怪物たちと俺
おまたせしました
「ごちそうさま!」
「ごちそうさまっ!」
「ごちそうさま、そんでお粗末さまでした」
「ぐぉっ…ち……そぉ……さま…です」
夕食を終え、各自椅子を立ち上がる。
正希さんと美月さんは一緒に食器を片している。その姿は歳の離れた兄妹のようだった。
美月さんが正希さんに想いを寄せているのは知っている、というより誰が見ても火を見るより明らかだ。
「ねぇ、ししょー。今度、一緒にデートしようよー」
「仕事がひと段落ついたらな」
「あーん、そうやっていつも焦らすんだからぁ」
目の前であんな風にいちゃつかれては、深く考えなくても分かってしまう。
などと、他者に構っている暇は、俺には無かった。
「げっ、げふぅ…うぐぐ……ぐるじぃ……」
もともと大量に食べられるほどの胃袋ではないのに、自分の背丈以上の食料を出されてはたまったものではない。さらにダメ押しで、頼んでもいない『おかわり』が次から次へと目の前に現れる。
それ即ち、終わりの見えない戦いそのもの。例えるなら、HPが表示されず、あとどれくらい攻撃を通せば倒せるのか分からないタイプの敵。
さらに、
「お腹いっぱいのタイミングでストップって言ってね」
と告げたななしさんは、ストップという間も無く、素早い手捌きで俺の皿に食べ物を盛り付けていくのだ。
いつもこんな時だ、きっぱりと断る方法を熟知していない自分を恨むのは。
「はぁ……はぁ……ぐぇっ…ぷ……」
「だ、大丈夫? よかったら、部屋まで運ぼうか?」
「い、今…俺に触らな……ぃぇ」
俺をこうした元凶が心配そうな声でそう聞いてくる。しかし今の俺はまさに爆弾そのもので、少し揺すられでもされたら口からエレエレと戻す可能性大なのだ。
流石に居候させてもらっている家の中で、自分の分まで作ってくれた夕食を戻すわけにはいかない。
今は時間をかけて胃袋の中のものを消化するしかないので、下手な刺激は禁物だ。
俺は1歩1歩這うようにして部屋を移動し、なんとか寝室まで戻る。
それから20分ほどかけて俺は布団に入ることで、やっと一息つくことが出来た。少しは消化が進んでくれたのか、食い終えた時と比べてだいぶ体は楽になってくれた。それでもまだまだお腹は苦しいが。
「へぇい、律斗君。また僕お風呂入るけど、背中流してあげよっか?」
「い、いやそんなの…大丈夫です。1人で入れま…」
シュルルッ
「おっと、尻尾が滑ったなー」
「むぐー!」
ななしさんの棒読みと共に白い尻尾が体に巻きつき、容易に俺を持ち上げる。一切の抵抗を許さないその尻尾は俺を雁字搦めにし、必死にもがいても抜け出ることは出来ない。
せっかく腹の調子が落ち着いて来たというのに、また口から戻してしまいそうだ。
結局こうなるのか、と思いつつ俺はケフケフと胃袋から溢れ出る空気を吐き出すのだった。
そして相変わらずななしさんは、
「ねぇねぇ、体くらい僕が洗ってあげるからさぁ。そう恥ずかしがらなくていいじゃん、男同士なんだから」
「……」
揶揄いながら自分の体を見せつけて来る。その体を見ないよう必死に目を逸らしながら、俺は自分のもみあげを使って身体中を洗っていく。
しかしななしさんの大きめな体は、どうしても視界の中に映り込んで来るのだ。
その体を見るたびに自分の肉欲ともう1つ、疑問も湧き上がって来るのだ。
それはまさにななしさんのお腹。
自分も大量に食べたと思うが、ななしさん達は少なくとも自分の3倍以上は食べている。のに、その腹は膨れ上がるどころか、元の状態を保っているのだ。
「そんなに不思議かい? ならもっと見ていいよ」
スルッ
「ワッ…」
突然目の前を肌色が覆い尽くす。さらにそこにはおへその位置から腹筋の線が強調し過ぎない程度に引かれている。
そんな魅力的なお腹に言葉の出ない俺の耳元でななしさんは、
「よかったら触ってみる? 僕の…」
「お、な、か」
と囁いた。
「ーーッ!!」
俺は言葉にならない声を上げながらバシャァッと桶の湯をかぶると、そのまま大急ぎで湯船に逃げ込んだ。
そんな俺の姿を見てななしさんはケラケラ笑いながら、
「あはははっ! いやぁ、ごめんごめん。ちょっと揶揄い過ぎちゃったね」
と謝った。こんなふざけた謝り方をされているのに、変に許せてしまうのは何故だろうか。
俺は溺れないように湯船の端を掴みながら、笑い続けるななしさんを睨みつける。
ザプゥン
「ふぅー、いいお湯だね」
そんな俺の睨みなど気にせず、ななしさんは湯船に浸かり俺の横に体を置く。
それがからかっているのだと分かっている俺は、そうですねと心に思い浮かべるだけにし、口に出そうとはしなかった。どうせ今のななしさんの口からはからかいの言葉しか出て来ないのだから。
「ねぇ、新しい友達が出来たんだけどさ、会ってみない? その子たちに」
しかし実際に出て来た言葉は予想だにしていないものだった。心の準備が出来ていなかった俺は、ええっと思わず言葉を上げ、返す言葉に困ってしまう。
「えっ、そ、その人たちは…どんな人なんですか?」
ひとまず万能性の高い言葉で間を繋いで、心を落ち置かせる時間を稼ぐ。
「ふむ、どんな『人』かぁ……君と同じ感じよ、見た目は、ね」
するとななしさんは少し悩んだ後、そう答えた。
『俺と同じ見た目』をしている、ということはまさか俺と同じように……
「んー…かもしれないけど、別に憂鬱な雰囲気は無いから安心してね。どう安心しろって言われたらアレだけど」
「あっ、えっ、そうなんですか?」
「そうだね、君が思ってるような暗い感じじゃ無いよ。お風呂から上がったら教えてあげるよ」
「あっ、ありがとうございます…」
その言葉を聞けて、ほんの少し安心した。自分は決して良い理由でこの姿になったのでは無いから。
もし自分と似た姿をしているなら、それ相応の酷い経験をして来たのである、と。それによって少し前の俺のように、立ち直れない状態にあったのではないか、と。
しかしななしさんが暗い感じじゃない、と言うのならそれは本当なのだろう。
「それにしても君も君で不思議だよねぇ。あんなに食わせたのに、明らかに食べた量と実際の体の増加量が釣り合って無いもん」
「やっぱり、わざとかい!」
「あははっ、でも師匠の料理は美味しかったでしょ?」
「はいはい、美味しゅうございました!」
知っていたけれども、ななしさんのカミングアウトに俺はむかーっと腹を立てる。
しかしそれさえもななしさんは自分の笑顔に変換してしまう。その屈託無い笑顔を見せつけられては怒る気力も失せてしまう。
なんて鎮火した怒りの燃えかすをため息として吐き出しつつ、俺はななしさんと湯船から上がった。
「ふーん、光野さんと満筑義さんっ ですか…」
「まぁ、明日にでも会ってみて、だね。結論はそこで出す必要も無いし。師匠も君ぐらいなら、さほど食費も出ないだろうって言ってくれてるしね」
「そうですね。とにかく今日はもう寝ます。いつもながら、色々ありがとうございます」
「ふふっ、そうだね、もうおやすみ」
そう言って俺は布団に潜り込む。すると布団越しにななしさんがスタスタと部屋を出て行く音が聞こえる。
俺はゆっくりと目を閉じ、もしもななしさんと会えていなかったら、もしもあのまま逝っていったら、もしも彼と打ち解けていたら…なんて想像してみる。
結局あの後、彼は何処へ行ってしまったのだろうか。あれほどまでに自分を憎んでいたのに、気がつけば何処にもいなくなっていた。
あれから俺の耳に、『神災』の進展や新たな被害者の叫び声は届いていない。
次回の投稿もお楽しみに




