺はフッと笑う。
自分でも、何だか寂しげな笑みだと理解できた。
「……しっかし、いいよな。幼馴染って。仲間って」
その呟きは誰にも聞かれることもなく、夜の闇に掻き消えた。
その翌日は任務がなかったので、トレーニングの時間を大幅に増やすことにした。
朝のランニングが終わり、このことをトゥピラ含む全員に伝えたのだが、ここで少し揉め事が起きた。
今まで大した文句を言ってこなかったトゥピラだったが、流石に今日は限界だったのかぶーぶー言い始めたのだ。
「いつも通り朝と夜だけでいいじゃない! 何だって増やすのよ! 時間を!」
「いや、だって、休みだし。時間あるし……」
「あのね、身体中が痛くて痛くて仕方ないのよ、こっちは! おかげでまともに眠れないし!」
「それは筋肉が生まれ変わろうって頑張ってる証拠でごわすぞ、イリエスさん。確実に成長しとる。痛い時こそ運動でごわす!」
ゴアンス、ナイス援護射撃。
何か反論しようと口を開きかけたトゥピラだったが、急に俺の足元に視線を落とす。
見れば、小屋を抜け出したピティが俺に擦り寄ってきていた。
抱っこをせがむ幼児のように前足を伸ばしてきたので、抱き上げてやる。
「ぴい! ぴい!」
「ホラ、もふもふも頑張れって言ってるぞ。ファイト、ファイト」
「ううー……。動物を利用するなんてサイテーよ! 人としてどうかと思うわ!」
動物愛護団体みたいなことをほざきながらも、ちゃんと腕立て伏せを始めてくれるので本当に良い子である。
「トゥピラ頑張れー」
「ぺったんこ、輝いてんぞー」
「うるっさい!」
「あんまり揶揄うなよー」
そう苦笑した時だった。
「トゥピラのパーティは相変わらず騒がしいね。何して……ホントに何してるの?」
「怠惰の象徴たる762号らしくないわね」
見覚えのあるプレートアーマーと槍使い、ひょろりとした老人が歩いてくる。
ベロニカとシグマはすぐにわかったが、老人だけは全く見覚えがない。
ただ、つばの広い帽子とローブを見れば、老人が魔法使いであることは容易に理解できた。
「ベロニカ! もう大丈夫なの? その……」
トゥピラは腕立てを中断し、ベロニカの元へ駆け寄る。
ベロニカはそこそこ背が高いので、見上げる形になっている。
「パパのことは心配ないよ。もう、心の整理はついたから。つくづく不幸で嫌になるよ……あはは……」
顔は兜によって遮られて見えないが、多分無理やり笑っているのだろう。
そうとは知らずに釣られるように笑顔になったトゥピラに、ベロニカは手にしていた布の袋を差し出す。
「そんなことより、これ。トゥピラが頑張ってるって聞いたから、差し入れ持ってきたんだ」
「え? 本当⁉︎ やったあ、嬉しい! ありがと、ベロニカ!」
「ベロニカちゃんの優しさに感謝しなさい。何か知らないけどあんたが頑張ってるって聞いて、鎧を脱いでその手で自らパンを焼いてくれたのよ。何度も家が燃えかけたんだから、その分神の如く崇めなさい」
「魔法瓶式オーブンは扱いが難しいんだ……。頑張って焼いたから、美味しく食べてね」
「あ、ありがたやー……」
袋を天に掲げるトゥピラを他所に、俺はベロニカに話しかけた。
「久しぶりだな、ベロニカ」
「ああ、この前の。久しぶり。あの時は大変だったよね」
「大事件だったな」
すると、魔法使いと思しき老人が会話に挟まってきた。
「いやはや、ワシとしたことが、あの日は腰を壊してしもうてな……パーティリーダーの手助けはできなんだわ」
「そもそもベロニカちゃんとのデートにジジイなんか混ぜないわよ。ニルナとトゥピラですから100000歩譲ってるのに」
「シグマ嬢もなかなか言うのう……とほほ」
項垂れる老人を前に苦笑しながら、ベロニカは彼を俺に紹介する。
「キミは多分知らないよね。この人はゴードンさん。僕のパーティメンバーで、爆発の魔法の達人だよ」
「人はワシを"クレータージジイ"と呼ぶぞい」
ゴードンの右手が差し出される。
俺は迷わずその手を取った。
「して、トゥピラ嬢は先程まで何をしとったんじゃ?」
「トレーニングですよ。立派な魔法使いになるために、まずは体力作りからやらせてます」
ゴードンは立派な白髭を撫でながら、ふむふむと頷く。
それから、まだ天を仰いでいるトゥピラに視線を移すと、孫を相手にするように声をかける。
「ふむ。トゥピラ嬢。同じ魔法使いとしてじいちゃんが手伝ってやろうかの」
「え? いいんですか?」
「なあに、せっかくここまで訪ねてきたんじゃ。魔法使いとしても人生でも大先輩のワシにどーんと頼らんかい」
どんと自身の胸を叩くゴードン。
強く叩き過ぎたのか咳き込む老人の周りに、762号の男共が群がってくる。
1人は冷やかしに、2人は手助けに。
残りの1人の男は冷めた目で見遣るだけだった。
「おー? クレータージジイがぺったんこの先生になんのか! 腰ぶっ壊れるぜ!」
「無理は禁物でごわすぞ」
「おじいちゃん、体には気をつけてね」
「心配無用じゃい、若造ども……ゲホぉ! 小便垂れは自分のパンツの心配だけしとりゃええんじゃい」
乱れた服装を整えて、ゴードンはトゥピラを振り返った。
「さ、やるかの」
「はい!」
こいつ、筋トレから逃げられるからって嬉しそうだな。
「ねえ、キサオカさん」
ゴードンから指導を受けるトゥピラを眺めていると、隣に座るベロニカに話しかけられた。
首だけ動かしてそっちを見ると、兜もこちらを向いていた。
金属具の奥の目とこちらの目が、合う。
「どした?」
「キサオカさんは変わりない? 僕はその……色々とあったけど」
「俺は特に。トゥピラは色々あってこんな状態だが」
「そう……」
ゴードンに杖の構え方を矯正されるトゥピラを見ながら、2人揃って苦笑する。
そんな笑みもすぐに失せ、俺の声のトーンは自然と落ちる。
「……お父さんのことは、トゥピラから聞いた。俺からは何も言えん。家族を失った者の気持ちは当人にしかわからないからな」
「……知ってたんだ」
そうだ、知っている。
ベロニカの身に起こった悲劇を、俺はトゥピラから聞いた。
186番地の事件は、ミドルフィンガーが引き起こしたものだった。
だが、彼女にトリガーを引かせたのは他でもない俺達だ。
この事実が、俺の心に痛みを与えた。
「トゥピラには心の整理はついたって言ったけど、実はまだあんまりなんだ。今もパパが居なくなった日から、僕は止まってる」
「……」
「パパがあんな目に遭わされた理由は知りたいし、あんな目に遭わせた奴を許してはおかない。でも、今は何もわからないんだ。理由も、犯人も、全部」
わからない方がいい。
そう思ったが、そうは言わなかった。
「でも、ひとつだけわかったことがあるんだ」
「何がわかったんだ?」
「キサオカさん。"鍵の破片の保有者"って知ってる?」
「!」
ベロニカの口から飛び出したあまりに予想外のワードに思わず絶句する。
聞き間違いではない。
確実にこの鎧の少女は、"鍵の破片の保有者"と言った。
何故だ。
何でこんな一介の冒険者が破片の存在を知っている。
俺が何も言えないでいると、ベロニカはおもむろに兜を外して足元に置いた。
それから、頭を覆っていた頭巾を外す。
俺の目の前に、いかつい鎧など似合わない程麗しい金髪少女が現れた。
「……急に言われてもわかんないよね。僕だって何のことだかさっぱりだし。でも、パパを巻き込んだあの事件に何らかの関係があるのは何となくわかる」
「……」
「今は古い文献を調べたりしてるんだけど、全くダメだね。手がかり無しだよ」
「……その鍵とやらが何かは知らんが」
ベロニカの瞳を真っ直ぐ見つめ、俺は告げる。
これは警告だ。
少なくとも俺はそのつもりだった。
「そう簡単に見つかるもんでもないだろうし、軽い気持ちで触れていいものでもないだろう。下手すれば死ぬかもな」
「構わないよ。それに、僕は生半可な気持ちで調べてない。知りたいんだ。パパや大好きな街をあんなことにした、元凶が。例えそれが国政に関わる重要なことだったとしても、僕は突き止めてみせる」
……ああ、この目は本気だ。
止められない奴の目だ。
またしても俺が言葉を失っていると。
「ベロニカちゃぁぁぁん……」
血肉に飢えたゾンビのような声が聞こえてくる。
見れば、シグマが地面に這いつくばり、ベロニカの鎧に縋り付いてきていた。
「いけない! シグマの禁断症状が! ちょっと口聞かないとこうなっちゃうんだ……」
「た、大変だな……」
ベロニカはシグマを抱きしめて、安心させるように背中をさする。
「1人にしないでぇ……」
「ごめん! ごめんって、シグマ!」
「……」
シグマが、ここまでベロニカに依存する理由とは、何なのだろうか。
だが今は関係ない。
「………さて、どうしたもんか」
敢えて聞かれないよう、可能な限りトーンを落とした呟きをこぼす。
その答えは、この一瞬の時間では導き出せなかった。
【廃墟街】広大な面積を誇る王都には、いくつか人が住まなくなった廃墟街が存在する。その理由は様々であるが、ホームレスやチンピラの溜まり場になっている廃墟街のことを、わざわざ詮索する者はいない
パーティ第762号の住む廃墟街は"王国1治安の良い廃墟"と言われる程極端にゴロツキが少なく、トゥピラ達も特に不自由なく暮らしている




