第二十三話 8月4日(2)
※
闇に包まれた町を走る。
いつもと変わらぬ静寂、眠りにつく町。
この町に父さんを呼ぶ声が漂っているのだろうか、感情の高まりがあると。
「とりあえず中心部の方に向かってるけど……どうやって探せばいいのかな」
「怪人を伊吹奇がかくまってるんでしょ、じゃあ伊吹奇のスマホを目当てに探せばいいわ」
「どうやって……あ、そうか、スマホ探索サービス」
僕は自分のスマホを起動する。探索サービスから妹のアカウント確認ページに、IDを要求されたので、とりあえず妹のメルアドを入力し、パスワードを……。
「……」
入力、1004
突破できた。地図アプリに切り替わり、スマホの存在するおおよその位置が示される。
「それカラノスケの誕生日じゃないの? なんで伊吹奇のパスワードに設定されてるのよ」
「知らないよ……」
どうも伊吹奇の考えてることは分かりにくい。というか怪人を探さないって約束したのにあっさり破ってるし。この件が終わったらきちんと叱ろう、兄として。
大通りに出たところでタクシーを捕まえ、それに乗って向かう。何だか緊急の現場にタクシーで駆けつけるのも違和感があるが、母さんが免許を持ってないので仕方ない。
「ところでカラノスケ、作戦はあるの」
狭い車内で足を組み、頬杖をついた構えでそう問われる。
「作戦……」
「当たって砕けろの精神もいいけど、お父さんを抱き締めて大声で呼びかけるだけ、なんてことじゃ協力できないわよ。そういう泥臭いの嫌なの、スマートじゃないもの」
そう言われても、僕にそれ以外に何ができるというのだろう。
「どうやって記憶を戻すかの検討がいるのよ、何か心当たりないの、弱点とか」
「弱点と言われても……父さんすごくパワフルになったし、子供の遊びにも強くて、嗅覚も凄くて」
「嗅覚、いいじゃない」
「え?」
「嗅覚は人間の記憶野と直結してるからね、匂いを切っ掛けに昔のことを思い出す、なんてよく効く話よ。少し前の映画だと靴下の匂いで記憶が戻ったりとか」
「何その変な映画」
びしっ
デコピンを食らった、なぜだろう。
「匂いと言われてもなあ……。父さんにとって何が懐かしい匂いかと言われても」
「だいたいの方針は見えたわ、カラノスケはとりあえず死なないように頑張りなさい」
「質問しといて勝手に解決しないでくれるかな……」
そしてタクシーを降り、向かうのは駅前のデパート。
夏奥町の中心街にあるこの商業施設は四階建て、内部にはスーパーマーケット、飲食店、服飾店など10以上のテナントを抱える施設だ。郊外型ショッピングセンターとは比べるべくもないが、それなりに町の重心として機能している。
すでに異変は感じ取れる。町の周辺に何の明かりもない。真の闇に包まれているのだ。だいぶ遠くでは電力会社の作業車も見える。
「妙に暗い……この一帯が停電してるんだ」
「デパートの中にいるみたいね。カラノスケ、片目つぶっときなさい。眼を慣らさないと動けないわよ」
正面入口の自動ドアはカギが壊されていた。ガラス戸を手動で動かして中に入る。
「あ、やば」
「え?」
母さんに続いて中に踏み込もうとした瞬間。
前にいた母さんが暗闇に半分溶けつつ旋回し、その脚が僕の脇腹に食い込む。
「ほぐっれっ!?」
なんという強烈な蹴り、軸足のグリップを効かせて体重の何倍もの重みを生んでいる。1センチでもポイントがずれれば肋骨が5、6本へし折れる勢い。僕の体は藁のように飛ばされる。
果物か何かの陳列台に突っ込んだ。
「中央で数人がやりあってる、巻き添え食わないように外周に反って走りなさい、伊吹奇と合流するのよ」
そういえば音が散発的に聞こえる。
金属がぶつかり合うような音。
樹脂製のパネルがねじ切られる音。打撃音、破砕音。ガラスの砕ける音。火花が一瞬だけひらめくが、僕の視力ではそこに何がいるのか見つけられない。
暗闇の中で音が乱反射している。時おり近くに飛来物があり、野菜か何かを砕く。
「こ、こんな暗いところでよく戦える……」
もう出口の場所も分からない。僕はよろめきつつ立ち上がり、ひやりと冷たい陳列台を手がかりに歩く。
音はひっきりなしに続いている。
「父さん……父さん、ここにいるの?」
何度か来たことのあるスーパーだが、真の闇の中では地形などまったく分からない。
「お兄ちゃん、こっち」
すぐ近くから声がした。伊吹奇の声のする方に腕を伸ばし、体をつかむ。
「伊吹奇、無事だったか」
「うん、大変だったの。なんとかここに隠れたと思ったら、ミラはお菓子食べまくって暴走しちゃうし、ラジオさんが頑張って鱗を剥がしてるけど、お父さんは退治しようとしてて」
「え、ラジオさん?」
伊吹奇も混乱してるのか焦ってるのか、説明がすごく駆け足になってる。
ひゅん、と僕と伊吹奇の間に何かが飛来し、壁にぶち当たって中身を飛ばした。
強烈な甘い匂い、ジャムの瓶だ。
「うわっ!? もーラジオさん! こっちに二人いるんだよ!」
多分だけど中身の大半はこっちに来た。僕は全身でろでろにしながら身を伏せる。
「ラジオさん来てるのか?」
「うん、お父さんと同じ怪人を追ってる。ミラっていう子なんだけど、それは悪い子じゃないの。鱗を全部剥がせば大人しくなるみたいだって」
「とりあえずそのことはいい。父さんの精神状態がおかしいんだ。僕たちのことを忘れつつある、本当に幼児になってしまう」
「そうなの? ど、どうしよう……」
ということは、今戦っているのは父さん、ラジオさん、ミラとかいう怪人、それに母さんの四人か、そういえば音が増えたような気がする。ほとんど視界が効かないほどの暗闇なのに、店内の空間をいっぱいに使って戦ってる気配がある。
……ということは。
「母さんなら父さんを取り押さえられるはず。そのミラって怪人についてはラジオさんに任せられればいいんだけど」
「お母さんそんなことできるの?」
「たぶん。薄々分かってたけど並の人じゃない」
少しの沈黙、伊吹奇の事情はよく分からないが、暗闇の向こうで深く考え込む気配がある。何かしらの葛藤があるようだ。
「……うーん、でもミラは小さい子だし、私そんなにラジオさん信用できる訳じゃないし」
「……伊吹奇、そのミラって子は人間なんだろ。お前がずっと面倒見られるのか」
「そう、なんだよねえ、どちらにしても最後には誰かに任せないと。暴走させちゃったのも半分は私のせいで、それについては反省を……」
各人にこの場所に至った理由がある。戦う理由だとか、戦わねばならない事情があるのだ。
暗闇の底。人間にできることなど限られている。
しかし、もし僕が怪人たちの戦いに介入できるなら、多少なりとその勝敗に影響を与えられるなら、できうる範囲で精一杯の選択をせねばならない。限られた時間で、限られた光源で。
どごおん、と中央の方から轟音が響く。まさかエスカレーターが崩落した音か。どれほどの戦いになってるんだ。
「……よし、僕たちが押さえるべきは父さんだ。父さんの動きを止める。そうすれば後は落ち着くところに落ち着くはず」
「どうやって止めるの?」
僕は体についたジャムを手で拭う。体を明るいところで見たら大変なことになってそうだ。
僕は伊吹奇の胴に腕を回し、二人で少しずつ移動する。
「お菓子の棚まで移動して、チョコレートでもばらまいてみようか。父さんが食べにくるかも」
「お父さんはスズメか何か?」
それに、と闇の中で伊吹奇の顔が近づく気配。
「それだとミラも来ちゃうかも。あの子は動きながら食べてるの。ラジオさんが食事を阻止しながら戦ってるの」
「うーん。他に父さんの好きそうなもの……煙草はやらなかったし、お酒もあんまり……」
「お父さんの趣味って何だっけ……ゴルフだったかな」
「そうだな、たまにゴルフに行くのが何よりの楽しみで……」
あ、もしかして。
「伊吹奇、いまカメラ持ってるか、スマホでもいいけど」
「うん、持ってるよ」
「僕の合図に一瞬遅れてフラッシュを発光させてくれ」
「わかった」
神経を集中させる。
正直なところ誰がどこにいるのか全然分からないが、それでも測れるタイミングがあるはず。
狙うは全員が動きを止め、間合いを図ろうとする瞬間。息を吸い込んで肺で固める。
そして音が止む、一瞬の静寂。
叫ぶ、
それは英語で言えばFore、「前へ」という命令語だ。ゴルフ場にて打った球が誰かに当たりそうなときの警告音。
フラッシュの点灯。マイクロ秒の発光とミリ秒の残光。
その中で陳列棚の上、反射的にかがみこんだ父さんが照らし出され、そしてまた闇が訪れて。
数秒後、音が半分消えた。




