第三十一話 8月11日(1)
この現象を何に喩えるべきか。
あるいはそれは、夢想家の概念。
想像の翼を広げ、心の中の自由な世界で遊ぶ紳士。
あるいはそれは剣と魔法の世界であったり、ビル群を吸い上げる円盤であったり、目の前の上司を力の限り殴り付けることであったりする。
だが全ては想像であり、現実は確固たる連続性を維持したまま続いていく。
もし、想念の世界こそ現実であると固く信じ込めたなら?
それは社会との不整合を意味する。想像と現実の歯車はどうしたって噛み合わず、いずれは牢屋か病院行きだ。
だが、もし。
人格を二つに分け、片方の人格に想念の全てを委ねられたなら?
片方の人格は変わらず社会と付き合っていき、もう一つの人格は不断の想像を続けるならば。
想像の世界にいる彼は、そこが想像だと自覚できるだろうか。
あるいは、彼を取り巻く社会は、彼に気付くことができるだろうか……。
※
陽射しの気配で目を覚ます。
起きてすぐ、世界に耳を傾ける。階下から聞こえるポットの音、水道の音。そんなものが明確に聞こえるほどには静かな世界。
一階に降りると母さんがいた。
「おはよう、空之助」
父さんと伊吹奇はいない。食卓にも二人分の食事しかない。
あるいは、母さんはちゃんと全員分を用意してるのかもしれない、僕に認識できないだけか。
「母さん、ここに父さんと伊吹奇はいるの?」
「ええ、いるわよ」
母さんは穏やかに言う。
「みんな元気にしてる。お父さんは朝から玉子かけご飯をお代わりした。伊吹奇は新しく買ったスカートをあなたに自慢してる」
「そうなんだ……」
昨日の花火も、本当は家族が全員居たのだという。母さんはそう説明してくれたが、僕には認識できない。
母さんと買い出しに行ったこと、河川敷まで歩いたこと、親密さを込めて抱き合ったこと。どこまでが僕の妄想で、どこまで現実の改変なのかも分からない。
分かることは、これは極めて強固な現象であり、僕自身の行動でそれを打ち破る手段はない、ということだ。
いっそのこと、めちゃくちゃに暴れまわってやろうかとも思った。商店を破壊する、電車の軌道にブロックを置く、町に火を付ける。それでもこの妄想の世界が維持できるというのか。
僕は世界と自分に対して嗜虐的な気分になりつつ立ち上がる。
「母さん、ガラス割ってもいいかな」
「いいわよ」
コーヒーをすすりながら柔らかな声で返す。僕は伊吹奇の椅子を持ち、リビングにつかつかと歩いていってガラスを一撃。
大判のガラスが一気に砕けて庭にぶちまけられ、手には確かな手応えがある、ご近所にまで響き渡る破砕音。
そして、庭に落ちたガラスがふわりと浮く。
動画を逆再生するかのように破片が戻り、パズルのように全ての破片が元の場所へ戻っていく。微細な破片までが全て戻り、蜘蛛の巣のような白い溝も、溶けるように消えた。
「再生か……」
おそらく、現実には僕は立ち上がってもいない。
仮に町に火を放ったとして、町は僕の想像の中だけで焼け野原になり、そこから元に戻るのか。あるいは寝て起きたら元に戻っているのか。もはや確かめる意義も感じない。
「駄目だったよ」
「そうね」
「今のこと、母さんにはどう見えてるの? というか、母さんはどうやって僕を見つけたの?」
「人格の一部を切り離して、あなたの思考と同調させてるの。右目と左目で違うものが見えてる。あなたに向けてだけ言葉を発することもできる、思念をぶつけるような感じね」
母さんがどのように僕の妄想の世界に干渉しているのか、それは僕に理解できる領域ではなかった。並外れた怪人である母さんだからこそ、といったところか。
「本来の僕ってどこか変なのかな」
「まったくもって普通よ。厳密に言えば普段より脳を使ってるはずだけど、ほとんど分からない。人間は脳の30%しか使ってないなんて言うけど、あなたは二人分の思考してるにしては負荷が軽いみたい。その現象に特化した脳にされたとしか思えない」
妄想を続けるだけの脳か。これをやったのが元の母さんだとしたら、完璧な仕事と言うしかない。
あの七夕の前日、どこかへ消えてしまった母さん。元の母さんは僕に何をさせたかったのだろう。
この能力は現実に対して何の役にも立たない。それどころか第三者が認識することすら困難だ。
ただ僕に、この無人の世界で一生を生きろと言うのだろうか。
「ちょっと、散歩に行ってくるよ」
「ついていこうか?」
「いや、大丈夫……町をもう一度見てくるだけだから」
僕は靴を履き、自転車を走らせてビジネス街のほうへ。
地方都市である夏奥にはさほど高いビルはない。せいぜい6、7階建ての雑居ビルが寄り添う駅前に至り、大通りの真ん中を歩く。
やはり動いている車はない。もし道路に寝そべって、そのまま日没まで寝たとしたら、世界から僕はどのように見えるのだろう。
「誰もいない、世界……」
これが、一つの理想であることは理解する。
誰も自分を咎めるものがいない、見張るものもない、食料にも寝床にも困ることはない。滅んだ世界、亡骸の町、そのような妄想をすることは、さほど珍しい話ではないだろう。
僕は少し想像の枝を伸ばす。そこらへんに停めてある車には動かせるものもあるだろう。ひとっ走り東京にでも行ってみようか。並ばずにスカイツリーの展望台に登り、レインボーブリッジの真ん中を歩いて渡り、日本銀行の大金庫の中でも覗いてみようか。
あるいは世界はどうか、無人のルーブル美術館、無人のスラム街、無人の宗教的聖地。
そんな場所を気ままに歩き、触れざるものに触れ、見ることを許されぬものを見る。それは確かに背徳的な魅力がある。
僕は町を歩く、無人の店にふらりと入り、無人の厨房で炒め物を適当に作る。遠出をするなら料理も覚えないといけないのかな、とぼんやりと思う。
レジに千円を置いて店を出る。しかし僕の中で、この行為に意味があるのかという疑問も生じていた。
もし料金を払わずに店を出たとしても、現実にはやはり払っているのだ。
僕はこの店にふらりと立ち寄って、普通に食事を注文して食べて、店を出ただけのことだ。
空虚な抵抗、暖簾を押すような自己満足。
違う、と感じる。
こんなつまらない散策に時間を使うべきではない。僕はこの世界で何をすべきなのか、どのように生きるべきか、それを考えてもいいのかも知れない。僕は前向きな気分にもなっていた。
本屋に寄って、床に座り込んでいくつかの本を読む。何冊かを持って出て、喫茶店で自分でアイスコーヒーを淹れて飲みつつ、読書をして過ごす。妙に集中できている。義務感のない読書が心地いい。
家に戻ったのは午後の四時ごろ。
「おかえり、カラノスケ」
僕は少し驚く。母さんは浴衣を着ていた。薄紫色で体型によく合っており、橋のかかる川と朝顔の意匠だ。帯は水色であり、目にも涼しい。
「どうかしら、急いで仕立ててみたんだけど」
「手作りなの? 何でもできるね母さん」
そして思い出す。今日は8月11日、夏奥の町で夏祭りが行われる日だ。
「お祭り行くの? 昨日あれだけ花火したのに」
「あら、打ち上げ花火は別腹よ」
うきうきと楽しげな目をしている。その目が言っていた。あなたも来るでしょ、と。僕はその期待を裏切るべきではないと感じる。
「じゃあ僕も行こうかな」
断る理由もない。僕たちは少し休んでまたスイカを食べてから、母さんと連れ立って出掛けた。
縁起などよく知らない、なぜこの時期にやるのかも知らないが、その祭りは町における夏の象徴であった。
立秋の8月7日を過ぎて数日、この頃に町が夏の境をよいしょと乗り越え、秋に向かってゆるやかに階段を降りるような季節。早まっていく夜の訪れと、町に溢れつつあるトンボ。そんなものを予感させる祭りである。
子供の頃、まだ中性的な格好をしていた伊吹奇と何度か来たことがある。さほど小遣いは潤沢ではなく、ただ珍しげに屋台を眺め、社殿の前で行われている盆踊りを遠巻きに眺めて楽しんだ。けして参加しようと飛び込むような積極的な子ではなかったが、それなりに特別な日であることを実感し、赤ら顔の大人たちの興奮に共感したものだ。
祭りはやはり、そこにあった。
屋台がさまざまに並び、奥には盆踊りの舞台が組まれている。たるんだ紐に提灯が吊るされ、なぜか万国旗まであるところに地方都市の風情がある。
そしてやはり。
僕たちの他に、生きて動いている人間はなかった。




