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第三十二話 8月11日(2)


露店を巡る。

無人の焼き鳥屋、無人のヨーヨー釣り、無人の射的。


母さんはやはりというべきか射的も名人だった。とびきり重そうなプラモの箱、その右上隅にコルク弾を命中させる。プラモの箱がわずかに揺れるのに合わせ、間髪入れずに二発、三発、装弾とレバー起こしが見えないほど早い。

そして四発目の直撃を受けたとき、プラモの箱はひときわ大きく揺れて、観念したように後ろに倒れた。


「すごっ……あれって落とせるんだ」

「本当は数人で協力して落とすんだけどね、カラノスケ、あれいる?」

「いや別に、プラモ作ったことないし」

「じゃあお母さんが貰うわね」


母さんはいくつかの露店を回って、かき氷だのお面だのを増やしていく。


休憩場所なのか、運動会でよく見る簡易テントの組まれた場所があったので、僕たちは焼きそばと焼き鳥で軽い夕食。


「お祭りの熱気のせいかしら、暑いわねえ。もう暗いのに」


時刻は八時前というところか。山の向こうに残った残照の、最後のわずかなオレンジの光がまもなく消える頃だ。


本当の意味で母さんと二人きりの夏祭り、祭り囃子の音はなく、机の端に置かれたラジオも、万国旗に混ざったスピーカーもずっと沈黙している。

人によっては物悲しさや居心地の悪さを覚えるかも知れない、だが僕はなんだか落ち着きを感じていた。


――僕は、人間が好きではないのか。


ふとそんなことを思う。


確かにその傾向はあった。僕は自分の部屋に閉じこもりがちだったし、家族にあまり目を向けてこなかった。

何より中条家はあまり居心地のいい場所ではなかった。

何らかの意思のもとにそうなっていたとしても、そこから逃避し、自分の殻に閉じ籠っていたのは、やはり僕の意思なのだ。


それは生まれつきなのか、それとも本来の母さんの何らかの教育の結果か、少なくとも僕は一人の方が安らげるようだ。

誰もいない世界に、僕は順応しつつある。


もちろん、ただ人間嫌いというだけでこんな力が目覚めたりはしない。やはり本来の母さんの干渉によるものだろう。

怪人を生むこと、それが誘拐犯キッドナッパーの行動原理。

なるほど、これはまさに無敵の怪人。

僕の主観の中では世界には敵はなく、僕はどこへでも行けて何にでもなれる。世界を滅ぼした魔王の午睡。そんな時間が永遠に続く……。


「母さん」


ふいに問いかけてみたくなった。母さんはブルーハワイで舌を青くしながら応じる。


「なに?」

「母さんは、どうして怪人として生きようと思ったの」


その問いかけを受けて、母さんの目に憂いがよぎる。あまり説明したくはないのだろう。僕にそれに興味を持ってほしくないのだ。


「……生まれてすぐに気付いたのよ。誰かの欠けた部分を埋めたいって。気付いたときにはどこかの山奥の村で、子供を失ったばかりの夫婦の元にいた。そこでかりそめの戸籍も手に入れたけど、本来の名前とか戸籍なんてものはないの、いくつも渡り歩いてるの」


怪人は生まれながらに怪人。

誰に教わらずとも力を得て、己の生き方を知ることこそ怪人の条件なのか。


「母さん、僕は」

「カラノスケ、そろそろ花火が始まるわ」


話はやや強引に打ち切られる。僕たちは神社の参拝道に添って歩き、社殿の前の広間へ。


「せっかくだから登りましょう」


それは盆踊り用のやぐらのことだ。本来は二重三重に踊りの輪ができていて、芯まで震わすような太鼓の音が鳴り響いているのだろう。


僕たちはやぐらに登る。和太鼓を設置するぐらいなのでしっかりした造りだが、上はけっこう狭く感じた。外縁の柵も低いので、太鼓に背中を預けて落ちないように気を付ける。


僕がこの状態なのに花火は上がるのか。その事を考える。

僕はどうやら人間の活動が感じられることを認識できない。信号機の点灯ぐらいは察知できるが、オンラインゲームだとか、空を飛んでいるはずの飛行機だとかは認識できないのだ。


東の空。町の日がほとんど消えているために普段より暗く感じる空の中で、尾を引いた光が昇っていく。


「……あ」


遅れて響くのはひゅるるるという笛の音。花火に注目させるための音だという。そして夜空に咲く大輪の花と、一秒遅れて体を通り抜ける波動。


「どうして……」


まさか元の世界へ? そう思って下を見るが誰もいない。

花火は次々と打ち上がる。

夜空いっぱいに花園を広げるもの、色を変えつつ大きく咲くもの、複数個が同時に花開くもの。地方の小さな祭りのために打ち上がるのは数発ずつだが、それでも確かに花火だ。世の憂いがすべて溶け消えるような美しさ。町を数センチ弾ませる盛大な音。僕はそれを記憶として焼き付ける。


「母さん、これ、母さんが準備してくれたんだね」


ようやく気付いた。だから僕にも認識できたのだ。母さんはにんまりと笑いつつ、狭いこの場所で一回転する。


「苦労したのよ。ちょっと花火師の人たちに眠ってもらって、手動式の点火装置を全部タイマーに改造したの」

「無茶するなあ……」


僕が外出して、家に戻るまでの間にそこまでの用意を……さすがとしか言えない。


「ありがとう」


母さんは本当に素晴らしい人だと思う。ぬらりひょんとしての能力だけではない。若く魅力に溢れているし、人生を心から楽しもうとしている。怪人だからと言うだけではないだろう。母さんが自分の生き方を貫くために、どれほどの研鑽を積んでいるのか想像もつかない。


「この世界で、母さんに会えて本当に良かった。どれほど心強かったか知れない。僕だけじゃない、父さんも、伊吹奇もみんな母さんがいたから救われた。母さんがいたから自分の運命に立ち向かう準備をすることができた」


その母さんの目は、わずかに揺れている。

頭のいい母さんのことだ。僕が何を言いたいのかぐらい察してくれてるのだろう。


その優しく強い、世界一の母さんに。

僕はやはり、言うべきことを言わねばならない。


「もう大丈夫」



「僕はこの世界で、一人でも生きていける」



「だからお別れだよ、母さん」







「カラノスケ……」


母さんを悲しませたくはない。だからなるべく毅然と言おう。


「僕は旅に出るよ。一人でこの世界の隅々までを見て歩く。世界中の美しいものを見て、珍しいものを食べる。車の乗り方も船の動かし方も覚える。それはきっとそんなに悪くない人生だ。望んだってやれる人はほとんどいない。だから、ここで別れよう」

「駄目よ……カラノスケ」


母さんは僕の胸に寄りかかり、シャツを掴んで震えた声を出す。あるいはそうして顔を隠さなければ、これからのやり取りに耐えられないというかのように。


「駄目なの……あなたは本来のカラノスケと異なる場所に存在できるけど、私にはそこまではできない。あなたと同調していられるのは夏奥の町の中だけ、一度見失えば、見つけることは容易じゃない。不可能かも知れない。どれほどこちらから波長を合わせようとしても、あなたが私を認識できなくなるかも……」


きっと、そうなるだろう。

僕はおそらく、僕以外の人間がこの星にいることすら忘れてしまう。建物を作ったのは誰か、商店に並ぶ食料は誰が置いているのか、そんなことを疑問に思うことすら無くなるのだ。


「母さん、眠ってないんだろう?」


はっと、身をこわばらせる気配がある。

母さんは隠していたが察せられた。母さんは常に僕と波長を合わせ続けている。おそらくは本来の中条空之助から離れずに、彼が夢想するもう一人の自分、すなわち僕を見続けている。


「僕を見ていられるのは無限じゃない。遅かれ早かれ、別れる運命なんだ。なら自分の意思で別れたい。僕が立派に旅立つところを見守って欲しい」

「駄目よ……お願い、そんなこと言わないで。あなたを失いたくないの。私なら大丈夫、いつまででもあなたを見続ける……」

「失わないよ。そこに本当の中条空之助がいるんでしょう? 父さんも、伊吹奇もいるはず。中条の家にはもう何の問題もない。母さんは何も失わない」

「駄目よ……お願い、お願いだから……」


母さんが泣いているのが分かる。だが、本当は母さんにも分かっていたはずだ。

母さんは、父さんと伊吹奇にの存在を告げていないだろう。僕がいずれ失われる存在だと知っているからだ。僕だって伝えて欲しくはない。


「良くあることだよ、母さん」

「カラノスケ……」

「誰しもの心の中にいる、想像上の自分。僕はそんなものに過ぎないんだ。いずれは本来のカラノスケの頭の中を出て、どこかへと去ってしまうべきなんだ。本来のカラノスケは、僕の事を気づいてもいないようだけど」


想像上の人間に、人生というものはあるのか。


中条空之助の脳の一部である僕は、果たして本当に世界を旅することが出来るのか。試してみねば分からない。


それは正直、わくわくするような挑戦だ。


怪人は、生まれながらに怪人。

生まれてすぐに、自分の生き方を知る。


ならば僕もそうしよう。無敵の怪人として、この世界で生きていこう。


「カラノスケ……」



母さんを悲しませていることだけが、とても残念だったけれど。



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