第七話 7月7日(2)
「屋上が……」
その報を聞き、暗雲の垂れ込めるような気分になる。
ラジオさんの助力が得られなくなるのもそうだが、話し相手になってくれていたラジオさんと気軽に会えなくなるのは悲しかった。永遠の別れとまでは思えないが、特に今は相談相手が必要なのに……。
「……ラジオさんの、あの言葉」
彼女は言っていた。この異変は僕の力で解決せねばならないと。まず家族の抱える問題に寄り添うべきだと。
僕は中等舎へと向かう。
敷地の外から回り込んで正門を通り、駐輪場と掲示板前を通って……。
そこに伊吹奇がいた。はっと立ち止まり、物陰に身を隠す。
「お願いしまーす、映研新作の演者募集でーす」
新作?
そこで気づく、隠れた藪の中に紙切れが落ちている。
どうやら伊吹奇から受け取ったものを、誰かがそこに捨てたらしい。手書きをコピーしただけのものだが、イラストも駆使されていて丁寧な作りだ。
拾い上げてみれば。
――映像研究会、新作への演者募集します
――撮影期間、夏休みの2~3週間を予定、9月の文化祭に出品予定
――男女不問、他スタッフ随時募集中
そのような内容だ。
男女不問……ということは、あの映画の撮り直しではない。あの映画はもうお蔵入りになるのだろうか。気持ちを切り替えてまったく新しい映画を?
と、そこへ教師らしい女性が来る。四十がらみの落ち着いた印象の人だ。
彼女は伊吹奇としばらく話していた、教師の側は丁寧な物腰で、何やらたしなめるような様子なのに対して、伊吹奇は爪先立ちになって胸をせり出しつつ、激しく抗弁するような様子だ。
だがやがて劣勢になった気配があり、伊吹奇は項垂れて、周りに落ちていたチラシを拾い集めて去っていく。
僕は教師のほうを追った。
「あの、すいません」
「はい?」
教師に少し警戒する気配がある。中等舎に高等部の生徒がいるのだから当然だろう。
「何かあったんですか。2ーCの中条伊吹奇と話してたみたいですが」
「あなたは?」
僕が身内とは分からないようだ。いや身内じゃないんだけど。ああもうまったくややこしい。
「ええと……そこでチラシもらって、映画の撮影に協力するって約束してたんですが」
「ああ、そうなのね。もう部室は貸せなくなるって話をしてたのよ」
「え……」
その女教師は映像研の顧問なのだという。
映研の活動はもともと去年の三年生が卒業するまでという予定であり、今年度は活動が行われない予定だった。部室棟は古くなっていたのでいくつかを取り壊し、縮小する予定だったのだという。そこを伊吹奇が強引に頼み込んで存続を許されていたらしい。
「市のコンペティションに参加するからって話だったんだけど、映画は出来てないって言うし、その状態で存続させるのもね」
「部がなくなると、どうなるんですか?」
「映画の撮影については好きにしてくれていいけど、部活ではない活動で、チラシまで配って生徒を募集するのは避けてほしいの」
部活なら教育の一貫であり、内申などの評価基準になる。
しかし趣味でやるならあくまで個人の活動だ。それを部活であるかのように、映像研究会という名前を使って生徒を集めないでほしい、というわけだろう。ぐうの音も出ない正論だ。
「他にも、部室には先輩たちの残した衣装とか、小道具とか撮影機材があるらしいけど、廃部になるなら処分することになるわね」
「伊吹奇が引き取るという手も……」
「少しなら見てみぬふりもできるけど、大きいものもあるし、高額なものとかは勝手にあげるのもちょっとね……そういうのは業者に引き取ってもらって、学校の予算に組み込まれることになると思う」
この教師にはけして悪意があるわけではない。横車を通そうとしてるのは伊吹奇のほうだ。
「……映画をコンペに出せれば、廃部は待ってもらえるんですね?」
「ええ……そういう約束だし。でも、出来てないって言ってたけど」
――ある。
映画はあるんだ。それを伊吹奇が出さないだけだ。
そこまでこだわるべきものなのか。廃部の瀬戸際だというのに。仮に不完全であっても、思っていたものと違っていても、部の存続のために提出できないのか。それは伊吹奇にとって許せないことなのか。創作者としてのプライドがそうさせるのか……。
「ありがとうございます。確認したいんですが、締め切りまでに映画を出せればいいんですよね」
「ええ……そうね」
僕は一礼してその場を去る。
大急ぎで走って自宅へと向かう。
今日は撮影するわけではないから、伊吹奇のカメラは家にあるはずだ。昨日、部室で伊吹奇の映画を見た。あのときのままなら、メモリーカードもまだカメラの中にあるはず。
回収してどうするのか。
伊吹奇に黙って提出……それも考えたが、さすがにそれで廃部を回避して解決とはならないだろう。
突き止めなければならない。あの映画の何が駄目なのか。
伊吹奇にすら分かっていない違和感の正体を。
どうすればあの映画を世に出せるのか。あるいは撮り直しに同意してもらえるのか。その方法を。
そして家へ。
「あら、カラノスケおかえり」
母さん……中条深天の声が台所から聞こえるが、あいまいに返事して二階へ。ベッドの下から撮影用カメラを回収する。
そのまま家の外へ。靴を履きながら玄関で呼ばわる。
「母さん、今日は夕飯いいから!」
「そうなの? せっかくハンバーグ焼いたんだけど」
母さんの声は妙によく響く。特に声を張るというわけではないが、廊下を折れ曲がって玄関まで減衰せず届くような、芯のある声だ。
さて、家で見るわけにもいかないから持ち出したが、この映画をどこで見るべきか。というかバッテリー残量大丈夫かな。コンビニで電池も買っておくべきか。
考えて、河川敷がよかろうと考える。近道のために駄菓子屋のある路地を通って……。
「てりゃー!」
「うわ二枚もいかれたー!」
父さんがメンコしていたので思いきりコケる。
「何してんの父さん!?」
「おお空之助か、父さん連戦連勝だぞ、はっはっは」
いつものようにケチャップ色のシャツと、膝上丈の微妙に中途半端な印象の短パン。そのポケットにメンコを何十枚も突っ込んでいる。中条烈火は白い歯を見せてガキ大将のように笑いながらメンコを見せびらかす。
「くそっ、この女めっちゃつええぞ」
「おい三丁目のタケちゃん呼んでこい、銀メンコのユージも」
駄菓子屋の前には小学生男子の人垣ができている。10人ぐらいいるだろうか。
輪の中には頭を丸刈りにした少年とか、ボロボロのキックスケーターに乗ったお子さんとか、青フレームのサングラスをかけてシガレットチョコを噛み砕くお子さんがいて、それぞれメンコに興じておられる。男に囲まれて烈火は孤軍無双。叩きつける風圧で周囲のメンコが回転しながら吹っ飛ぶ。
なんだろうこの微妙に昭和な光景は。いま令和だよね。きみたちTCGとかスマホゲーとかご存知?
「空之助、なんだ遊びに行くのか、制服のままで」
「ああ……うん。夕飯はいいから、母さんにもそう伝えてる」
「友達の家か?」
「そうじゃないよ……ちょっとやる事があって」
「そーか、じゃあ父さんもついていこうか?」
「え?」
烈火は短パンをメンコでパンパンにしたまま。僕の腰をぽんと叩く。
「息子が心配だからな。父さんが守ってやろう」
「い、いや別にいいよ、そんな」
「おい、逃げんのかよ!」
ガキ大将っぽい子供がそう言うが、烈火は腕を高い位置で組んで、ふんぞり返りながら言う。
「もう勝負はついたぞ! 烈火様の全勝だったじゃないか!」
「これから応援が来るんだよ! ビー玉と喧嘩ゴマのプロも来るんだからな!」
プロとかいるのか、年収いくらだろう。
「ちいっ! 敵に後ろは見せたくない……空之助、どうしよう」
僕に聞くの!?
「ええと……」
と、そこで駄菓子屋の奥に目が行く。僕の町に昔からある駄菓子屋だが、奥の方は三畳ほどの座敷になっていて、ホットプレートがあって焼きおにぎりなんかも作ってもらえる。
「じゃあ……僕はそこの座敷で待ってるから、用事はそこでできるし」
「そーか、じゃあ父さんはここで決闘してるから、帰るときは声をかけるんだぞ!」
「う、うん」
そんなわけで、僕は駄菓子屋の座敷にちょこんと座り、カメラの背面液晶で映画鑑賞という形になった。
「おにいちゃん、何か注文してくれんかいね」
腰が90度曲がっているが、やけに眼力のあるおばあちゃんがそう言う。
「あ、ええと、それじゃ焼きおにぎりと、焼きそば一人前……」
「あいよ、焼きおにぎり頼むとルイボスティー50円になるけどいるかい」
「え、いや、いいです」
動画を再生。内容が内容なので音声は抑えつつ、顔を近づけて視聴する。その前ではお婆ちゃんがおにぎりを焼き始める。
「ねーあんた、それ何見てるの」
なんだかヒラヒラな服を着た少女が話しかけてくる。小学一年生ぐらいだろうか。棒付き飴を振りつつ妖しい流し目。
「な、何でもないよ。ちょっと動画を」
「まったく、男どもってガキよねー。いい年してメンコなんかに夢中になっちゃってさ。若いんだからインスタで人脈を広げるとか有意義な過ごし方があると思わない」
「そ、そうかな」
「あんたサブスクはどこ派? 好きなyoutuberって誰? それとも出る側? あ、お婆ちゃんこっちアイスカフィ」
なんだろう、地獄かな。
駄菓子屋の外ではメンコを思い切り叩きつける音とか、子どもたちの掛け声とか烈火の高笑いが聞こえる。ききいっと錆びついたブレーキの音がして、さらに小学生たちの集まってくる気配がある。夏の太陽はまだまだ地平線の上にとどまっている。
目の前の少女は暇なのかずっと話しかけてくるが、僕は何とかやりすごしつつ動画を繰り返し再生する。カメラの中で少女たちは手をつなぎ、身を寄せ合い、昼と夜が訪れて言葉なき愛の場面が繰り返される……。