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第十四話 8月2日(1)



「持ってきたよー」


伊吹奇が手に入れてきたのはカメラに装着できる望遠レンズ。夏奥げおく中学の天文学部が使っているもので、伊吹奇のカメラにも装着可能なのだとか。


「そういえば部室棟に天文学部もあったな」

「うん、ご近所のよしみで仲良くさせて頂いてるのです」

「なんか所帯じみたコメントだなあ」


しかし立派なレンズだ。カメラのことは全く分からないが、伊吹奇は三脚を器用に組み立て、バズーカのような望遠レンズを装着してみせる。


「150-600mmの超望遠だから、あのタワマンの上からなら町じゅうどこでも撮れるよー」


僕はと言うと撮影環境の整備である。凍らせた麦茶と玄米サブレ、タオルとうちわ、各種お菓子にスマホ充電用のモバイルバッテリー。釣りが好きな友人から大型のクーラーボックスを借りて、そこに保冷剤とともに詰め込む。


「釣りでも行くの?」

「このぐらいしか思いつかなかった……」


とはいえ今は行動あるのみ。僕たちは5時半起きでそそくさと身支度を整え、母さんの用意してくれた朝食をかき込む。朝早くだと言うのに、きっちり一汁三菜の立派な和食である。


「今日は撮影に行くんだったわね」


母さんの問いかけには澄まして答える。


「そう、バスを乗り継いで遠くの山まで」

「夏は大作を撮る予定なの。お兄ちゃんもスタッフとして協力してくれるから」


我ながら白々しい言葉だとは思うが、現在の母さんの素性も分からない以上、ありのまま説明するわけにいかない。


そんなこんなで駅前に移動。時刻は6時過ぎで、まだ町に人は少ない。カラスが道路の真ん中に陣取って、この町の王のように練り歩く。


「それで、どうやって上に行くの?」

「ああ、学校で聞いて回ったらこのマンションに住んでるやつが見つかってな、屋上に上げてくれるように頼んだんだよ」

「でも管理人さんとかいるでしょ、怒られるよ」

「管理人さんが9時に出勤してくるから、それまでならいいんじゃないのって。来週は花火大会だろ。このマンションから撮影したいから、ロケハンさせてくれって頼んだら了解してくれた」


それは日付で言えば8月11日、この町でささやかな夏祭りが開かれ、花火大会も行われる日だ。段数はおよそ80発で、三尺玉もナイアガラもない。広くから観光客の集まるようなものとは比べるべくもないが、この町では多くの人が楽しみにしている祭りである。


話はとんとん拍子に進む。20分後、僕らは屋上に近い階段にカメラを構えていた。


「うん、丁度公園の方に向いてる、十分狙えるよ」


三脚の一本を伸ばし、階段の段差に合わせるように設置して構える。伊吹奇は階段に座り、三脚を己の膝で抱え込むように構え、灰色の日除けシートをすっぽりとかぶる。僕は重しでそれを止める。


「それ必要なのか?」

「ここで撮影してるのが見えると不審者扱いされるし……。地上から見える距離じゃないから大丈夫だと思うけどね。お兄ちゃんはいちおう、他のビルから見てる人がいないか気をつけてて」


地上28階から屋上へと上がる階段。高さは80メートルはある。今日は比較的風が弱いが、それでも聞こえるのは高空を吹きすさぶ風切りの音。マンションに吹き付けて二つに分かれる風の流れだ。


僕たちはトイレが近くならないよう水分を控えつつ、ヨウカンなどをつまみつつ待つ。


「お父さん来たよ」

「よし、現在7時55分。父さんが区役所に着く頃か」


区役所の開庁時間は8:30~17:15となっている自治体が多い。父さんは少し早めに出勤している印象だ。


「お父さん役所の入り口でキョロキョロしてる、私たちが来てないか見てるのかも」


どうやら今日は気づかれてないらしい、狙い通りだ。


「入っていった……ロビーの冷水機でお水飲んでる」

「よし、周囲を見張ろう」


僕も高倍率の双眼鏡を持ち出し、役場の周囲を見張る。

父さんが区役所で働いている気配はない、おそらく役所でしばらく時間を潰してから、どこかへ移動しているのだろう。

区役所の東西南北、どこから父さんが出てきてもいいように見張らなければ……。


どん。


そんな音が響く。


「……ん?」


今のは何だろう。双眼鏡を向ければ、商店街の方向からひとすじの白煙。


「あれは……火事?」


ガス爆発でも起こったのだろうか。事件ではあるが、今の僕たちの目的とは関係ない……いやでも、ここから何か分かるなら通報できることもあるかも。


「変だよお兄ちゃん」

「どうした?」

「区役所ってパトロールカーがあるでしょ。あれが急発進したの、しかも、お父さんがそれに乗り込んだ」

「……何だって?」

「お父さん、走りながら……走行してるパトロールカーの助手席側を開けて乗り込んだの、どうして、そんなことあるはず……」

「危ない乗り方だな……そんなに慌てて」

「違うの、運転席側・・・・に誰も・・・乗って・・・かった・・・


なっ……。


「自動運転車なのか……? 特殊な車とか」

「車内が暗くてよく見えなかった……でも、そんな気配なかったような。どこにでもあるようなパトロールカーだし」

「……」

「たとえば……運転手が透明人間だった、とかなら説明がつくけど、でもそんなこと……」


妹の動揺した顔を見て。

その瞬間。左側面に感じる気配。


「!」


衝撃。

何かが割れる音。体全体に網がかぶさるような感覚。粘性のものが全身に付着。髪にも鼓膜にも圧がかかる。


「うわっ!?」


そして悪臭。チーズの腐ったような匂いだ。衝撃で目を閉じてしまったが、一瞬後に眼を開ければ周囲は真っ赤に染まっている。


「あーーーーーーっ!?」


カメラを抱えた伊吹奇が叫ぶ。そのカメラレンズを何かが直撃し、封入されていた液体が飛び散ったのだ。伊吹奇のかぶっていた日よけシートも、僕のクーラーボックスにもべっとりと赤インクが。


「ひどーい! カメラにペンキついちゃってる! うわっめちゃくちゃ臭い!」

「こ、これ、防犯用のカラーボールじゃないのか、昔一度、コンビニ強盗に投げたのを見たことがある」


走り去る犯人に容易に当てられるものでもなく、中身のインクはコンクリートに華を咲かせるのみだった。鳥のゾンビが飛び回るような強烈な匂いが巻き起こり、コンビニの店主が懸命に掃除したものの、数日間臭いが落ちなかった。実に気の毒な光景だったのでよく覚えている。


しかし、どこから。


「そんな馬鹿な……地上28階だぞ。地上から投げたっていうのか、いったい誰が……」

「うう……ぎりぎりレンズは割れてないけど、これ染料落とすのものすごーく大変だよ……臭いし。貸してくれた子に何て言おう……」

「伊吹奇、逃げよう」


僕が手を引き、伊吹奇はえっと首を傾げる。


「見つかったんだ、父さんじゃない誰かに……。これ以上は危険だ。ここに直接来られたらどうなるか分からない」

「……う、うん」


僕たちは荷物の全てをクーラーボックスに突っ込み、伊吹奇は三脚を抱えたまま階段を駆け下りる。


たっぷり28階、数分かけて降りきったところでタクシーを捕まえ、僕らは家に直行した。運転手さんは僕らの悪臭に思い切り顔をしかめたけれど。





『それは……何とも奇妙な話だね』


僕たちは家に帰ると伊吹奇、僕の順番でシャワーを浴び、機材をとりあえず臭いが漏れないようにゴミ袋で包んで学校まで運ぶ。伊吹奇はというと学校の入口で別れた。映研の部室へ行ってカメラの洗浄をするという。

手伝おうかと言ったら頑として断られた。


「カメラの分解清掃は命がけなんだよ! 素人がやっても死ぬだけだよ!」


だそうだ。


まあ夏休みとはいえ部活に出ている生徒も多いし、身の危険があるという雰囲気ではない。それより僕はラジオさんに相談したかった。預かってるカギを用いて高等部の屋上へ。

ラジオさんは変わらず呼びかけに応じてくれた。僕は先ほどの出来事を説明する。


『野球の硬球は148グラムほどだが、ギネスブックによれば遠投で160メートル投げたという記録がある。防犯用のカラーボールは重量110グラムほどらしいが、マンションの28階に届かせるというのは人間の限界を超えている。投槍器のような投擲用の道具を使うとか、空気圧で射出するなどすれば、あるいは……』


確かに飛距離も驚異的だが、あの攻撃は伊吹奇のカメラレンズをほぼ直撃させた。そんなことが現実に可能なのだろうか。

ラジオさんは話しながらも考えをまとめているようだった。ボールの形状と空気圧の関係、カメラレンズの汚損などについて色々と話した後、このように言う。


『カラノスケくん、そちらの住んでるのは夏奥げおく町だったね』

「はい」

『僕はね、昨日から今まで新聞を読んでいた』

「え?」


なんだか話がずれたような気がして、僕は会話の流れを見失いそうになる。


『ネットの噂話も悪くないけど、第一に収集すべきは公的情報だ。僕は夏奥げおくで出版されている地方新聞、ミニコミ誌、それに大手新聞の地方版を可能な限り入手して読んでいた。少し気になったことがあってね』

「それで……な、何か分かったんですか?」

『君たちの町には、何かがいる』


ラジオさんの声が、僕の背を突き抜けて夏の空に拡散していく。




『そして君たちの町は、何かの実験場にされている……』


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