薔薇と十字の祝祭の下、転生者は白昼夢を視る ~乙女ゲームの世界に転生したようですが、みんながみんな、自分の人生の主人公です~
私はヒルダ・フォン・ブラウンシュヴァイク。
皇家にも縁のある名門ブラウンシュヴァイク公爵家の娘であり、皇太子アルベルト=オイゲン殿下の婚約者である。
――我乍ら見事な紫紺のロング縦ロールに端整ではあるが少々きつめの顔立ち、何より今いるのはこの悠久の帝都に佇む教育機関、帝立高等学校。
貴族や裕福な市民の子女のみが通うことを許された――その割には妙なのもたまに混じっているが――この国の将来を担う人間を育成し、人脈を繋げる場だ。
身に纏うのは白地に金色の線が入った襞たっぷりのロングスカートに同じ仕立ての短い上着。
上着の胸には帝国の証である双頭の竜の刺繍が入っている。
最高学府に通う栄光ある生徒だと一目で分かる制服である。
もう間違いなく此処は「薄明のローゼンクロイツ」の舞台だ。
まあ様するにいわゆる乙女ゲームだ、ヒロインがイケメンカウンセリングしながら波乱の末結ばれる奴だ。
19世紀後半のヨーロッパ風世界で、錬金術や魔術や陰謀や世界の命運が云々しつつ一人の少女として学園生活を楽しみ恋をするのだ。
たまたまストレス解消にプレイしたら結構はまって大体のキャラを攻略したが、結構えげつない展開もあってびっくりした。
まさか個別ルートに入った時と入ってない時の死因が違うとか、あの状況で?!だったり。
ヒロインを巡って決闘と見せかけての謀殺とか、親の仇の更に敵討ちとか。
周囲に死体が転がる中血まみれでいちゃつくスチル見て、年齢指定の本当の意味を知った位だ。
私はその悪役令嬢だ、ヒロインの敵役だ、まあ所詮はお邪魔虫、憎まれキャラだ。
美貌、才覚、権力、何でも持っているようで、運命の女神だけには裏切られる存在だ。
……よりによってそんなものに転生してしまった記憶を、この学校に入学して、丁度ヒロインに遭遇してから思い出すとか積み掛けてる。
いやもう積んでるかもしれない。
やばいせめて幼少期に思い出していればまだなにか対策も講じられただろうに。
国外逃亡とかうつけを演じるとか、何か色々。
現状アルベルト殿下との関係は悪くないけど、安心できるはずはない、ゲームを思い出すに。
個別ルートに入るとマジで怒濤の展開なのだから。
どうする私。
ほんと、どうするよ。
私はアーデルハイト・キームゼー、通称アデル。
どこにでもいる平凡な少女だ、ちょっと違うのはある日突然この学校への入学推薦状が届いたこと。
ここは選ばれた人だけが通う帝立高等学校、入学させてくれたのは誰?
そして子供のころ約束したあの男の子は、ひょっとしたらこの学校にいるの――?
なんてポエムってる場合じゃないんだよ、まったく。
この名前――デフォ名でユーザーからはハイジって呼ばれていた、だってアーデルハイトだし……デフォ絵ではチェリーピンクのお下げに膝丈フレアスカート制服、編み上げブーツ、顔は勿論無難な可愛さ――そしてこの何処かのお城みたいな学校に、出会う高貴なイケメン、そして出会った麗しのご令嬢。
もう間違いなく、ここは「薄明のローゼンクロイツ」の世界だ。
前世ではまり倒していたから背景のテクスチャや壁を見ただけで分かる。
しかし乙女ゲームのヒロイン転生ってことは、まず高い確率で悪役令嬢にやられる。
ヒロインじゃなくヒロイン転生はそうなると相場が決まってる、かなしいことに。
大体このゲームの攻略対象は半数以上が婚約者持ちだ、幼い頃ヒロインと出会っていたときに交わした結婚の約束がもっと早い時の婚約で、最終的にはそっちが優先とか無茶な理屈にもほどがある、やってて萌えたけど。
……そして、パケ絵でも一番センターのメインヒーローアルの婚約者・悪役令嬢でも勿論最高峰のヒルダ様と出会ってしまった。
まだ入学直後なのに。
他の攻略対象と逢うどころか、ゲームじゃチュートリアルの最中だというのに。
このタイミングで記憶を取り戻すとか、絶対私はやばいヒロインじゃないの!
あの、まだアルとは話はおろか存在すら認識できてないです!フラグ以前の次元です!
死亡フラグだけは立つとかありえなくないかぁ!
最萌え違ったし!箱推しだったけど!
初恋の思い出とかフラグとかもうどうでもいい、生存戦略しないと!
ほんっとにどうしよう!!安寧に生きたいだけなのに!!
「おや、あれはヒルダじゃないかな?」
穏やかな午後の日差しが心地よいので学内を散策していたところ、彼は見知った顔を思わぬところで見つけた。
裏庭に設置された東屋の中、彼の婚約者がそこに置かれた椅子に腰掛けていたのだ。
「そのようですね」
同交していた友人も肯いて、そちらを見つめた普段は冷静沈着な表情を、僅かに取り乱し崩しながら。
「一緒にいるのは…特待生の子だったか」
しかも彼女はひとりではない、なんとも意外な存在と向かい合っている。
テーブルセットで向かい合う相手は驚きだった。
「キームゼー嬢ですね」
特別推薦で入学してきた少女について、彼はまだ直接顔を合わせてはいないが、勿論存在は知っている。
一部で密かな噂にもなっているが、まさか最初に接触したのが彼女だとは。
彼は思わず笑い声を上げる。
「ふふふ、珍しいな、ヒルダがまさか自ら興味を持つなんて。二人とも、あんなにお互いを熱心に見つめ合って…少々妬けてしまうよ、でも、いいことだな」
彼女は幼い頃より淑女たれと扱われ、同じ年頃のものとほとんど付き合ってこなかったから、友人がこの学校で出来たなら喜ばしいと彼は思う。
努力家でプライドが高く、それ自体は美徳でも、気を抜く事など殆どないのだろう。
婚約者である彼にもそれなりの近しさはあれど、やはり一定の礼儀以上の空間を置いて接してくる。
皇族に対して失礼の無いように、というのは分かっているが少し彼は寂しかった。
でも彼女とあの少女が近付いたなら、何かが変わる予感がする。
自分が出来なかったものが可能になる気がする。
彼はそう思うと、自然と笑みを浮かべていた。
にっこり楽しそうに微笑んだ殿下に、私はただ黙って頷くがままだ。
しかしあれは仲良くしてるのではない、お互いに命を懸けた戦いの真っ最中だ。
殿下は、若い娘を惹きつけるその金髪碧眼の甘い容姿から与える印象よりもずっと切れ者で用心深いのだが、婚約者であるヒルダ様に関しては割と年相応の若者らしい思考になる。
いや、どんな老獪な存在だろうと叡智を知り尽くす賢者であろうと、あの二人の状態はわからないだろう。
「転生者」でなければ。
――私はアルベルト=オイゲン皇太子殿下の学友であるルドルフ・フォン・シュタイン。
この帝国第3代皇帝アルベルトゥス1世の御世に迄遡るシュタイン伯爵家の惣領息子であり、我が母カーテローゼはツェッペリン伯爵家の出であって現皇后陛下の女官も務めたこともあり……って、まあこれはどうでもいい。
とどのつまりはこの乙女ゲーム「薄明のローゼンクロイツ」のモブキャラだ。
立ち絵は一枚しかないし、スチルにも共通ルートの遠景で見切れている程度にしか描かれたことはないから、キャラクターとしてはちょっと知る人ぞ知るキャラだろう、私も設定資料集を見なければ分からなかった
一応は色々設定されているのだが、一切作中には出て来ないのだから。
茶髪茶目でそれなりに容姿自体は整ってはいるが、至って無個性な外見に仕上がっており、ゲーム内じゃ「学友」としか表示されない奴だから。
名前すら本編で出てこないのは切ないものだ。
……そして中身はこの世界に転生してしまったただのオタクで元乙女ゲームユーザーだ。
偶然ネット上でプレイ動画を見て入ったのだが男もやっても結構楽しかった、皆心の奥に傷持ちすぎだろ、昔の約束も強引だろ。
ああヒロインに変な名前つけちゃったけど、ごめんよ「ググレカス」。
たった今前世の記憶を取り戻し、そして改めてヒロインを見て、私はあんな可愛い女の子になんてことをしたのだろうと、今更ながら罪悪感が湧いてきた。
面白かったんだよ、真剣にググレカス口説くイケメンが、あの時は。
ほんとにすまんかった。
そう、あそこにいる二人はこのゲームの悪役令嬢とヒロインだ。
おそらくはあの二人も転生者に違いない、そうでなければああして序章でいきなり向かい合ってなどいるものか。
お互いにお互いの腹を探り合っているんだろうな。
大丈夫だろうか、色んな意味で。
こうなったならば、これからはあの二人について探りを入れるべきだろうか、ヒルダ様とキームゼー嬢の様子を窺うということなら殿下も快く許可をくれるだろう。
しかしこの世界に何か不要な波風を立ててしまったらばどうするか。
余計なことをすると大抵ろくな事にならないのがこの手の展開のお約束だ。
下手打つと私だけの問題ではない、我が家の進退に関わってくる。
何とも悩ましい……どうしよう、どうすりゃいいんだ。
どうしろって言うんだ、本当に。
「ヒルダに、今度キームゼー嬢もご一緒してお茶でもどうかと告げたら、流石に驚かれるかな?」
「多分卒倒されかねないくらいに驚きになるのでは」
「あはは、ルドルフは真面目な顔して時々おかしなことを言うねえ」
「……そうでしょうか」