第三話 7月6日(2)
放課後になって、僕は部活に向かう生徒たちを尻目に正門を出た。
帰宅部の僕はいつもなら家に帰ってゲームとラノベの消化にかかるのだが、今日はそんなことも言ってられない。見知らぬ人たちのいる家に帰ることも緊張するし。
もし帰って、あの三人から「どなた?」と声を揃えられたらどうしたらいいのか。なんという理不尽な数の暴力。非常なる主客転倒。奇妙な闖入者は僕ということになってしまう。
どうしようか、もう期末試験も終わり、夏休み前の7月6日だが、今から見学させてくれる部活でもないだろうか。それとも図書室にでも。
「あ、そうか、部活」
弟は中等部で映像研究会に入っていたはず。部活の仲間なら弟が別人になっていれば気づくはずだ。
行ってみよう。僕はスポーツバッグを背中に担ぎ、小走りで中等部の校舎に向かう。
僕の通う夏奥学園は背中合わせに中等舎と高等舎が並ぶ構造であり、中等舎へは敷地をぐるりと回り込むか、一階にある渡り廊下を使う必要がある。
この時間、あちこちで運動部やら吹奏楽部が練習を始め、何かが敷地いっぱいを反射し続けるように音が飛び交う。僕は塀の外側をぐるりと回り込むルートを取った。
中等部は僕も通った懐かしい学舎だ。正門から入ってきた高等部の人間は少し目立つが、堂々としていれば呼び止められるほどでもない。僕は学園の右端、文化系のプレハブ部室が並ぶあたりに行く。
園芸部、天体観測部、写真部の隣に映像研はあった。外で活動する部活は部室が外に置かれる。
そこには数人の女子がいて、栗色の髪の伊吹奇もいた。
出ていこうとして、はたと足が止まる。
並びが一対三になっている。数メートルの間を置いて、三人の女子と伊吹奇が対峙している状況だ。
部活の最中だろうか。何となく声をかけづらいなと思ったとき。
ひときわ長身の女子が、バケツの水を伊吹奇に向かってぶちまけた。
「な……」
水をかけたほうの女子は激昂し、足を踏み鳴らして叫ぶ。
「話になんない! 全部撮り直しとか頭沸いてんじゃないの!」
「あんたねえ、いい加減にしなよ、こっちはこっちの考えで演じたんだからあんたが合わせなさいよ」
「何が不満かぐらい言いなさいよ! そんなに撮り直したきゃ自分で演ればいいでしょ!」
伊吹奇は腕を高い位置で組み合わせている。カメラを守っているのだと分かった。
「おい! 何やってんだ!」
あわてて出ていく。伊吹奇と対立していた風の女子たちはハッとこちらを見て、ばつが悪そうに顔をしかめる。
「何でもないよ、ただ意見が違っただけだから」
「そうでしょ伊吹奇」
伊吹奇はこちらを見て一瞬、驚いた表情をしたものの、すぐに目を伏せて頭を振る。
「なんでもないです。高等部の先輩には関係ないでしょ」
「え……」
女子たち三人は伊吹奇が同調したのを見て、急いで言葉をたたみかける。
「もう行こ、じゃあそういうことで」
「伊吹奇、あたしたち出演やめるから」
「また誰か誘いなよ……じゃあ」
そしてその場を去っていく。
「おい、伊吹奇……」
「お兄ちゃん、どうしたの? 迎えに来てくれた?」
すると、彼女はあっけらかんとした様子でこちらを見上げ、濡れた栗毛をかきあげる。同時にネガティブな感情を植え込みに放り投げる気配がある。
「よしカメラは無事っ。まあ防水のやつだけどね。砂とかかけられなくて助かった」
と、映像研の部室に入っていく。
「お、おい、今のって」
「ん? 私ジャージに着替えるけど、見たいの?」
反射的に手を離してしまう。伊吹奇は部室に入っていって秒でカギをかけた。
数分後。
「あれ? いたの?」
とぼけたような声と共に、ジャージ姿の伊吹奇が出てくる。手には竹ぼうきと金属のちり取りを持っていた。
「おい、さっきの」
「私、部室棟のまわり掃除してから帰らないとだから」
僕の隣を通りすぎようとする手首を、がっしりと捕まえる。
「ごまかすんじゃない。バケツの水をかけられたことを無視なんか出来ない。事情を説明するんだ」
「……お兄ちゃんには関係ないでしょ」
関係ない。
一瞬、その言葉が大きな存在感を得て背中にかぶさってくる。
彼女は見ず知らずの他人に過ぎず、三つも学年が違う異性、その事情に踏み込むことなど……。
……。
「……関係ないで済まされない。見て見ぬふりなんかできるか」
「……」
伊吹奇は一度、探るような視線を僕に向けた。そして諦めたように脱力し、周りで誰か見てないか確認したあとに僕を部室へ引っ張りこむ。
「あの子たちはね、映画に出てもらうためにスカウトしたの。三人とも2-A組、私とは学年は同じだけどクラスは別なの」
伊吹奇は2-Cだ、昼休みに訪ねたことを何となく思い出す。
「うちの地区で、来月に短編映画のコンペがあるの。それに出すためにずっと撮影してたんだけどね、なかなか上手く行かないんだよねえ」
「映像研なのは知ってたけど、本格的にやってたんだな」
映像研と名の付く部には三種類あると聞く。自ら映像作品を手掛ける部と、映画について語り合う部と、単に語り合う部だ。
「それで、丸のままのリテイク出しちゃったんだよねえ。そしたら口論になっちゃって」
「それは……まあでも、短編映画なんだろ? 撮り直すぐらいでそんなに」
「14分の作品。全43カットで撮影期間は四週間」
僕はこめかみをひきつらせる。
「いやいやいや、無茶苦茶言うなよお前! それをお蔵入りにされた方の身にもなれよ!」
「だって……しっくり来ないんだもん」
映画監督という人種はエゴイズムの権化だと聞いたことがある。あらゆる人間を馬車馬のようにこき使い、スタッフと俳優の努力を気に入らないの一言で水泡に変える。
スケジュールと予算の許す限り、あるいは許さない場合であっても関係なく、何よりも己のセンスの奴隷となってリテイクを叫び続ける職人気質。あるいは総員の目の仇。
まだ中二だというのに、もうそんな世界に身を投じているのか。僕は少し圧倒される。
「それで……何がそんなに気に入らないんだ?」
「ええっと……言葉だと」
伊吹奇はちらりと僕を盗み見る。その様子は作品を見せたいという意味かな、とふと思った。女子の一瞬の視線とは実に多彩だ。
そういえば「弟の」伊吹奇もよく作品を撮っていた。町を歩くセールスマンだの犬を連れた子供だの、八百屋のおじさんだの給食のおばさんだのを撮影していて、家族に見せては何か難しいことを言ってた気がする。
なんだかピンと来ない話ばかりだったので、家族のリアクションも冴えず、やがて作品を見せることもなくなったのだが……。
「ちゃんと見るから、見せてくれないか」
「……うん、いいよ」
お蔵入りになる作品とはいえ、誰かに見せるのは嬉しいものなのか。伊吹奇は部室の窓に暗幕を引き、カメラを25インチのモニターに繋ぐ。
机をぐるりと回り込んで、僕の横に座った。
そして映画は始まる。初夏の川べりを歩くブレザー姿の女子。うちの制服だ。さっき伊吹奇に水をかけていた女子だが、そのことは指摘しなかった。
やや背の低い女子が走ってきてフレームイン、互いに手を繋いで歩き出す。
だが何というべきか、少し距離が近い気がする。川を背景にして二人は肩をぴったりと寄せ合い、腰や腿をふれ合わせながら歩き、極めて親密そうな様子で微笑みあう。
「二人はね、恋人同士なの」
伊吹奇の解説に多少ぎょっとするが、声には出さなかった。
川べりから町へ、そして石の階段を登り、古びた神社に入って、石造りの長椅子に座る、そんな一連の場面が続く。
短い場面であっても何だか品があるというか、完成度の高いカットに思われた。
歩く二人は自然体でありながら、優れた女優のようにも見える。これは監督の熱がこもった映像作品なのだと、見るものに居ずまいを正させる力がある。
そういえば弟もそう言っていた気がする。映像とは、撮影された瞬間に監督の責任下のものになる。あらゆる行動も、自然のふるまいさえも監督の意思において行われた演技と扱われる……だったか。
弟のそんな言葉を家族は理解できなかった。今の僕も完全な理解には遠い。
画面の中の二人は美しく、そして自然であった。
心がこもっていると、そんな漠然とした感想を抱いた。