何でもない日々の中で
おまたせしました
正直、子供は好きじゃなかった。すぐ泣くし、ワガママだし、甘えん坊だし、周りをすぐに巻き込むし、それでいてか弱い。当然お世話になっている野田さんの一人娘である清奈も例外でなく、ガキンチョ特有の鬱陶しさがあった。
だがそれは最初からあったわけじゃない。むしろ始めのうちは人見知りなのか、私情の知らない人物に話しかける勇気がなかったのか、清奈はなかなかこちらに来なかった。野田さんには娘を見ててくれとしか言われていなかったので、自分から積極的に接するようなことはしなかった。せいぜい遠くから危ない目に遭わないよう、見守るくらいの距離を取る。
何せ、俺はかつて数多の人間の人生を狂わせて来たヤンキーなのだからな。そんな穢れた手で他人の子供を守るような大それたこと出来ない。
俺がやっていたのは清奈の学校の送り迎え、または行く前の支度の手伝い、夕飯が出来るまでの相手、宿題の手伝いとかだった。まだ7歳である彼女は想像以上に手間がかかり、何度も何度も思い通りにならないことを思い知った。だがそれでも俺は必要以上に近づくことはせず、客観的に見て遠くから見守っているという立場を取り続けた。
だのに、子供というのは不思議な生き物だ。
「おーがー、がっこーいこっ!」
「それじゃ野田さん、行って来ます」
「うん、行ってらっしゃい」
野田家にお世話になってから1週間しか経ってないのに、清奈ちゃんはもう俺になついていた。最初の人見知りは何処へやら、まるで俺を兄貴か何かと見て接して来る。こちらからは積極的に関わった記憶はないのだが。
しかし問題はそれだけでない。
「おーがにーちゃーんっ!」
「おーがにーちゃーんだっ! おーいっ!」
清奈ちゃんを学校に送るのと迎えに行く道中、他の子供達も俺の側に集まって来るのだ。俺の身長は160cmと小柄な方だが、小学校低学年の子供達から見ればやはり大きく見えるのだろう。彼らから見れば近所のお兄ちゃん的存在らしく、こうやって登下校の際に絡んで来る。
気が付いたら俺は娘さんだけでなく、道中の彼らも見守るようになっていた。子供を扱うのは好きじゃないのに。そして俺のことは噂となって瞬く間に地域住民に広がり、小学生のパトロール隊に入ってはどうかとの勧誘さえも来る程だった。
「やれやれ…俺、そんな人間じゃないのに」
(そうだよなぁ、お前は誰かを守るよりも、傷付ける方が得意だもんな)
小学生に揉まれながら清奈ちゃんを学校に送った俺は、付近の公園のベンチに座って勧誘のプリント片手に思い悩んでいた。自分の罪を償うためにこの力を使うと決めていたけれど、まさか他人と協力してまで他者を守るとは思ってもみなかった。それも自分が苦手とする子供を。
魔神の言葉はもっともだ。ついこの間の戦いでも、俺は力を振るうことが何よりも得意だと思い知らされた。目の前の敵を潰すあの時、俺の頭は最もよく働いたと言える。どうすれば他人を傷つけられるか、どうやれば敵を効率よく再起不能に出来るか、その最適解を戦いながら叩き出す頭になっている気がする。
それこそ、人ならざる者のように。
「……行かなきゃ。野田さんの仕事も手伝わないと」
(おう、そうだな。お世話になってるからな)
しかし悩んでいてもそうでなくとも、時間は平等に過ぎてゆく。お世話になっている以上、野田さんの仕事の手伝いも俺はするようになった。というかそもそも清奈ちゃんを学校に送った後、ただ家の中で1人留守番するのが退屈になったのだ。それで先日、俺は彼に仕事を多少は手伝えないかと尋ねると、力仕事程度ならやらせてもらえると言ってくれた。
具体的な仕事の内容は林の保護のための資材を運んだりだとか、伐採した木々の運搬とか、本当に力仕事ばっかりだ。とは言えど、俺としてはトレーニングの一環になってくれるから、ある意味願ったりだった。
そうして野田さんの家にお世話になってからおよそ2週間も過ぎると、俺は1人の地域住民として見られ、他者からの人望も得ていた。結局学校付近の小学生パトロール隊に関してはよく分からないうちに自然と入ってしまい、黄色い反射光のついた制服こそないものの、俺は小学生達を見守る立ち位置についていた。清奈ちゃんを送迎した後も、他の生徒達の登下校も見守り、交通安全の旗を年配の方々と共に振り続ける。
それが終われば付近の林や、遠くの山々の自然を守る仕事を手伝う。あくまでお手伝いさんという立ち位置なので、給料は滅茶苦茶しょっぱいが、それでも野田さんの家計を少しでも支えられればと頑張った。
夕方になれば一足早く戻り、学校の下校時刻に合わせて生徒達のパトロールに就く。そして低学年の生徒達に揉まれながら清奈ちゃんを家まで送り、夕飯が出来るまで宿題を含めて相手をする。
誰も俺を警戒しない。俺を見て怖がりもしないし、人並外れた力を持ってるなんて夢にも見てない。
あくまで1人の人間として、人並みの接し方をしてくれる。
「まったく…お前らの目の前にいるのは、かつて数多の人間を不幸にして来た奴だっつぅの」
(まったくもってその通りだな)
けど、そんな暮らしも決して悪くはないと思ってしまう。むしろこの安泰がいつまでも続いて欲しいとさえ願ってしまう。
もし俺に力がなければ、こんな風に家族と過ごせたのだろうか。兄を亡くすこともなかったのだろうか。母親にも捨てられずに済んだのだろうか。
いや、過ぎ去ったものに悩み続けるのは野暮だろう。今の俺に出来るのは、野田家というこの幸せな家族を支えることだ。そしてあわよくば、いずれこの町の民となって守ってゆけたらと思う。叶うか否かは分からないけれど。
そんな日々が続いたある日のこと、いつもと変わらず清奈ちゃんの宿題の面倒を見終え、風呂にも入れた俺は娘さんを寝床につかしていた。娘さんを寝かしつけた俺は洗面所で歯を磨いていると、
「穏雅君、少しいいかな」
「ん? プェッ、何ですか?」
野田さんが後ろから話しかけて来た。俺は口に含んでいた歯磨き粉混じりの唾液をペッと洗面台に吐くと、何の用だと尋ねる。彼の顔を見たところ、何か大事な話をしたいような感じだった。
口の中をゆすいでから俺は彼に案内されるがまま、普段食事を囲んでいるテーブルに触る。テーブルの上の照明しか点いていないこともあってか、辺りは暗く重い空気に包まれている。そんな空気の中で彼は語り出した。
「穏雅君、君は…娘とはうまくやれているかい?」
「ええ、まぁ、なつかれてますね。学校のお友達にも」
その野田さんの問いに俺はそう答える。実際、清奈ちゃん始め、学校の子供達との関係はあまり浅いものではない。
「そうか…それはよかった。少し安心したよ…親としてね」
「俺としては娘さんの方から接して来た感じでしたけどね。俺は何にもやってませんよ。学校のお友達も、みんな向こうから来るんです。子供ってのは怖いもの知らずですよね」
重たい空気を打ち消すため、俺は少し軽い口調で言ってみるが、どうやら野田さんの想いは別にあるようだ。話の切り出しや、表情から察するに娘さんに関することであるのは間違いなさそうなのだが…。
何て思ってると、いよいよ彼は決心したかのように話し出した。それを口にするのに、どれだけ大きな覚悟を持ったかと見せつけるように。
「……娘の母親、私の妻はね、娘を産んですぐに亡くなったんだ」
野田さんは一度そこで言葉を詰まらせるが、俺が返事をする間も無くまた語り出す。
「元々妻の体は強い方じゃなかったんだ。それに出産の施設もそれ程いいものじゃなかった。当時の人達を恨んでるわけじゃないけど…やっぱり私にはショックだった。付き合いは長かったから、それだけね」
「……そうですか」
俺は小さく頷くしかなかった。しかし、
「しかも産まれた清奈は母親似でね…時々あの子に妻の面影を感じてしまうんだ。だからこそ、あの子には幸せでいて欲しい。もし、もしも、あの子を失ったら…私はもう生きてられないかもしれない」
「縁起でもないこと言わないでください」
次の野田さんの言葉には反応せざるを得なかった。娘を亡くしたら生きてられない、そんな言葉耳にしたくない。そんなにあっさりと命を捨てないで欲しいと、俺は彼に言った。
すると野田さんははぁと深くため息をつき、
「君が…君なら娘を守ってくれるかい?」
と俺に尋ねた。
俺は、
「分かりません、今は、まだ…」
とだけ返すと、野田さんは顔に深く影を落としながら自身の寝室へと向かった。
後にはボウッと力無く光る照明と、机の上に伸びる自分自身の影だけが残っていた。
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