第二話 壁の中の光姫
小さくこじんまりとしたキッチンテーブルにソルディスとアーシアは向かい合って座った。
「さぁ、どうぞ召し上がれ」
焼きたての温もりを持ったクッキーを摘んだ彼は、嬉しそうに口に放り込んだ。程よい甘さが口の中に広がる。
添えられている、紅茶も極上である。
美味しそうに頬張る姿に、アーシアは眩しそうに目を細めた。
「ソルディス王子はどうやってこちらに入ってこれたのですか?」
上品にクッキーを摘みながら、彼女は先程から気になっていた事を問いかけた。
ソルディスは自分が侵入する際に使用した壁の穴がある方を指さしながら、速やかに口の中のクッキーを飲み込んだ。
「あそこに子供だけが入れるぐらいの穴が開いてるんだ。どっちも茂みがあるから、重宝してる」
軽い口調で口元を綻ばせるソルディスに、彼女は彼の中の闇を感じた。
「よく衛兵に見つかりませんでしたね」
壁の中にいてもこの場所がずっと見貼られていることぐらいわかる。
「交代の時なら大丈夫。逆に言うと、次の交代まで僕はここから出られなくなったともいうけど」
アーシアの問いに肩をすくめ、戯けるソルディスに、彼女は「それは大変です事」とその笑ってみせる。
「今日は夜まで父上は客人の相手をしなきゃいけないから、しばらくここに居てもいいでしょ?」
首を傾けてお願いしてくる少年王子にアーシアは苦笑する。
あの『愚王』から生まれたとは到底思えないほど、優しさを持った王子だ。
父親ゆずりといわれる水色の瞳も『あの男』とは似て否なるモノ。その視線は彼女の暗澹たる心を払拭し、綺麗な輝きを放ち照らし包んでくれる。
「貴女はアルガス伯父様の子供?どうして貴女はここにいるの?」
短く確信を突く質問に、アーシアは目を見張った。
アルガスとはバルガスの異母兄で母親の身分は低かったが、前王とその正妃から王位継承者として扱われていた人物である。しかし彼は『私は王位継承権を持たない』という書き置きを残して、恋人と駆け落ちをしてしまった。たしかに、王族の容姿をもちながらその存在が知られていないのであれば、そのこどもを疑うべきだろう。
この王子は噂に聞くような『笑っているだけの王子』ではないのかもしれない。
彼女は注意深くソルディスの瞳を除きながら、もう一度挨拶をした。
「アルガスの一の姫でアルフレッド・アーシアと申します。
ここにいるのは……」
彼女はそこで言い淀んだ。
自分の存在を知られ、王宮に連行されたアーシアは、その容姿を気にいったバルガスの愛人になるように強要され、きっぱり断ると建物にいれられた。彼女のもつ体質のおかげで『女性として』の純潔は未だ守られているが……その事を目の前の王子にどう伝えればいいのか、戸惑う。
「父様に閉じこめられているのでしょう」
「!」
父親の性格や素行などソルディスが誰よりもよく理解していた。
王座に固執する王位継承権を持たない王。彼は自らの在位を長引かせるため、幾度となく自分の息子である彼に刺客を送り、幾種もの毒を盛っていた。
彼がソルディスと同じ王位継承権を持っていそうな女性を見つけたら、自分の物としないはずがない。
アーシアも自らの意志を封じられ、大事な人を盾に取られてここにいるのだろうことが推測できる。
「私は……」
「ごめん、厭なこと訊いて……ごめんなさい」
ソルディスは動揺で目が泳いでいる彼女に深々と頭を下げた。
彼女は首を振り『いいえ、いいえ』と小さく応えた。
「もうすぐ……僕が13歳になって王位を継げるようになったら」
彼はそこで言葉を切ると椅子から降りて建物の出口へと向かった。
このままこの場所に自分がいる事は彼女に負担になる可能性が高い。それは避けたかった。
「また、会いに来てくださいますか?」
アーシアはその小さな背中にか細く問いかけた。
少年は驚いたように振り返ると「いいの?」と問い返す。
「ここでただ一人、来るのは『あの男』だけ……私は狂ってしまいそうだった……殿下が来てくだされば、私はまだ普通でいられます」
「わかった、じゃあ、また会いにくるね」
王子は太陽のように笑うと来た時と同じように壁の小さな穴へと向かった。
衛兵の交代のまであまり時間がない。
彼は急いで茂みの中に身を潜めると頭だけ、壁の向こう側に出して気配を探る。時間通り、交代の衛兵は穴のある茂みの前を通り、壁の入り口へと歩いていく。
ソルディスはタイミングを計ると、来た時と同じように奥庭の茂みを縫って自らの離宮へと走っていった。
嵐の前の細やかな日常の一部です。
しばらくはこの日々が続きます。