第三話 宴への誘い
「ソルディス殿下!何処にお見えですか」
王城の廊下に響く呼び声に、クラウスは顔を上げた。
ここは王宮の中でも人目に付きにくい城の外壁の側だ。父親に無理矢理つけられたうざったい目付役から逃れ、昼寝できる安息の地だ。
彼は傍らに置いていた剣を杖に起き上がると、近場の窓から建物の中に入った。
「ルアン、どうした?」
「クラウス殿下、ソルディス殿下を見かけられませんでしたか?」
ソルディスを呼んでいたのは弟の教育係も兼任している聖長のルアンリル・フィーナだった。
ルアンリルは自分と親しい王子の登場にほっと息を吐くと、ソルディスの行方を尋ねてきた。
「いや、今日は朝から見てないな。勉強をみていたんじゃなかったのか?」
王子の一日のスケジュールはだいたい決まっている。特に王位継承者の場合はその殆どが教育と剣術、馬術等に充てられる。
教育係もそれに添う形でスケジュールを組まれるはずだから、普通ならルアンリルがソルディスを探していることがおかしい。
「ええ、そうです。ただ、急に陛下から呼び出しがあって、自習をお願いしておいたら……」
「逃亡したわけだ」
「はい」
部屋を離れる時に『自習していてくださいね』というルアンリルの言葉にやけに素直に頷いていたのでいやな予感はしていた。勉強嫌いと回りから称されるソルディスがおとなしくしている筈がなかったのだ。
「そのうちひょっこり帰ってくるとは思うけど……」
もしソルディスに逃亡されたと父の耳に入れば、ルアンリルの立場は悪くなる。
聖長という立場のためさほどの罪にも問われないルアンリルという存在は、国王に取り非常に大きな目の上のたんこぶなのだ。
ましてやルアンリルはソルディスが早期に王位につく事を強く望んでいる。その部分でも王にとり鼻持ちならない相手である。
今回の呼び出しもソルディスをなんらかの形で逃亡させ、その責任を追求しようとする王のたくらみである可能性もある。
「おやぁ。聖長どの?
こんな所で如何しましたかな?」
嫌みなニュアンスを含んだ言葉を発しながら男が二人に近づいてきた。
バルガス王の腰巾着として名高いフロウラウ卿である。
彼は常日頃と同様に数人の取り巻きを連れていた。現在王に一番目を掛けて貰っていると自負し、その権力をひけらかすためにだ。
「今はソルディス殿下の勉学の時間ではありませんでしたかな?」
フロウラウは嘲るようにルアンリルに問いかけると、まだ幼さの残る二人を見下ろした。
聖長と名乗っていてもルアンリルはまだ15歳、一緒にいるクラウスも同じく15歳。年長のフロウラウにしてみればまだまだ世間知らずの子供である。
それなのに自分の主でもある国王に楯突くルアンリルや、その顔は父親に似ていながらも早々に剣の道へと進む事を決め国王の言う事すら耳を貸さないクラウス王子は目に余っていた。
「まさか、逃げられたのではないでしょうな?」
「誰に?」
嫌みの問いかけに重なるように幼い子供の声が響いた。
フロウラウが慌てて振り返ると光り輝く黄金の髪とどこまでも透き通る水色の瞳が笑いながらこちらを見ていた。
「ソルディス殿下、こちらにおいででしたか」
ルアンリルは安堵の息を吐くと年若い王子に駆け寄った。
「うん、早めに言われていた自習の部分が終わったからちょっと食房にクッキーを取りにいってたんだ」
確かに彼の身体からは香しく甘い匂いがする。それ以外に草露の匂いもするがこの場は黙っていた方が得策だろう。
「で、戦利品のクッキーは?」
明るくからかう口調の兄王子にソルディスは自分のお腹を指さした。どうやら空腹に耐えかねて食べてしまったらしい。
「で、フロウラウ卿、ルアンリルは誰に逃げられたんですか?」
にこにこと笑顔のまま問いかけてくるソルディスにフロウラウはぐっと息を飲み込んだ。
「いや、大したことではないですよ……それでは」
このまま此処にいることは自分の利益にならないと踏み、フロウラウは足早にその場を去って行った。彼の連れていた取り巻きも悔しそうな表情を隠さず、その後を追っていく。
「あーぁ、偶然とはいえ嫌な奴に会った」
クラウスは大きく伸びをすると彼らの去った方に舌を出した。
(クラウス殿下が居たのは偶然でしょうけど、私に会ったのは……)
ルアンリルの失脚を誰よりも望む王のことだ、ソルディスが部屋を出たのを確認した後にルアンリルを解放し、今度は探しに出たのを見計らいフロウラウを寄越したのだろう。
タイミング良く、ソルディス王子が戻ってきてくれた事が救いだった。
「で、ソルディス殿下。本当はどちらに?」
「食房でクッキーを手に入れてから裏庭で少し遊んでた……でも自習の部分が終わっているのは本当だよ」
ルアンリルの問いかけにソルディスはにこやかに笑いながら応じる。どうも食えない王子である。
始終笑ってはいるが、この王子の境遇がそれほど恵まれていない事は教育係の自分がよく理解していた。
王位継承権を持たないはずの───王位継承者を生み出さない筈の王族から生まれた正当なる王位継承者。
その存在故に、その事実故に、現王・バルガスは彼の出自を誰よりも疑っている。
特にソルディスが生まれた時には、まだ前王・キクルスが存命だった事もあり、彼の父親が誰であるのか疑問を持つ者は少なくない。
王子がバルガス王子と同じ水色の瞳を持っていても、だ。
国王は彼が自分の居住する範囲に居るのを嫌い、王宮内でも少し離れた離宮へ居を移させた。5歳にもならないうちからソルディスはそこで実の父から送られる刺客を退けながらずっと生き永らえていた。
勉学も武術も才が無いと言われるソルディスだが、そうではないことにルアンリルも、刺客を送り続けるバルガスも気付いている。
唯一の救いはソルディスの二人の兄達がソルディスの即位を望んでおり、彼と普通に接している事だ。
ここにいるクラウスにしても無理矢理『後継者』として名が上がってしまったサイラスにしても苦労の多い弟を大切に思っている。
「あ、そーだ、ソルディス。兄上が戻っているの知ってたか?」
クラウスは少し腰をかがめると自分よりも低い位置にある弟の目に視線を合わせた。
「え?帰ってきてるの?」
ぱあっと明るくなる顔にクラウスは満足して頷いた。
「ああ、だから今日は子供だけの宴をやるんだ。お前も来るだろ?」
「うんっ、シェリルも来るんでしょ?」
「当たり前。俺の部屋でやるから取り敢えず、着替えたらルアンと一緒に来いよ」
即答したソルディスに彼は苦笑した。
首を傾げる弟の背中をパンパンッと払った後、それにより汚れた手をソルディスの前にかざす。
「前はちゃんと払ったようだけど、後ろは泥・葉っぱ・草の汁で酷いもんだぞ」
「うわぁ……」
ソルディスの背中を見て、ルアンリルは思わず声を上げた。その声に『あちゃあ』と言わんばかりの表情を彼は作った。この様子でよく見つからなかったものだと、クラウスは改めて思った。
「このままだと余りにも酷いですね。さぁ、着替えましょう」
ルアンリルがそう促すとソルディスは観念したように部屋へと歩き始める。
「僕が行く前に始めないでね」
「はいはい」
「はいは一回で十分です」
「はい」
可愛い弟のおねだりと、かつては自分の遊び相手兼養育係としてのルアンリルの注意に、少し気分をよくしたクラウスは鼻唄を奏でながら自室へ戻るのであった。
王子たちは全員仲良しです。