第十六話:空蝉の死骸
ウィルフレッドはなかなか真実を述べようとしない王妃・ソフィアにに冷たい視線を向けた。
どのように自分を追い詰めるべきか考えているかのような仕草に、彼女は目を閉じてその姿を見ないようにした。背筋には冷たい汗が先ほどからずっと流れている。
言いようのない沈黙が起きた。
しかし、その沈黙は長くは続かなかった。
騒がしい足音ともに恰幅のいい男が部屋の中に乱入してきたのだ。
「ウィルフレッド様、こちらに見えられましたか」
小脇に白い布でくるまれた大きな球状の物体を抱えた男に王妃は目を見張った。その人物は夫・バルガスに取り入り、将軍位を得たオーランド卿だったからだ。
「さすが、ウィルフレッド様だ。王妃殿を押さえましたか」
彼は大きな熊のような体格には似つかわしくない猫なで声でウィルフレッドを褒め称える。
それはかつて、バルガスに取り入る時の姿にリンクした。
ウィルフレッドはうわべだけの世辞に関心はないのか、彼の脇に抱えられている物体を凝視している。
白い布は下の方が赤い液体で染められており、その中にあるものがあまり気持ちのいいものでないことを示している。
「実は、王を見つけましてな………訳のわからぬ事を言って、逃亡しようとしたので殺してしまいました」
ガハハと品の無い笑い声を立てながら、自らが仕えていた者を屠ったと報告する男は、自慢げに物体を覆っていた白い布を取り払った。
….…そこから転がったのは男の生首だった。
自分が待ちわびた夫の無残な姿を見て、ソフィアは暫し呆然とした後、頭を抱えてしゃがみこんだ。
「い……い……いやああああああああっ!!」
絹を裂くようなその叫び声は、王の間、そして鏡の向こうの通路にも響き渡った。
その声に気づいたのは王の間を最後に出たソルディスだった。
泣き叫ぶ、母の声。その声に、何が起きたのかを理解する。
「今のは、母様?」
ルアンリルに手を引かれたシェリルファーナにもその声が聞こえたのか、階段の途中で足を止めて耳を澄ませた。
シェリルファーナはつながれたルアンリルの手を払うと、後ろを走っていた兄の脇を抜けようとした。
しかし彼がそれを許すはずもなく、腕を捕まえられ彼女の足は止まった。
「行って何をするつもり?」
「でもっ……でもっ……」
常にない真剣なまなざしで止める、ソルディスに涙を目にいっぱいに溜めて暴れる。
「つっ……っ!」
不意に掴まれていた手が外れてシェリルファーナは階段を2,3段駆け上がる。
何が起きたのかと驚いて振り向くと、今までどうやって隠していたのか彼の右腕に赤い染みができていた。
どうやら暴れる彼女を押さえるために、右腕も使用したため痛みがぶり返したのか、痛みに顔を歪めている。
「ごめんなさい、ソルディス兄様」
シェリルファーナは自分がしたことに罪悪感を感じながらも、兄に背を向けて王の間へと戻るために階段を駆け上がる。
ルアンリルは傷の痛みにうずくまるソルディスに急いで駆け寄ろうとした。
しかし、彼はすさまじい勢いで駆け上る妹の後姿を指差した。
「ルアン、シェリルを追って!!早くっ!!」
彼は自分のポケットに入ったハンカチを出すと手馴れた仕草で止血を開始している。ルアンリルは彼の言葉に従い、末姫を追って王の間へと駆け戻った。
短い距離だからか、それともシェリルファーナの存外足が速かったのか、ルアンリルが彼女を捕捉できたのはあの透明な扉の部屋でだった。
開け放してあった鉄製の扉を抜けたところで、少女は呆然と立ち尽くしていた。
「お父様……?」
呟く彼女の視線の先に転がるものをルアンリルは最初理解できなかった。
無念に見開かれた目、だらしなく開いた口から零れている舌……そして何より首から下が何もない。あるのは真っ赤に染まったじゅうたんのみだ。
透明な扉の向こうでは同じように衝撃を受けた王妃がこちらを向いて床に座り込んでいる。
「いや……いや、お父様……うそ?」
ルアンリルは幼い彼女にこれ以上その悲惨な現場をみせないように、震える体を腕の中に抱きこんだ。
そして、今度はもっと詳しく転がる首を見た。
確かに、バルガス王だ。
水色の瞳……死に顔のせいか少し歪んではいるが確かに王の顔だ。
だが何かが違うようにも見える。
「父上の影武者か……」
自分の後ろから告げられた言葉にルアンリルは驚いて振り返る。
腕の治療を済ませたソルディスは忌々しそうに転がる首を眺めていた。
「シェリル、あれは父上じゃない」
ソルディスが断言すると、ようやくルアンリルの胸の中で自失していたシェリルファーナが視線をあげた。
「あの男が出ているということは、やはり父は逃げたらしいな」
無残な生首を前にしても眉一つ動かさずに状況を述べるソルディスに二人は何か違う人物と相対しているのではないかと錯覚する。
それとも普段自分達が接していた『彼』の姿が虚像だったのだろうか……。
「やはり、あの人が母や僕たちを迎えにきてくれるはずは、ないんだ」
ソルディスはただ辛そうに小さく呟いた。




