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ナチス・ドイツの飼猫

 ★★★★★★




 さて、ここは俺に任せて先に行けとカッコつけて客車内に留まったゾーリはというと。


「ちょ、ちょま……!」


「またねぇーよ」


 トートのパンチが顔面に直撃する。

 フラフラとよろけ、客席の女の膝の上に倒れ込んだ。


「ひっ……!」


「お? 姉ちゃん、カワイイね」


 ゾーリンゲンの顔は腫れて右目は隠れてしまっており、口や鼻からは赤黒い血がラインを描いて流れていく。

 服にも血が滲み、ところどころ破れている。


 ひと言で言うとボコられていた。


 錆びた斧を振り回して、トートのナイフと銃を床に落としたところまでは良かったが、その斧はというと天井に突き刺さって動きを封じられている。


 鉄道警護官達は他のゲシュタポの相手で精一杯で、ゾーリを助けに行く余裕はなかった。


「まったく、手こずらせやがって。スジはいいが、あと1歩及ばなかったなあ」


「す、スジはいいだぁ……? こちとら軍にいたんだぞこのクソ野郎……!」


 トートはナイフを拾い上げると、左手でゾーリンゲンの胸ぐらを掴んで引き寄せる。


「ケケケ、今度こそLebewohlだな……」


「テメェこのッ……!」


 丸眼鏡の奥にある瞳を、ゾーリンゲンは睨みつける。

 トートの左腕を両手で掴み、力を込めて抵抗の意思を見せつける。


「ククク……。本気で私に勝てると思ったのかい? 残念、そこらの日和見主義者とはひと味違うのさ」


 トートはせせら笑うだけだった。

 振り上げられたナイフの切先が、きらりと光る。


「らぁッ!」


 ナイフが振り下ろされる直前、ゾーリは右足を思い切り蹴り上げた。

 ナニか硬いようで柔らかいモノにぶつかった感触と共に、文字に起こすのも困難なトートの大絶叫が車内に響き渡った。


 つま先が捉えていたのは、トートに限らず全ての男性の弱点。


 股間を押さえて飛び跳ねるトートの前に立ちはだかり、勝ち誇った笑みを浮かべる。


「喧嘩で勝ちてえ時はなぁ、ち○ぽ狙えばいいんだよ! これ、めっちゃ重要だから教えてやるぜ!」


「きゅうぅぅぅぅ……!」


 掴みかかろうと手を伸ばしてくるトートだったが、ゾーリは再び彼の股間を蹴り上げる。

 またしても大絶叫。


 乗客は全員耳を押さえ、警護官とゲシュタポも驚いて振り返る。


「まだまだぁ! こんな状況、()()()()に比べりゃ大したことねえなあ!」


 声にならない悲鳴をあげながら、トートはゾーリに背を向けて逃げ出した。


 慌てて追いかけようとしたが、体の痛みに阻害されて立ち止まる。


「いってえ!」


 激しい痛みにのたうち回る中、トートは老人達の横を走り抜け、外へ飛び出した。


 そして手すりを掴み、そのまま器用に這い上がっていく。


 あっという間に、トートはゾーリの前から姿を消した。




 ★★★★★★




 場所は、客車の屋根の上に戻る。


 ハインツの攻撃は全くこちらに来なくなった。

 代わりに、俺の攻撃が連続してハインツに叩き込まれる。


 防戦一方のハインツに容赦なく振り下ろされ続けるスコップ。


 ところどころ欠けて、無惨な姿に変わり果てたスコップであったが、攻撃力は健在だ。


 勢いのまま、激しく、躊躇わず、攻め立てる。


 ハインツは完全に追い詰められていた。

 1歩でも下がればレールの上に落下し、列車の鋼鉄の車輪に体を引き裂かれるところまで彼女は後退しているのだ。


「そろそろ破片を返してもらおうかッ!」


「拒否致します。さっきも言いましたが、メリットがありません。それに、ぼくにとってあのお方……中佐の命令は絶対ですから。もっとも、無職の貴方には、わからないでしょうけど」


「あぁ? 中佐? スコルツェニーのことか」


「はい、そうです。エッカルト・ヨハン・スコルツェニー中佐です」


 攻撃を両手の剣で防ぎながら、ハインツは懐かしい記憶を見るかのように目を細める。

 心なしか、口元も少し緩んで見えた。


「中佐はぼくにとって、上官であり父親です。従うべき上官であり、他者に誇れる父。頼れる上司であって心優しい家族。血の繋がりもなく、種族も違うぼくを受け入れてくださったあの方のために、命を尽くさない理由なんてあるのか、ぼくが知りたいくらいです」


「……」


 この女が戦う理由がわかった。

 愛にも似た忠誠だ。


 恐らく、ハインツ自身に破片への興味はない。

 中佐、あの夜に現れたスコルツェニーのために破片を盗み出したのだろう。


 ふと、冒険者ギルドでハインツが口にしていた言葉が脳裏に蘇る。


『父の仕事を手伝っています。とても忙しい方なので』


『本当に、とても忙しい方です。それでも、上から出された命令を見事にこなしていく父は本当に誇り高くて、気高く見えました。だからこそ、ぼくも力になりたいと思ったんです』


『父と言っても、本当の父ではないのですが、それでも血の繋がった親子のように接してくれる父には感謝以外に抱くべき感情はありません』


 考えてみれば、こいつは初めから答えを言っていた。


 ナチスと組んでいることも直接ではないにせよ示唆していたのに。


 それだけに、悔やまれる。


「それに、言いましたよね──」


 突然、手応えが消えた。

 細い金属を打っていたスコップは、ただ空気を切り裂いたのみ。


 と、次の瞬間、腹部に何か違和感を感じた。


 見下ろすと、脇腹が赤く染まっている。

 振り返れば、後方でハインツが剣の血を振り払いながら俺と目を合わせてくる。


 何が起こったか理解できるまで、数秒かかった。


「親孝行をしろって」


 ────言った。


 俺には、次に彼女が言う言葉がなんとなくわかっていた。

 結果的に、吐き出されたのは予想通りの言葉。


「貴方に言われた通り、親孝行をさせていただいています」


「……じゃあ撤回するわ!」


 スコップを振り上げて走り出す。


 両目でしっかりハインツを捉え、1歩1歩を素早く、彼女のスピードに負けないよう。


 痛みは堪えても、無表情で突っ立っている猫耳への殺意だけは隠さない。


 奴の脳天めがけて、振り下ろ──。


「──っ!」


 また、消えた。

 また、後方にいた。

 さっきまで俺がいた場所に、移動していた。


 やっぱり、剣は血で濡れている。


 非情にも、俺の胸の辺りがぱっくり割れ、大量の血が吹き出した。


 スコップも2つに折れて、ことんと落ちる。


 速すぎる。

 全く目で追えなかった。


 仮の話、見えていたとしても動きが追いつかなかった。


 この女、全然実力を発揮していなかった。

 敢えて、敢えてだ。

 俺を、舐め腐っていた。


 ひでぇな、これは。

 なんたる屈辱か。


 だが──。


「まだ……まだぁ!」


 倒れない。

 終われない。


 まだ、やれる。


 消えそうな意識をなんとか呼び覚まし、俺は振り向く。


 ハインツに向けて、1歩踏み出──。


「よう、邪魔者だぜ。ククク」


 今度は背中が熱くなった。


 真後ろにあったのは、ヘル・トートの不気味な笑顔。

 奴が握ったナイフが、俺の背に突き刺さっている。


「……またかよ」


 今度こそ、俺の意識は途切れた。




 ★★★★★★




 ハインツは、倒れた男に歩み寄る。


 2度も斬られてなお動こうとしていた時は流石に焦ったが、3度目はなかったようだ。


 ナイフを引き抜いて脈を取っていたトートが、ハインツに気づいて顔を上げる。


「クケケケ……まだ生きてるぜ。殺るかい?」


「ええ。黒鯨、もとい中佐の脅威になりかねませんからね」


 右手の剣の切先を、相手の頭に向ける。

 トートの横槍が入ったとはいえ、勝ったのはハインツだ。


 生殺与奪の権は彼女が握っている。


「ホラ、さっさとやろうか、子猫ちゃん。ククク……いいね、女の子が人を殺す瞬間というのは……そそるねえ、クケケ」


「…………全部、中佐のためですから」


 トートを横目で睨みつけ、右手を振り上げる。


 光るのは、男の頭を叩き割らんとする少女の剣。


 そして、今、空気を切り裂いて降ろされる。






「何をしている、自衛官。みっともない」






 そんな声の直後、響き渡る銃声。


 弾丸は回転しながら剣に激突して穴を開け、ハインツの動きを止める。


「なっ……!」


「これはこれは、どちら様かと思えば……!」


 ハインツから見て右側。

 柵の外側の道路を疾走し、列車に接近してくるふたつのソレ。


 馬だ。


 6本の脚をフル回転させながら、列車に追い縋る2頭の大きな馬だ。


 2頭のうち、後続の馬に乗っているのは弓を構えたエルフの男。

 破片を盗られたアホ女が喚きながら手綱を握っている。


「おーっ! すげえ速え! あたしこれ初めてなんだぜ? すげえと思わね! なあ、エルフの兄ちゃんよお! っておい! 振り落とそうとしたぞこのじゃじゃ馬!」


 問題なのは、先頭を走る馬。


 これまたギャーギャー言いながら手綱をとっている少女はいいとして、その後ろに跨っている女。


 その黒髪は風でなびき、両手で握った拳銃は真っ直ぐこちらに口を向けている。


 追跡対象、須郷綾音がすぐそこまで来ていた。


「彼を援護する。頼むぞ、魔法使い」


「は、はいぃ……ふえぇ……」


 ハインツは舌打ちこそしなかったが、露骨に顔を顰めてみせた。

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