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第九話 7月7日(4)


夕闇が赤みを失い、夜の気配が忍び入る。

湿ったマントをまとった魔王が東の果てから来て、町のざわめきをぬぐい取って西の果てに去るような、夜に至る刻限。


ブロック塀に寄りかかり、息も切れ切れになって立ち尽くす。

僕は途方に暮れていた。


どこへ行ったんだ。


学校も探した、商店街も、行ったことのあるコンビニや喫茶店まで覗いたが見つからない。もう何時間が経過したのか、それも分からない。

さほど広い街でないとはいえ、一度見失ってしまった人間を探すのは至難の業。

中条伊吹奇、彼女はどこへ行くつもりなのか。なぜ僕の前から逃げたのか。なぜ弟のグローブを掘り起こしていたのか。カメラに残っていた動画の意味は――。


脳漿が攪拌される。混乱と焦りで思考が像を結ばない。ただいたずらに疲労だけがつのる。肺が喉にまでせりあがるような呼吸。いつしか空は残照の一切を失い、闇が重く垂れ込める。


「どこへ……」


どうすればいい、警察に頼るべきか。頼ったとしてどう説明すればいいのか。

あるいは家に帰るべきか。


家……?


家とはどこだ。

あの誰かも分からない少女たちがいる場所か。


そこに僕の居場所などあるのか。

かつてはあったのか。


あったと思っていたのは錯覚ではないのか。

僕の家族は昔からあのままで、僕は生れ落ちてから今までずっと異邦人ではないのか。まともに生きていると思っていたこと自体が僕の錯覚ではないのか……。


「カラノスケ!」


え?


声と同時に、背中からかぶさってくる重量。


「うわっ!?」


そのまま前方に押し倒されて、コンクリートと熱烈なキスを交わす。下手したら前歯が折れてた勢いだ。


「な、何!?」

「馬鹿者! こんな時間まで歩き回って心配かけおって! 一緒に帰れと言っただろ!!」


それは中条烈火。ケチャップ色のシャツを着て、ビーチサンダルをはいた少女が僕の背中にしがみついていた。


「い、いきなり何す……」


首だけで振り向いて、混乱していた僕はとっさに怒鳴りそうになる。

だが言葉が喉の奥で消える。

彼女は泣いていたから。玉のような涙が目の端から零れ落ちていたから。


「ど、どうしたんだよ……」

「お前を探していたに決まっとるだろ! 家に帰ったらお前も伊吹奇も出ていったと聞いて、町中探してたんだ!」


では僕たちを追って?

ふと気づけば、ここは家からかなり離れた雑木林の近く。直線距離でも1キロはある。こんなところまで迷い込んでいたのも驚愕だが、中条烈火はここにいた僕を見つけ出したというのか。


「父さん……伊吹奇を探してるんだ、見なかった?」

「まだ見てない。探しながら来たが、伊吹奇は化粧してて探しにくいから」


……化粧?

父さんはようやく僕の背中から降りて、がしがしと腕で涙を拭く。まだ顔がドロドロだったので、見かねてハンカチを差し出す。


「ほら父さん……顔拭いて」

「うん、ありがとう」


父さんは何度か鼻をすすり、ようやく落ち着いたようだった。


「伊吹奇も探さないといかんな。いちおう、家に帰ったら母さんから連絡よこすように言ってあるが」

「父さんスマホ持ってたっけ。持たない主義とか言ってたような」

「お前のがあるだろ」


あ。


「ごめん……家に置いて来ちゃった。最初に伊吹奇のカメラ持ち出すときに」

「しょうがないな。じゃあ公衆電話探そう。一度家に電話する」


父さんは僕の手を引き、ぐいぐいと引っ張りつつ速足で歩きだす。

モミジのように小さく、柔らかな手だ。まさに子供の手。今はじんわりと汗をかき、内に熱を感じるかに思える。


これが父さんの手……さすがにそうは思えない。

でも、こんな町はずれまで僕を探しに来てくれた、それは感謝したいと思った。汗だくになって、泣きながら……。


ほどなく電話は見つかり、僕が家にかける。


『まだ帰ってないわね。伊吹奇のスマホにかけても返事がないの』

「そう……こっちは父さんと合流したよ。一緒にもう少し探そうと思う」

『気を付けてね。遅くなりすぎないように』


電話ボックスを出て首を振る。


「ダメだ……伊吹奇まだ帰ってないって」

「そーか。これは家出だな、探さないと」


そして、また僕の手を取って歩き出す。


……。


母さんは、伊吹奇が帰宅してない事実を淡々と答えるだけだった。心配してそうな様子はあったが、それだけだ。父さんも母さんも、警察に頼るという選択肢を排除している気がしなくもない。

もちろん、まだ家を出て数時間だ、警察はもう少し探してからでもいいかもしれない。

だが、やはり今の家族には、警察に介入されたくない意識があるのか。

そのあたりも大事なことだが、今はとにかく伊吹奇だ。


「どこに行ったんだろう……学校のほうはさっき見たし、ゲームセンターも、行ったことのある喫茶店も……」

「うーん、そもそもどうして伊吹奇のやつ家出したんだ?」


父さんがそう尋ねるので、僕は端的に説明を行う。映像研の活動のことについて、伊吹奇のカメラで見つけた謎の動画について、家の庭から掘り起こしてたグローブについてだ。


「ああ、あのグローブか、伊吹奇のやつ大事にしてたのに、いつの間にかなくなってたなあ。そうか埋めてたのか」


……グローブのことを知っている?

キャッチボールをやらなくなったのは何年も前なのに……。


「でもそれはカラノスケが悪いぞ。妹のカメラの中身を勝手に見るとか」

「それは……いや、ごめん。本当にそうだね、反省してる……」


事実を探るためとはいえ、考えてみればあれは極めてプライベートな動画だ。パスワードロックもされていた。それを勝手に見てしまったのは確かに僕が悪い。


「でも、あのグローブは捨てたって言ってたのに。もうキャッチボールはやらないって……」

「そりゃあ、お前をケガさせてしまったからな。あのときの伊吹奇は大変だったぞ、わんわん泣きわめいて。僕のせいだって壁に頭をぶつけたりして」


そうなのか?

僕の前ではそんな素振りは見せなかったのに。


「あれは犬に噛まれただけだよ。伊吹奇のせいじゃない」

「そういうことじゃない」


ふいに、僕の手を握る力が強くなったように思う。少しだけ周囲の空気が硬さを増す。


「伊吹奇は、お前と一緒に遊んでたことが不幸の原因と思ったんだ。自分が誘わなければよかったんだってな。お前と遊びたいと我が儘をしたから、好きにしようと・・・・・・・したから不幸が起きたと、そう思ったんだ」


……?


それは何だろう。父さんは何を言っているんだ?


「……ごめんな」


ふいに、そんなことを言う。先を行く中条烈火の顔は夜の奥にあって、その表情は窺えない。


「え……」

「伊吹奇が別人になったと思ってるんだろう?」

「!」


父さん……?

父さんは、この事態の自覚がある・・・・・のか? 僕の周りで起こっていることを認識していると……。


「父さんが弱かったから、だからお前たちを守ってやれなかったんだ。ごめんな」

「何か知ってるの、父さん」

「許してやってくれ、みんなを・・・・許してやってほしい。みんないろいろな事情を抱えて生きているんだ。家族として一緒に暮らしていても、目に映るのはほんの一部だけだ。だから、一瞬一瞬を大事にするんだ、カラノスケ」


一瞬を……。


「姿が変わっても、声が変わっても、心が・・変わっても・・・・・、家族は家族だ。朝起きて最初に声を掛け合って、ごはんを共にするのが家族だ。時々しか会えない家族の形ももちろんある。でも中条家では一緒にいることが家族だ。一緒にいて、毎日のちょっとした触れ合いを大事にして、親愛さを分け合うのが中条家なんだ。そう信じるんだ。信じてあげる親愛さが家族だ。分かってやってくれ、カラノスケ……」


父さんは、自分自身の言葉に没頭していくかのようだった。言葉は歩きながら何度も繰り返され、口中のつぶやきとなり、やがて夜の風にまぎれるようになる。


「……ん、そういえばカラノスケ、伊吹奇がグローブを持ってったとか言ったな」

「え、あ、うん……昔使ってたグローブ、犬に襲われたときにボロボロになったやつ……」


ふいに歩みが止まる。

父さんは僕の手を取って振り返りつつ、顎に手を当てて考える。


「……あのときの犬種は確か……。伊吹奇のグローブは合皮製で、土に埋めていたことも考えて……」


がば、と、いきなり四つん這いになる。


「!? ど、どうしたの」

「その匂いは感じるぞ! 伊吹奇は化粧品をつけてて他の人と混ざってしまうが、そのグローブの匂いなら探せる! この道を通った気配がある!」


はあ!?


想像できるだろうか。

実の父親が幼女になったかと思ったら、実は犬だった時の混乱を。

父さんは手足を折り曲げつつコンクリートの匂いをかぎ、ガードレールや電柱にも鼻を這わせる。


「うわここマーキングがある、臭っ」

「と、父さん何やってんだよ!!」

「カラノスケ、コンビニで肉まん買ってくれ。財布忘れたんだ。お腹がすいて鼻が利かない」

「ホントに何言ってんだよ!」



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