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第四話 7月6日(3)


「二人は愛し合っているの、これは禁断の愛の話なの」


反応に困って漬物石みたいな顔になるが、部室は薄暗いから表情は見えなかっだろう。

カットが切り替わり、線路脇を歩く二人が横から撮られる。その向こうを電車がゆっくりと追い越していく。


「ここ、うまく電車が来てくれるように粘ったの。電車は世間の目の象徴なの。愛し合う二人だけど、通り過ぎる世間の目が二人を冷徹に見つめているって表現なの」

「お、おう……」


伊吹奇は段々と熱が入ってきたのか、僕の腕を取って撮影技法がどうの、別作品へのオマージュがどうのという話をする。話の内容はあまり理解できなかったが、その熱は伝わった。精神的にも物理的にも。


……と、というより。妹の密着ぶりに遠慮がない。僕にとっては見知らぬ美少女な訳で、この薄暗がりでも分かる栗色の髪と、シフォンケーキのように柔らかな肌。少女だけが放つ鮮烈な空気に頭がくらくらしてくる。


画面の中では三人目の女子が加わり、二人の禁断の愛を揶揄するような言葉を投げる。しかし三人目の女子も、主役である長身の女子の事が好きだった。つまりこれは三角関係の話なのだ。


そしてクライマックス。三人は互いの愛を認めあい、星空が満ちる校庭で輪になり、情愛を越えた人間愛のようなものに満たされて額を合わせる。そこをゆっくりとカメラが回る。


映像は終わる。


「こんな感じ」

「……え? これ没なのか? 完璧に出来上がってるじゃないか」


撮影技法とかは分からないが、映像は綺麗な構図を保っていたし、肉体ではなく精神で繋がりたいという主題も理解できた。

何よりも演じていた三人の美しさ、確かに台詞はぎこちない部分もあったが、十代の少女にしか出せない自然な表情があった気がする。

中学生の作る映画ならかなり高いレベルだと思えた。これ以上なにを望むと言うんだろう。


「というか全部取り直しはひどいだろ。差し替えたいカットだけいくつか……」

「それじゃダメなんだよ……」


伊吹奇は僕の腕を掴んだまま、肩に頭を預ける。


「私の望みが高すぎたの。互いに互いの恋愛感情を圧し殺しながら、あくまで友情のふりをして愛し合う。そんな絶妙の表現を求めたけど、何だかすごくちぐはぐな演技になってる。全員がバラバラなの。もっと明白に、私とあの三人の恋愛観を擦り合わせないといけなかったの。そういうふうに撮り直さないと、すごくいびつなものが生まれてしまうの」

「……」


確かにいびつな印象もあった。

長身の女子は恋愛をあまり意識していない。友情の延長のような感情。対して背の低い方の女子は積極的に体を擦り合わせ、恋愛というより、言ってしまえば肉欲のイメージがつきまとう。後半に出てくる三人目の女子はさらに異なり、言葉のやり取りを重視している。

三人について掘り下げていくごとに、より間近で見るごとに、そのイメージが異なっていることが分かる。伊吹奇は世界観というリボンで三人をくくろうとしたが、誰一人捕まえきれていない。


「でももう終わりだね。あの三人はもう出てくれないだろうし、映像研もなくなるかも」

「……なくなる? 廃部になるのか?」

「映像研ってもともと三年生が卒業して廃部寸前だったの。コンペで実績を残せば、来年は少しは入ってくれるかなって期待してたんだけど」

「……」

「大丈夫だよ、部がなくなっても映画は撮れるし、今度はお兄ちゃんに出てもらおうかな」


強がってはいるが、その声は重く沈んでいた。その額が僕の二の腕に寄せられ、僕から顔が見えなくなる。そしてぎゅっと身をこわばらせる気配。

僕は伊吹奇の頭をそっと撫でて、彼女は鼻をすする気配を漏らす。


……僕は何をしてるんだろう。

他人の悩みに関わっている場合ではないのに。誰かにすがりついて泣きたい気分なのは、僕の方なのに。


(……映画)


その時、はっと閃く。

そうだ、伊吹奇は昔からカメラが趣味だった。動画撮影のできるカメラで、道行く人や家族を撮っていたのだ。それは弟の伊吹奇も、今の伊吹奇も変わっていない。


伊吹奇が撮影したものには家族の肖像もあるはず。別人に変わる前の家族の姿も。


それは今どこに。

そのカメラは、データは、伊吹奇の部屋にまだあるのだろうか……?






「ご、ごちそうさま」

「はい」


僕の言葉に母さん……つまり中条深天(ミソラ)と名乗る女性が返事をする。


夕飯は茄子の揚げ浸しにハマチの刺身、刺身はサクで買ってきたものだ。それと赤味噌の味噌汁にごはん。山菜の漬け物が小皿で出てきた。


いずれも中条家では出たことのないメニュー、よその家で食事してるような緊張のために味がよく分からない。

伊吹奇はというとすでに食事を終え、リビングのソファにうつ伏せになり、テレビ雑誌に夢中になっていた。


「ねーお母さん、リモコンどこ?」

「タンスの上に籠があるでしょう、その中ですよ」


確かに、タンスの上の分かりやすい場所に竹かごが置かれ、テレビとHDDレコーダー、それにエアコンなどのリモコンがひとまとめにされている。

しょっちゅうリモコンが家出してる中条家としては画期的な工夫だ。


母さんは僕の食器を回収して食洗機にセットすると、夕刊を開いて隅から隅まで読み出した。母さんはテレビ欄と通販しか見なかったので、これもちょっとした変化だ。

目じりの下がった横顔は憂いを帯びており、唇はぷっくりと膨れて甘い吐息を漏らすかに思える。確かに若いのだけど、落ち着いた和の色気のある女性だ。


しかし自然体である。何年も前から当たり前にそうしてきたかのようだ。


「どうしたの空之助(カラノスケ)

「い、いや、何でも」


「お母さーん、私この19時からの三時間スペシャル見るから、先にお風呂行っていいよ」


その三時間スペシャルは数日前から言っていたもので、芸能人対抗歌合戦のことだ。そんなところは弟の伊吹奇と同じなんだな。


母さんは時計を見上げる。現在時刻は18時30分。父さんはまだ帰宅していない。


「だめよ、終わるのは22時過ぎでしょう、録画できないの?」

「明日学校でこれの話するんだもん、ナマで見ないとダメだよー」

「始まるまで30分あるでしょう? 急いで沸かすから入っちゃいなさい」

「うーん、しょうがないなあ」

空之助(カラノスケ)、ちょっと買い物頼んでもいいかしら、お醤油が切れてたの」

「え、醤油? 別にいいけど……」


「じゃあ伊吹奇、一緒に入りましょ」

「え? お母さんも?」


それは意外だったのか、伊吹奇が目を丸くして振り向く。


「だって、お母さんもその番組見たいもの」





しゃああ、と風呂場から音がする。お湯はりをしつつ、二人がシャワーを浴びてるのだろう。


僕の前にはエコバッグと千円札が置かれている。


「……」


今のやり取り、何だか違和感があった。

伊吹奇が母さんとの入浴に戸惑っていたのだ。

なぜだろう? あの二人にとっても何か予想外な事が起きたのか?


そして僕へのお使いの指示、これも奇妙だ。醤油が切れてたとして、あのしっかりしてそうな母さんがその事に気づかないものか? 

まるで、僕を家から遠ざけておきたいようじゃないか。


それはなぜ? 

父さんがまだ帰宅していない。その事は関係あるのか?


「……」


ダメだ、分からない。

あまりにも謎が多すぎて思考が渋滞する。

ラジオさんがここにいてくれれば相談できるのに。


ともかく素直に買い物に行くのはダメな気がする。

そうだ、今こそミッションを果たしておかねば。伊吹奇の部屋へ行って、過去の映像記録が詰まったメモリーを回収するのだ。


風呂場は階段を通って洗面所の横。脱衣場はアコーディオン式のカーテンで目隠しできるが、それが壊れてるので曇りガラス一枚越しに浴室から気配が察せられることになる。


ということは、外に出たかどうかは浴室からも分かるということ。僕はリビング側のガラス戸の鍵を開ける。


「お母さーん、もーいいよ自分で洗うからー」

「いいから腕上げなさい、垢が落ちないわよ」

「恥ずかしいよー、私もう中学生だしー」

「気にすることないでしょ、さあ」


何やら揉めている。それとも揉んでいるのか。などと下ネタを言ってる場合じゃない。

本来の家族でも、もはや誰かと一緒に入るような年でもないだろう。我が家では小学生ぐらいからずっと一人で入っていた。伊吹奇の戸惑いはそのせいかな。


ごうんごうん、と浴室の前で洗濯機が回っている、僕は意識的に大きめの声を出す。


「じゃあ行ってくるよ」

「はい」


中から母さんの声が返る。曇りガラスの向こうには二人のシルエットが。シャワーがばちばちと肌に弾ける音がする。肌の張りが違うのか、それとも水流のためか、いつもより音が際立って聞こえるような。いやそれは僕の意識が浴室に向いてるからか。


「……」


い、いかん、想像はよくない。

どこの誰とも知れぬ二人なのだし、それどころじゃないし。


僕は一度外へ出て、そして家の側面から回り込んで、リビング側のガラス戸から中に入った。


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