須郷綾音は死なない
★★★★★★
一方、停止した7両の車両。
ひと仕事ゴアンスはのしのしと歩きながら客車に戻ってきたが、状況はちっとも変わっていなかった。
須郷とゴメスはまだ取っ組み合いを続けていたし、乗客は激しく混乱し、冒険者はダサい顔でへたり込んで動かない。
「おい、何しとる!」
勢いのまま、声が出た。
冒険者がギョッとしたように振り返る。
ゴアンスは冒険者の方へ歩み寄ると、胸ぐらを掴んで引き起こし、ぐっと顔を近づけた。
「わかっちょるのか! 緊急事態じゃ! はよう、お客さんを外に出すでごわす!」
「……うぇ?」
「避難誘導! わからんのか!」
ゴアンスは呆れ返り、冒険者を突き放す。
床に転がった彼には目もくれず、乗客全員に行き渡るよう声を張り上げた。
「えー、みなさん! 大変なことが起きとることはわかっとると思いますが、どうか落ち着いて! こっちから外に出てくださいな! じきに兵隊も来るはずですから!」
ゴアンスの呼びかけに、一部の乗客達ははっと我に返り、席を立った。
そして出口の方に駆け足で向かった。
誰かが動けば、周囲の人は自然に動き出す。
今回も例に漏れず、乗客達は1人、また1人と席を発っていった。
冒険者2人は、へこたれたまま顔を見合わせる。
「……俺達、762号に負けてる」
「パーティ第712号の俺達が負けている……」
同時に頷いた。
「「納得いかねえよな」」
しゅばっと立ち上がり、2人は避難誘導を開始する。
「さあ急いで!」
「救助隊のところまで行くんだ! さあ、こっち!」
ゴアンスは振り返って、満足げに微笑んだ。
あとの心残りは……。
「私はいい! 乗客の避難を優先させろ!」
目が合った瞬間、須郷の大声が響き渡った。
ゴメスの猛攻を受け流しながら、彼女はゴアンスが言葉を発する前に言葉を返したのである。
当然、突然怒鳴られたゴアンスはびくりと肩を振るわせたが、すぐに気を取り直して避難誘導に戻った。
よたよたと歩いていく老人に手を貸し、共に客車の外へ出る。
既に列車の周りは大勢の兵士や見物人、新聞記者で溢れかえっており、大スターが突然街中に現れたかのような騒ぎであった。
身勝手な憶測と共に近寄ってくる野次馬共を、兵士が身を挺してなんとか押さえ込み、ちょっとした抗争が始まっている。
救助の馬車がこちらに向かってくるのが見えたので、ゴアンスは老人を連れてその方に歩き出した。
★★★★★★
一体、何発殴っただろうか。
ゴメスの顔面は打撃によって醜悪に歪み、歯は抜け落ち、口と鼻からドバドバと流血している。
それでも、このゲシュタポのエージェントは一向に倒れず、ひたすら食らいついてくる。
「俺が! この俺が!」
ゴメスは叫ぶ。
血走った目で、血を吐きながら。
「こんな女に劣っているわけがねえだろうが!」
ナイフを振りかざして突っ込んでくるゴメス。
須郷はナイフの突きをかわすと、ゴメスの腹に右の拳をめり込ませ、その場にダウンさせる。
それでも、彼はゆらゆらと立ち上がり、須郷を殺すために向かってくる。
「名誉アーリア人のこの俺が! 黒鯨鉄十字団のエージェントであるこの俺が!」
飛んでくる拳を、須郷は手で難なく受け止める。
そのまま手に力を込め、ゴメスの手をメキメキと悲鳴をあげさせた。
「おああぁぁぁッ! お前以下のはずがあるかよおお!」
人がいなくなった客車に、絶叫が響き渡る。
唯一それを聞いていた須郷は、見下すようなため息をつき、手を離す。
ゴメスが突っ込んでくる直前、須郷は彼の懐に飛び込んだ。
「申し訳ない、なッ!」
腹に食い込む拳。
一瞬の間もなく突き出された反対の手は、ゴメスの頬を打ち、歯を吹き飛ばす。
「私がお前よりも優れていて、本当にすまない!」
びゅんと風が吹き、須郷の右脚がゴメスの首筋に直撃する。
ゴメスは大きく吹っ飛ばされ、座席の角に頭を打ちつけた。
今度こそ、ゴメスは床に突っ伏して動かなくなる。
「……」
須郷は、次にするべきことがわかっている。
冒険者に蹴り飛ばされた拳銃を拾うべく、振り返って歩き出す。
「私の方が上であったことをここに謝罪したい。お前は私よりも劣っていて、女に喧嘩で負けるレベルであったことを証明してしまったことを悔いている。ああ、心から謝るよ」
今の彼にとって、須郷の言葉は侮辱でしかなかった。
それでも、ゴメスは言葉を発しない。
うめき声すらあげなかった。
「惨めに逝ってくれ。敗北者くん」
拳銃を拾い上げ、両手で構えて振り返る。
だが──。
「!」
ゴメスはもう、倒れていなかった。
仰向けになって上半身を起こし、手に何かを持っている。
それが手榴弾だと気づいたときには、既に遅かった。
「勝利万歳!」
発砲と、ピンが引き抜かれるのはほぼ同時だった。
★★★
ミッチャー達がその轟音を聞いたのは、ナチスの雑兵どもを無力化し、拘束している最中であった。
銃を持った相手だったので当然苦戦したが、ウィルとトゥピラの支援の甲斐もあって、ミッチャーは兵隊をなんとか制圧することができた。
銃を奪い、貨車に積まれていたロープで兵士を縛りつけている中で、轟いた爆音。
勢いよく振り向いたミッチャーらの先にあったのは、窓やドアを吹き飛ばしてもくもくと黒煙を立ち上らせている客車であった。
「な、中には姉御が!」
「う、嘘……」
絶望的な表情で、ミッチャーは膝から崩れ落ちる。
トゥピラは口元に手を当てて、固まっていた。
「爆発系統の魔法……? いや、爆弾の類なのかな……。どちらにせよ、これじゃあ……」
負傷したウィルの頭に包帯を巻きながら、マーティンはかすれた声で言った。
ウィルは相変わらず無表情で、何も言わない。
ただ、視線はまっすぐ客車へ注がれていた。
あまりにも突然の爆発だったが、野次馬達は悲鳴をあげるどころか、目の前で踊り子が踊り始めたかの如く熱狂し、客車へ殺到した。
当然のように兵士達が止めに入り、乱闘に近い状態となった。
ミッチャーにそんな喧騒に構う余裕はなく、嗚咽の混じった声を漏らす。
「あ、姉御が……姉御がぁ……」
「……助けないと!」
真っ先に動いたのはトゥピラだった。
水系統の魔法を詠唱しながら、客車へ向けて駆け出したのである。
マーティンも、ウィルのゴーサインを確認して弾かれたように走り出す。
だが、不意に2人の足が止まった。
ぽかんと口を開けたまま、その場に突っ立って動かなくなる。
「──え?」
「そんなことって……」
2人の漏らした呟きの意味を、ミッチャーはすぐさま理解した。
ごうごうと燃え盛り、煙を吹き上げる客車。
その中から、1人の人物が涼しい顔で出てきたのである。
煤を被って顔が若干黒くなっているが、見間違えようがない。
あの黒髪と鋭い目つき──。
黒の背広──。
須郷綾音は、無傷だった。
「あ、姉御!」
ミッチャーは立ち上がると、ぽけーっとしているトゥピラとマーティンを押し退けて須郷に飛びつき、思い切り抱きしめた。
「よかったあ! 生きてたあ!」
対する須郷の口調は冷淡そのものだった。
「どれだけ呆れればいいんだ、私は。このくらいで私が死なないことくらい、お前ならわかるだろう」
「ハッ……。いけないいけない、動転してたぜ……」
「そんなことより、列車を追うぞ。エルフ、あの力士と一緒に怪我人の手当てをしておけ」
ミッチャーを引き剥がすと、須郷はマーティンに指示を出す。
彼は何も言わずに頷いて、貨車から飛び降りてどこかに走っていった。
続いて、須郷はトゥピラに顔を向ける。
「君、トゥピラだったな?」
「え? は、はい!」
「乗馬はできるか?」
「な、なんとなくはできなくもない……かな?」
「曖昧な返事は困るな。できるか? イエス、オア、ノー?」
「できますッ!」
「よろしい」
須郷は、トゥピラの肩をポンと叩く。
呆然としている少女に、須郷は微笑みを向けた。
恐らく、この場にいるほとんどが初めて見るであろう、安心させるような穏やかな笑みであった。
「私は君を信頼したいんだ。課せられた任務をやり遂げてくれると信じたい。周りが君を雑魚と罵ろうと、私は君を頼りたい。頼らせてくれるか?」
「…………はい……やります……」
どこか気の抜けた返事が、トゥピラの口からするりと出てきた。
【馬】
魔獣の一種。脚が6本あり、地球のそれよりも速く走ることができる。持続力も高く、冒険者から兵士、商人や民間まで幅広く愛される移動手段である