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第十九話 8月3日(3)


「すごい勢い……ドラミングって手のひらで打つのね」

「そ、そうだね……」


母さんは手早く夕飯の片付けを済ませて、リビングでDVDを見る。ソファに腰掛け、僕は部屋の隅のほうで壁に背中をつける。何となく自室に戻りにくい流れだった。


「ゴリラってお肉食べないのね。バナナと葉っぱだけであんなに筋肉つくんだ、経済的でいいわね」

「食べっぱなしだね……ちょっと歩いては食べてる」

「あ、アリ食べてる、美味しいのかしら」


そんなにゴリラ好きだったのか、知らなかった。


他のものなど何も目に入らない熱中ぶりである。今の母さんはよくテレビを見ているが、ジャンルは特にこだわらないようだ。ドラマにニュース、バラエティに料理番組まで幅広く見ている。そのどれも食い入るように真剣に見ていた……ような気がする。


「……母さんテレビ好きだね」

「そうね、テレビ見てたら一生なんてすぐ経ちそう」


冗談なのか何なのかよく分からないが、そのように言う。


「カラノスケ、そこ冷房が当たらないでしょ、隣に来たら」

「え」


母さんはソファの上で少しずれて、僕の座るスペースを作る。リビングのソファは1.5人用というところだ。


「いや、いいよ……そうだ、部屋でゲームでもするから」

「ゲームはやめときなさい」


ふいに、その言葉がくっきりと存在感を持って響く。


「え……」

「テレビを見なさい。テレビの中に何でもあるから、世の中のことを学びなさい。狩舞麻礼も言ってるでしょう、人はテレビと和解すべきだと」

「誰だよそれ」

「ほら座る」


ばんばん、と己の隣を叩く。なんだか少し前に似たようなことがあった気がする。


観念してそこに座る。ぼすんと、やや手狭なスペースに。

するとやおら肩を組まれた。


「えっ母さん!?」

「カラノスケ、耳垢ついてる、取ってあげるから寝なさい」


そのままぐいと引き倒される。肩を組むのではなかったのか。

し、しかし。耳が母さんの腿に密着して。


「動いちゃダメよ。母さん上手だから任せなさい」


耳かきはソファ脇の棚にあって手が届く。母さんは肘で僕の体を固定し、耳垢をほじり始める。

言うだけあって見事なものだった。痛みはほとんどないのに、的確に耳垢をこそぎ取っていく気配がある。


「耳垢って取らなくてもいいらしいよ……」

「私が取りたいの。ほら凄いの取れた、ドラえもんの鈴みたいのが」


そんなのが入ってたら死んでると思う。


「はい反対」


手際よく終えて今度は逆の耳、何者かも知らない人物とはいえ、警戒を抱かせない絶妙の手加減が感じられた。あっという間にそれは終わって、妙にすっきりした気分になる。


「あ、なんか風通しが良くなったというか……いい感じ」

「そうでしょう、お母さん名人だから」


思えば、誰かに耳掃除をされるのは初めてのことだった。

元の母さんはそんなことをしなかったし、僕の身だしなみにも注意を払わなかった。髪型も、頬についたご飯粒も……。


「……」


だから今の母さんの方がいいとでも言う気か。事態を解決しなくてもいいとでも……。

しっかりしろカラノスケ、そんな状況ではないはずだ。


頭を振り、耳垢の残りと余計な想念を追い払おうとしたとき。


がらがら、と背後でガラス戸の開く気配がして、僕はソファから転げ落ちそうなほど驚く。


「って、父さん!?」

「だだいま……」


それはまさしく中条烈火(レッカ)……と名乗るケチャップシャツの小学生だ。

しかし妙に気だるい様子である。リビングの床にどさりと倒れ込んで、もぞもぞと体を回転させて仰向けになる。


「お父さん、体が泥だらけですよ」

「遊び疲れた……もう寝るから布団まで運んでくれ」


……何だか、様子が変だ。


「カラノスケ」


と、母さんが僕に囁く。


「なに?」

「救急箱持ってきて、どこにあるか分からないの」


救急箱……。

それは確か、物置の奥、非常持ち出し袋の中にあるはず。そんなとこに置いていては非常時に取り出せないと思う。そのうち置き場所を改めようと思って、ずっとそのままだ。


僕は急いでそれを取ってくる。

父さんの部屋に入れば、ケチャップ色のシャツを母さんがハサミでじょきじょきと切っていた。


「母さん!?」

「しっ、皮膚に張り付いてて脱がせられないから切ったの」


見れば、父さんはすでに寝息を立てている。額に汗は浮いているものの、胸を上下させての静かな眠りだ。電池が切れたような、と言うべきか。


「大怪我なの?」

「見てみなさい、あ、ちょっと胸にタオル巻いときましょうね」


いくら父さんだとしても女の子だ、一応の配慮は必要だろう。

そして示された体、その腹部には三本の裂傷。サインペンほどの太さがある三本の傷がふかぶかと刻まれている。

しかし、僕の目の前で傷は煮え立つようにじくじくと動き、端の方では赤茶色のかさぶたが生まれ、ぽろぽろと剥がれて真新しい皮膚が現れる。父さんが全身真っ黒に焼けているために、治った部分だけがピンクの筋となって残っている。


「治っていく……」

「完治まで一時間ってところね。腕の骨が折れてたけど、骨接(ほねつ)ぎの必要はなさそう。筋肉の働きで自然に元の位置に戻ったわ」

「き、救急車呼ばないと……」

「やめといた方がいいわ、お父さん普通の体じゃないでしょ」


……なぜ平然と対応できるのだろう。

やはり、この二人は関係しているのか。ならば、ここは母さんに任せるしかないのか……。しかし、この腹の傷の大きさ……。


「な、治るとしても……ひどい傷だよ、こんなの普通じゃない、もう少しで死ぬような事が起きたんじゃ……」

「そうね……」


中条深天(ミソラ)は、何か考えるように指を噛み。

ふと僕のほうを振り替えると、顔を正面から見つめてくる。


「? あの……母さん」

「えい」


いきなり抱きつかれた。


「ちょっと母さん!?」

「うちの息子は愛らしいわね。大きくてたくましい男の子って感じ、いっちょまえに家族の心配しちゃって、きっといい男になるわね」


凄い力でぎゅっとハグされ、背中をさすられる。僕は藻掻くものの逃げ場がない。胸も容赦なく当たるし、抱きつかれると分かるが母さんは洒落にならないボディをしてる。


「か、母さん、じゃれあってる場合じゃないでしょ! 父さんの容体どうなるか分かんないんだし」

「うん、実のところ不安要素はあるの」


互いに離れて、改めて母さんは布団の方へ向き直る。父さんの肌を軽くさすると、くすぐったいのか寝たままでへらへら笑う。


「この回復力、ネオテニーってやつかしら。幼児期の細胞活性力を全身に反映させてるとか」

「どういうこと?」

「例えば脳細胞の例だと、その成長のピークは生後6か月から12か月、隣り合う神経細胞同士がニューロンで接続されていくけど、その速度は一秒に10万本と言われてるのね。他の生物で言うとホヤなんかはほんの一欠片になっても完全な形で再生するのよ。未成熟な細胞は修復が早いとかそういう理屈が成り立つのかも」

「全然分かんないんだけど……」

「だから、お父さんが幼児の姿をしてるのは、強い生命力を得て長く戦うためじゃないの、ってこと」


……。


それは、何だか踏み込んだ発言だ。そんなことを僕に説明してもいいのだろうか?

あるいはまったくの嘘を? そうとも見えないし、わざわざ嘘で煙に巻くのも変だと思うが……。


「そして大事なのは、もう戦いは終わったのかってことよ」

「戦い……」


「ううーん」


父さんがのっそりと上半身を起こす。


「うわ起きた!?」

「うーん体が痛い……なんか熱っぽい」


寝ぼけたような、誰に言うでもないことを喋っている。そうして眠たげに目をこすっているとまるきり子供だ。

すると、その正面に母さんが指を突きつける。


「お父さん、この指を見なさい」


すると中条烈火の背骨がぴしりと伸び、その幼い瞳が真ん丸に開かれて、寄り目がちに指先を見つめる。


「何してるの?」

「ただの凝視法。事情を聞き出してみようと思って。大改造だけど肉体に寄りすぎてて精神の防御が甘そうだなとは思った。でも簡単すぎるわね。お父さん自体は何も知らないのかも。一兵卒ってやつね」


つまり……催眠術? 母さんはそんな技術まで。

中条深天(ミソラ)は父さんの目蓋が半分落ちてくると、その頭を抱え込み、頭蓋骨の奥に語りかけるように言葉を放つ。その大きな胸に顔を埋めたまま、父さんはなんだか表情が緩んでにやにやと笑い出すかに見える。


「あむ……」

「お父さん、今日はたくさん戦ってきたみたいですね、もう敵は残ってないでしょう」

「残ってる……残ってるよ、まだいる」

「そうでしたね、あれが残ってましたね、誰かに知られたら大変ですね、じゃあそれの名前をこの箱に吹き込んどいてください」


母さんは救急箱を開いて目の前に差し出す。何でも、催眠状態であっても秘密を話させるというのはハードルの高い行為であり、自分が秘密を守るために行動している、と思わせるのがコツなのだとか。あとで聞いた話だ。


「吹き込む……うん、今はワニ男。それを倒さないと……」


ワニ男……。

それは確か、伊吹奇の追いかけていた都市伝説。春先にこの町で噂になったという怪人。


倒されていなかったのか、再びこの町で活動を始めたと……。


「そうですか、ワニ男を見つける目星はついてましたよね?」

「うん……」


びくん、と父さんが短く痙攣する。

催眠によって誘導されながらも、心の奥底で抵抗を示すような、そんな動きだ。

だが母さんの方が上手なのだろう。やがてもごもごと口を動かし、小声で言葉を紡ぐ。


「中条、伊吹奇」




「あの子がワニ男をかくまっている……」


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