第六話 友人からの忠告
謁見の間を出たソルディスは足早に離宮へと戻ろうとした。
「お久しぶりですね、ソルディス殿下」
そんな彼に気負わない声で挨拶してくる人物に、ソルディスは立ち止まり振り返る。
視線の先にいたのは黒髪に薄い緑色の瞳をした青年だった。彼は黒を基調とした布地で作られた精霊族の民族衣装を身に纏い、優雅な足取りで幼き王子の側まで来た。
「ディナラーデ卿、見えられていたのですか。あなたはなかなか登城されないと思っておりました」
かつて王位継承者の立場を棄て聖長と駆け落ちしたアルガス王子の遺児、あのアーシアの兄でもあるディナラーデ卿は、その出生故にバルガスに厭まれており王宮に顔を出す事が許されること自体少なかった。
「さすがに次代の国王の誕生を祝う祝典から排除するのは難しかったようです。明日の殿下の誕生の儀、心やりお祝い申し上げます」
「ありがとうございます。嬉しい限りです」
儀礼的な挨拶を済ませて、双方共、一礼後立ち去ろうとした時、
「ソルディス王子!」
と少し離れた場所より強い口調で呼び掛けられた。
謁見の間を押し問答の末飛び出し、やっとの思いでソルディスに追いついてきたレティアだった。
ウィルフレッドは彼女の登場に少し目を見張ったが、すぐに張り付いたように笑みを浮かべる。
「どちら様ですか?」
かれのことばに王女としての礼が足りてなかったと判断し、レティアは居住まいを正した。
ソルディスは『はあ』と諦めのため息を付き、双方を紹介する。
「ディナラーデ卿、この方はロシキス王女のレティア・リストラル姫です。姫、こちらは私の従兄弟に当たるディナラーデ卿です」
「ウィルフレッドと申します。お初にお目にかかります、竜の国の姫君」
紹介されると同時にウィルフレッドはレティアの手を取り、その甲に挨拶をする。
「……お初にお目にかかります、ディナラーデ卿」
ソルディスの端的な紹介と洗練されたウィルフレッドの挨拶にレティアは戸惑いの表情をした。しかし長年、王位継承者として育てられた彼女はすぐに表情を引き締めて挨拶を返した。
挨拶を受け、再度、静かに笑った彼はすぐに立ち上がる。
「従姉妹殿を手伝わねばならりませんのでこの辺りでお暇します」
「ルアンは神殿の方にいます」
「ありがとうございます」
従姉妹の居場所を教えてもらったことに礼を言うとウィルフレッドは颯爽と去っていった。
彼の格好は後ろ姿だけなら魔術師そのものだが、其処彼処に鍛錬された武術者の動きが垣間見える。
そんな彼を見送ってから、ソルディスはレティアに向き直った。
「……それで、王女、何かご用ですか?」
先程よりも艶やかで、無邪気な笑顔にレティアは目元を鋭くする。
「お前は、いつもあんな態度なのか?それに、お前にはいつもあんな態度なのか?」
怒気をはらんだ彼女の言葉にソルディスは更に小さく笑う。
「あんまり、解りにくくて、判りやすい質問しないでくれ」
だがその言葉にはいつもの無邪気さも、明るさのかけらもなかった。
ソルディスの変貌にレティアは呆れたように少し息を吐くと、先程まで自分がいた謁見の間に視線を向ける。
二人は随分前からの知り合いだった。
ロシキスとの国境の近くの町によく『静養』という名目で遠ざけられていたソルディスは、遊びに出ていた森の中で王城で自分を取り込もうとする貴族たちから逃げて来ていたレティアと出会った。
最初は現地で二人に学問と武術を教えてくれる師匠の取り合いをして、互いに相手を疎んでいた。
しかし村はずれに位置する森で彼が彼の師匠とともに刺客に襲われているのを見つけてから状況が変わった。
互いに互いを異性として意識する事がない彼らは男女の枠を越えた形で『友人』となっていた。
「それにしても噂以上に酷いな」
他国の使者たち……それも隣国の王族が居る前でのあからさまな叱責など本来ならばあってはならないことだ。
「いや、今日はお前やルミエール姫達がいらしたからましな方だったぞ」
ソルディスは小さく呟くと他人に見せる明るい笑顔でレティアに答える。
「お前、その笑顔、気持ち悪い」
「悪かったな」
ソルディス自慢の造り笑顔にレティアは不機嫌な顔で答える。
「目が、笑ってないからな。気色悪い事この上ない」
悲しい時、起こった時、辛い時、全ての時に笑う事を自らに強制してきたソルディスのその癖をレティアはこの上なく嫌っていた。特にこの城の中に居る時のソルディスはこれ以上にないぐらい『無表情な笑顔』で過ごしている。
自分の知っている彼はもう少し怒ったり、泣いたり、喚いたり、普通に笑ったりと表情が存在していた。
「それでも、笑わなければいけないから、ね」
「そうか」
静かに告げられるソルディスの言葉に、レティアはそれ以上の繰り言をやめた。
「それでは、最後に忠告だ……義父が呟いていたのを盗み聞きしたのだが、今日・明日バルガス王の動向に気を付けろ。
もしこの二日間に何事かを仕掛けられ、お前が王位継承に相応しくない物だと示されたら、リディアはさらに5年、バルガスの治世に苦しめられる」
リディアの法律では王位を継げるのは13才だが、神殿などに相応しくないと判断されればその後見人が王国の執権となり国営を執り行う事となっている。
更にその期間中に王位継承者が生まれれば、新しく生まれた赤ん坊に王位継承権は移る。
「わかってるさ。そしてその5年の間、俺は女を宛われて続け、望み通りの子供が出来たら殺される……だろ?」
だからこそ、バルガスはソルディスに一度たりとも縁談を持ってこなかった。下手にどこかの国の姫や有力貴族の娘と婚約させるとそちらに後見人の権利が移ることがあるからだ。
「義姉上がお前の婚約者になれば、義父どのが後見人となれるのだがな」
「それはどうかな、もっと弱小な国ならまだしも、リディアに次ぐ国の国王に国営を取られるのはさすがにこの国の貴族達が嫌がるだろ」
肩をすくめて答えたソルディスは、近づいてくる人の気配に、話はこれまでだと彼女に背を向けた。
「とくかく私は、義姉上がソルディス殿下に嫁がれる日が来る事を本気で願っています」
今までの会話が悟られぬようにレティアは声高にそれだけを述べると、踵を返して待合室の方へと戻っていった。
ソルディスは静かに目蓋を閉じ、呼吸を整えてから、いつもと変わらない笑顔を顔に貼り付け、離宮へと戻るのだった。