Heaven or Hell
おまたせしました
(ここは…どこ?)
八津飛は徐に目を開けながら、キョロリキョロリと辺りの光景を見渡す。さっきまで自分は母親と弟である穏雅といて、その乳母車を押していた筈。
しかし見渡す限り、母親の姿も弟の姿も、その乳母車の姿もない。8歳である八津飛の前広がる光景は、明らかにこの世ではない、神々しさと輝かしさに満ち溢れた場所だった。ここがさっきまで自分がいたところではない、まさに夢に見るような場所だということは8歳の八津飛の頭でも分かり、徐々にその顔には焦りと不安が芽生え始める。
「ど…どこ……ここ……? マ…ママぁ…おーがぁ…どこにいるの…」
ジワ…
次第に親や弟がいない、しかも知らない場所にたった1人でいるという事実を理解し始めた八津飛の胸は不安でいっぱいになり始め、その目にはジワリと大粒の涙が浮かび出す。8歳の少年がわけも分からずいきなり知らない場所に1人となってしまったのだから、そうなるのも無理はないだろう。
「ウ…ウゥ…ウワァン…ッ!」
するととうとう八津飛はその場にペタンと座り込みながら泣き始めてしまった。胸に渦巻く不安の嵐に幼い精神が耐えきれないから。
(さめろっ…! さめろっ……! ゆめなら…早くさめてよ…っ!)
でも幼い八津飛は、きっとこれは悪い夢なんだ。いきなりこんな知らない場所にたった1人で来るわけがない。だったら早く覚めろ覚めろと八津飛は蹲りながら強く念じる。
きっと大丈夫。目が覚めたらママもおーがもいる。
それだけを信じながら、ぎゅうぎゅうと千切れるくらいほっぺたをつねりながら、八津飛はこの悪い夢から目覚めようと試みた。
するとそんな八津飛に、
「おやぁ、ぼくどうしたぁん」
「……?」
ぽんぽんと優しく肩を揺すりながら誰かが話しかけて来る。優しい声と手つきに八津飛はゆっくりと顔を上げてその声のする方を見るとそこには、
「おやおやぁ、そんな泣いちゃって。せっかくの可愛い顔が台無しね。ほぅら、おばちゃんが手拭い持っとってからぁ、これ使って涙拭き」
きっと何百何千と動かして来た証であろうしわっしわな手と、何百何千もの表情を作って来た証であろう線が無数に入った顔で、1人の老女がいた。老女は涙を流す八津飛に笑顔で手拭い手渡すと、八津飛はそれをそっと受け取り、遠慮した手つきで溢れる涙を拭う。そして自身の涙を拭い終えた八津飛は涙で濡れた手拭いそっと畳みながら老女にありがとうございましたと言って返す。
すると老女は悲しげな顔をしながら八津飛の顔を見た後、
「にしても…ぼくも可哀想にねぇ…。こんな若いのに死んじまうなんてぇな」
「え…」
いとも簡単にそう言った。
老女の言葉に思わず涙を止めてしまう程驚いてしまうと、老女はあらあらと口を抑えながら更に続けて言う。
「ま、まぁ…死んじまったもんはしょうがないさ。ばあちゃんの友達の親戚さんも若い内に事故で死んじまったから」
「じ…じこ……? っ!」
「大丈夫さぁ、悪いことなんかしてなきゃあ天国に行けっからぁ」
「……っ」
その時、老女は自分らが死んでしまったことをさらっと八津飛に告げた。ここがあの世で、今から天国へと行くんだよと。しかしそれは八津飛にとって受け入れ難き真実であり、かたかたと体中が震え始めてしまう。
でも辺りをもっとよく見渡せば自分のような子供なんかおらず、大半を占めるのは老女や老男ぐらい。たしかにお父さんやお母さんのような若い男女や犬猫などの動物とかもいなくはないが、それでもその数は圧倒的に少なかった。
そして何より、これは夢だと思って再び頬をつねっても、一向にこの現から覚めない。それ即ち、自分は本当に死んでしまって、ここはあの世だということを理解せざるを得ないということだ。
ガクガクガク…ッ
膝が笑い始める、腰が砕けて立ち上がれなくなる、信じ難い事実に、自分が死んだという真実に八津飛は恐怖してしまい、言葉が出なくなる。
「大丈夫かぃ? ごめんねぇ、ぼくにはちょぅっと信じられないことだったね」
「はっ…はぁっ…はぁっ…!」
不安で胸が苦しくなって、息をするのすらまま八津飛はならなくなってしまう。ひゅうひゅうと息を吸っても、体内にちゃんと入っていないのか、それとも息の吸い過ぎなのか、八津飛は胸を抑えながら真っ青な顔でその場に蹲まる。
すると申し訳なく思った老女はそんな八津飛を安心させるため、優しくその背中をさすってやった。自分の言葉でこんな小さな子がこうなってしまったという罪悪感と、自身の配慮の無さを恥じて。
それからしばらく八津飛は胸を抑えて苦しんでいたが、時が次第に彼の心を落ち着かせ、ゆっくりゆっくりと呼吸を落ち着かせてゆく。加えて老女が側でずっといてくれたのもあっただろう。
「はぁ…ふぅ……ご、ごめんなさい……」
「いいんだよぉ、どぉせ時間はたっくさんあるんだからぁ」
「と、とりあえず…おちつきました……ありがとう…ございます……」
「それじゃあおばちゃんと行こうか。ここで待っててもいけんしね」
そうして八津飛は老女と共に遠くにある建物へと歩き出す。他の人達もその場所を目指して歩いており、次第にその数は増え、列となってゆく。道中、自分が死んだことを受け入れられずこの場から逃げ出そうとしたり、その場から動かない人もいたが、自分にはどうしようもないと八津飛は目を向けるしか出来なかった。だってここにいるのは自分含めて死んじゃった者達しかいないのだから。
死ぬのは怖いことだ、でもいざ死んじゃってもこうして意識はある。
死んだらどうなるのか分からなかったから怖かった。何もかも消えてなくなっちゃうかとしれないから。
でも死んでもこうして意識はあるし、手足だってあるし、自由に歩けてもいる。
これからどうなるのかを考えたら怖いけれど、少なくとも死んでもこうして意識はあると考えると、多少の恐怖を八津飛は取り除けていた。
そしてその老女と共に八津飛は人々の列に並び、自分の順番を待つ。きっとこの建物で地獄行きか天国行きかを決めているのだろう。自分はどっちに行くんだろう、地獄に行ったらどんな罰を受けるんだろう、天国だったらそれはどんな場所なんだろう、そういえば嘘をつくと閻魔様に舌を抜かれるとお母さんが言っていたっけ、などと思いながら。
並んでしばらく経ち、付き添ってくれた老女の判決が終わった後、とうとう八津飛の番が来る。天国か地獄か、それとも全く別の場所なのか、ドキンドキンと八津飛は緊張しながら自身に下される判決を待った。
しかしその判決は八津飛の想像以上に早く下されることとなる。やはりたった8年しか生きていない者だからか、犯した罪も積み重ねた善行も他の者と比べたらずぅっと少ないからだろう。
そんな八津飛に下される判決、享年8歳の魂が行く場所は、
「お前は天国行きだ。来世が決まるまでそこで暮らしていろ」
天国であった。
判決によって八津飛の魂は天国へと行き、来世が決まるまでそこで暮らすこととなった。とは言えど家族も友達もいない場所で、知っている人なんかいない場所で8歳の子供が暮らせるわけはない。故に八津飛は必然的に天国の孤児院、いわば幼くして残酷な運命によりその命を落としてしまった子供が集う場所へと向かった。
そこには八津飛を始めたくさんの子供がおり、1番年上でも16、17歳ぐらいの子供ぐらいだった。むしろ赤ん坊や年中、そして八津飛と同じ小学生くらいの子の方がずっと多い。
だがそんな自分らを守ってくれるのは、同じく死んだ大人の魂……ではなく、天界から来たという天使達であった。見た目は優しい人という感じだが、背中から生える翼や頭にある輪、そして何より神々しい雰囲気に八津飛を始め、その場にいる者達は皆感じていた。何しろ絵本や本でしか見ない、空想上のモノとしか思っていなかった天使が今、自分らの目の前で動き、話しているのだから。
しかし天使達は本で見るように優しく、そして分け隔てなく自分らに接してくれた。
そんな天使達と共に八津飛や子供は来世が決まるまで過ごすこととなった。だがやはり自分の知らない場所で知らない人達と過ごすというのは自分ら未熟な子供達には耐えきれず、中にはママやパパ、家族や友達が恋しいとホームシックで泣き出してしまう子も少なくない。
もちろん八津飛もその1人だったが、
「うぇえんっ…」
「だいじょうぶだよ…だいじょうぶ…」
幼き頃から弟穏雅の面倒を見て来た八津飛はその子供達の前ではあまり泣かず、むしろ天使や他の年上の子供達と一緒にあやす側の人間であった。自分も泣いてこの幼い子達を不安にさせちゃあいけない、この子達の親や兄弟という家族にはなれないけれど、1人の友達として安心させることは出来るかもしれないと。
けれどそれでも誰もいない場所では、特に自分達を守る天使達の前では、
「ゥゥ…ママ……パパ…。おーがに…かぞくにあいたい…っ」
「よしよし、大丈夫大丈夫。泣きたい時は泣いたっていいんだからね」
大粒の涙を流して甘えてしまっていた。自分だって寂しいし、親や家族が恋しくって泣きたい。それでも自分が泣いたら他の子を不安にさせてしまうから、自分が泣いたら幼い子をあやしている他の子や天使達に迷惑をかけてしまうから、だから誰にも迷惑がかからない時間に、八津飛はその涙を見せるのだ。
そんな幼い八津飛を天使は優しく包み込みながら、落ち着くまで側にいてあげた。このような子供達を天使達は何百何千と見て来たから。普段は迷惑をかけまいと懸命に取り繕うけれども、本当は自分も家族が恋しくてたまらない子を。
そうして多くの者達を時に支え、自分も支えられながら八津飛は天国の孤児院にて時を過ごす。時が経つに連れて来世が決まり、施設を出て行く者がいれば新たに入って来る者もいた。
すると次第に八津飛も天国での生活に慣れ始めたのか、今でも親元や家族のことを寂しく思うことはあれど大粒の涙を見せることはほとんどなくなる。
そして八津飛の中では新たに自分らを守ってくれる天使達への尊敬の念が芽生え始め、いつかはあんな風になりたいと思い始めていた。自分も天使達の役に立ちたい、もっと手伝いをして、尽くされるだけでなく尽くすようにもなりたい、と。
と、思うが早いか、
「あのぅ…て、天使さま…」
「おや、どうしました?」
「ぼく……てんしさまのお手伝いが…したいんです…。なにか…ぼくにできることはありませんか?」
時を見て八津飛は1人の天使に、自分に何か出来ることはないかと尋ねた。
するとその天使はふぅむと少し悩んだ後、
「私達のお手伝いがしたい…と。なるほど、では少々上の者に掛け合ってみましょうか」
八津飛の純粋な想いを笑顔で受け止めた。
次回の投稿もお楽しみに
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