第十三話 8月1日
日は巡り、月は欠け、今年最高の猛暑を三回ぐらい記録して、また熱波がコンクリートの上を滑ってくる。
「こちらアルファ。対象はコンビニであんまんを買い食いして出てきた模様、尾行を移譲します、どうぞ」
「はーいこちらブラボー。区役所横の公園にて待機中、目標が見えました、尾行開始します、どうぞ」
「了解。アルファは噴水側より進入します、オーバー」
僕はコンビニの見える駐車場から足早に移動、区役所をぐるりと回り込んで、公園の東側から進入する。大きな百合の花のような噴水を横目に見つつ前進、前から誰か来るか気を付けつつ歩く。伊吹奇が西側から父さんを追跡しつつ向かっているはずだ。
父さんの通勤ルートはいつも同じ、コンビニで買い食いして、公園を突っ切って区役所へ向かうコース。区役所に入るとまず二階へ向かったり、トイレに入ったり、畳敷きの和室で漫画を読んだりする。
そして、いつの間にか見失ってしまう。
なので今日は公園から追跡することにした。
そして。
「あれ?」
ばったりと、伊吹奇と鉢合わせる。ライトグリーンのチューブトップに空色の膝丈スカートという軽快な姿だ。足はまだ幼さを残してビーチサンダルである。
僕たちは周囲を見回すが、家族連れが何人かいるぐらいでケチャップ色の小学生は見当たらない。
「これはやっぱり……」
伊吹奇が声を潜めて、僕もうなずきつつ返答する。
「まかれてる……尾行に気付かれてるな……」
※
『そうか、妹さんは男装してただけだったんだね』
伊吹奇の一件が落着して数日後である。
屋上の使用は映画撮影のためという触れ込みだったため、どうしても伊吹奇のコンペ参加の手続きなどの後になった。思ったよりは手間取ったが、僕たちは何とか屋上の鍵を預かり、無事にラジオさんと再開できた次第である。
伊吹奇のことも紹介する。妹は多少驚いた様子だったが、この不思議な相談相手にぺこりと頭を下げて自己紹介した。
「お兄ちゃんに女の知り合いがいたなんて……すごいことだよこれ、マリナーズが優勝するぐらい」
「よくわからんけど失礼なこと言ってるだろお前」
思えば、ラジオさんは妹が男装してることに気づいていたのかも知れない。家族間で入浴するのが稀なのかと聞いていたし。
ラジオさんの言う通り、家族のことについては僕自身が答えを見つけていかねばならないだろう。だが一人ではない。協力を求めることは可能なはずだ。
「ラジオさん、どうやら妹の事情は、他の家族のこととは無関係だったようなんです。次は、なぜ両親が少女になったかについて調べようかと」
『うん……中条深天さんと、中条烈火さんだったね。どちらから、という目当てはあるのかな?』
僕は妹と視線を交わして、口を開く。
「父さんから調べようと思います」
僕は変化した後の父さんと会話を交わしている。中条家の家族しか知らないような情報。父さんしか言わないような言葉。
あれは父さん本人なのか。あるいは全くの別人なのか。それを突き止めたかった。
「どう思いますか。美容整形とか、化粧とかで、40過ぎの男が小学生女子になることが可能かどうか」
自分でもとんでもない質問だと分かっている。だが、この調査の上で余談は禁物だ、何一つ確認しないままやり過ごすことはするまい。
「それはさすがに無いと思うけど……」
『可能だよ』
ラジオさんの言葉に妹が目を丸くする。もう少しでアニメのように眼球が飛び出すところだ。
『例えば骨を短くしたり筋肉量を減らす手術は存在する。あるいは頭部の移植だ、イタリア人医師がロシアで成功させたという話も伝わってる』
「頭部の移植……そんな馬鹿な、非現実的です」
『あるいは他者の記憶を植え付けた可能性もある。大脳の記憶野を移植するとか、催眠によって本人が持つのと同じ情報を植え付けるとかだ』
ラジオさんの言葉にはさほど真に迫った印象はない。あくまで可能性の上で、ということだろう。
「それ以外の可能性はありますか?」
『可能性だけならいくらでも。だがそれを並べ立てていくことにあまり意味はないと思う』
僕も夜中、布団の中で考えてみた。
何らかのドッキリだという可能性だってまだ残っているだろう。あるいは中条家の財産を乗っとるための犯罪とか。
もしくは、あのケチャップ色の小学生はやはり父さんの隠し子であり、何らかの理由で父さんは失踪、子供だけをこちらに寄越した。あの子は中条家にどうやって馴染んだらいいか分からず、とりあえず父さんの真似を。
そこまで考えてやめた。僕なんかが考えるだけ無駄だろう。考えが脈絡を失い収拾がつかなくなるだけだ。
『まずは、現在の中条烈火さんについて調べてみてはどうだろう』
「調べる……」
僕と妹の声が和する。
『まさか小学生が区役所勤めをしてるとは思えない。彼女がどこで収入を得ているのか、かつての中条氏のいた職場はどうなったのか、それを調べれば真実に近づけるだろう』
「お兄ちゃん、もうすぐ夏休みだし、私も協力するから一緒にやろうよ」
「そうだな……よし」
僕と妹はだいぶ前向きな気分になっていた。どんな突拍子もない事情があろうと、立ち向かおうと思えるほどには。
「ラジオさん、何か分かったら報告しますね」
『ああ……気を付けるんだよ、最近物騒な事件も多いし……』
「そうですね、父さん残業だとかで遅い日もあるけど、結構心配なんです。何せ外見が小学生だし……。なるべく早く真実を突き止めないと」
『……』
ラジオさんに沈黙の気配があった。
それは何と言えば良いだろう。声を放つフェンスというだけの存在なのに、ラジオさんの息づかいとか、言いよどむ気配、ためらいがちな気配というものが濃厚に伝わる瞬間がある。
まるで音声だけではなく、天に花開くアンテナがラジオさんの気配を、質感を、表情や体臭すらも届けて、僕の無意識に訴えかけるようなイメージ。
我知らず声が滑り出る。
「ラジオさん、どうかしましたか?」
『カラノスケくん、妹の伊吹奇さん、一つだけ約束して欲しいんだが』
「はい……何でしょう」
「ふぬむ」
伊吹奇のよくわからん相槌はスルーして、ラジオさんの言葉を待つ。
『優先させるべきは、中条烈火さんの事情を突き止めることだ。それを調べる過程で何を知ろうと、何を見ようと、深入りしないことだ。目的のこと以外に興味を持ちすぎないように……いいね、約束してくれ』
「はい……? あの、どういう」
『僕が何か言えば憶測になってしまう。どうか慎重に、日数をかけてゆっくりと調べるんだ、いいね?』
「……分かりました」
そうだ、焦るべきではない。
知りたいことは、一つだけ。
知るべきことも、ただ一つ。
それだけを、心に留めておこう……。
※
「お父さん、絶対私たちに気付いてるよ、でもどうやってまいたんだろ、注意してたんだけどなあ」
屋台でかき氷を買って、がしがし突きながら伊吹奇が言う。
これで尾行の失敗は四度目だ。夏休みだからといって、無限に機会があるわけではない。焦らないと心に決めたけど、さすがに方針を変えねばならない。
「お兄ちゃん少し食べる?」
「いやいい、舌が真っ青になるから」
今日は公園の東西から挟み撃ちにしたのにまかれた。父さんはかなり早い段階から僕たち二人に気付いてた可能性がある。
「区役所の人に聴き込みしてみる?」
「うーん……それで何か分かる気がしないんだよな……。事情を知ってても教えられるようなことなのか……」
言えるようなことなら、とっくの昔に父さんから説明されているだろう。
つまりはやはり、地道に父さんを追うしか無いということだ。
「しょうがない……いろいろ準備が大変だけど、他に手がないなら」
「うん?」
「あそこだ」
それは僕たちの町で最も高い場所。地上28階建て、うらさびれた夏奥町には似つかわしくない近代的なタワーマンション。
「あの最上階に行こう。空から見張るんだ」
空からなら、父さんを見失うこともないだろう。区役所に入って、そこで仕事をするのか、それともどこかへ向かうのか知っておきたい。
伊吹奇はタワーマンションに視線を投げ、そしてストローを噛みながら言う。
「うん、いい考えかも、それでどうやってマンションに入るの? オートロックあるでしょ」
僕はベンチから腰を上げ、拳を突き出して言った。
「それはこれから考える」
「えー」




