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007

ゼェ、ゼェ、ゼェ、と荒い息遣いになる。

いつもなら、こんな少し走ったぐらいじゃ息切れすら起こさない。能力を使わなくてもこんなことは起こったことがない。

なのに、初めてこんなに息を乱して、初めてこんなに吐きそうで、初めてこんなに、涙が出そうになる。


「うっぇ、」


せり上がってきそうな物を無理やり飲み込む。


怖かった。

初めてあんなに恐怖と言うものに自分が叩きのめされた。あの人に、あの威厳に、あの瞳に、怖く怖くて、あの人の一言一句に自分の細胞が反応するのがわかった。

絶対的強者。


自分の中の本能が逃げろと声を上げ、自分でも分からない何かが叫び声が殺せと嘆いていた。


恐怖するなら殺せと、自分より強ければ殺してしまえと何かが叫んでいた。

何故かは分からない、でも怖くて、どうしようもなくて、助けてと叫ぶ。


声にならない嗚咽を吐き出したあと周りを見渡す。

よく見ると、救護用に仕切られた場所まで走ってきていたようだ。

バタバタと、慌ただしく走り待っているのは軍人と先生。何人かの生徒の泣き声も聞こえる。


っ、

誰かが当たりそうになって咄嗟に避ける。

その人の顔を見ると邪魔そうに見られた。

周りを見渡して納得する。ここは救急の治療室の周りだから、忙しいのか。ここに立ってたら邪魔になるのかと納得した。


とりあえずここを抜けよう。

そう思い足を動かす。救急の治療室を抜けたらベットが並ぶテントがある。そしてその横には、軽い怪我をした人が来るテントがあり、そのまた横には自分で手当するためのテントがある。


そういえば、ここに来るのは初めてかもしれない。

今まで怪我という怪我を3人ともしたこと無かったし、わざわざ救護テントに来るほどの怪我なんてもってのほかだ。


「貴方、顔色が凄く悪いわよ。」


っ!バシ!!

肩に軽く手を置かれ、振り返るのと同時にそれを払いのける。

振り返ると見えるのは女性。

驚いたような顔をしている。

っ、

1歩、後ろに下がるとさっきと一緒。勢いを付けて走り出す。「ちょっと!」という声が聞こえるが、無視して背中を見せる。


静かな場所、他とは違う雰囲気のテントがポツンとあった。そこにに駆け込み入口のすぐ横に座り込む。

はぁ、はぁ、はぁ、おおきく息を吸いながら顔を埋める。怖い。怖い。怖い。

何かわからない、底知れぬ恐怖が自分の中を駆け巡る。なんで、なんで、ただの女性だった。それこそ、腕を捻りあげれば敵にもならない様な無害な女性。

意味のわからない自分の体の変化に頭が回る。


ポチョン


っ!

テントの奥の方から水滴が落ちる音がする。

.....そういえば、ここはなんのテントだろうか。

ゆっくりと立ち上がる。

半円型の、軍人用のテントと同じような形のテントを、ふちに沿って進む。


真ん中には真っ黒な布が上からぶら下げられており、その中は全く見えない。四方向全て暗幕で隠されており、中に何があるのかは全く分からない。

入口に行き着くと、自然と暗幕に手が伸びる。

後に思う。なぜ自分は、ここが軍用のテントと分かっていながら、この事に気づかなかったのかと。


開けるとそこは、薄暗いライトが上からぶら下げてあり、中心の機械を照らすためだけに置かれている。

あとは何も無い、四方を全て暗幕で隠されているだけの即興の部屋。

その中心にあるのは


「っ、りょ、う」


琥珀色の液体で満たされている医療カプセル。

経過観察の為にほとんどが透明度の高いガラスで覆われている。

さすが軍用と言うべきか、普通の医療カプセルなら半透明で、こんなに透明度の高い高級なガラスなんて見たことがない。

その中に入っている良は、項、尾てい骨、両足首の三ヶ所を浮かないようにカプセルの底とホースで繋がれている。


良の四肢の傷は全て綺麗に治っており、腕の怪我さえも皮膚が綺麗に貼り変わっている。

呼吸、している?

胸の肺辺りが微かに上下している。あ、違う、自動呼吸機が肺の中に入れられているんだ。

カプセルの底と体を繋ぐホースとは別に、細いホースが肺辺りから何本か出ている。


まだ、治ってない箇所があるのか、体全体的に小さい泡がポコポコと出ている。

首の箇所も、首と体が離れたと言われても信用出来ないほど綺麗に繋がっており、1本赤い線がうっすらと入っているだけだ。顔も頬は綺麗にうっすらと赤みがあり、顔色も悪くない。むしろ恐ろしいぐらいにいい。


これは、死んでるのだろうか。

もしかしたら生きてて、数日後にはいつものように笑って自分とリーシャを迎え入れてくれるのではないだろうか。

いつものように笑って、おはようと声をかけて、いつもの定位置で小言を言ってきて、それを自分とリーシャが笑って流す。そんな明日が来るんじゃないか。


もしかしたら、もしかしたら、そう思うとさっきまでのドロドロとしたものが軽くなる。

はぁ、はぁ、と大きく息を吐いて、涙が零れてくるのを止める。

もしかしたら、本当に、元の三人に、戻れるかもしれない。


そう思ったら嬉しくて、涙を堪えて口元に笑みが浮かぶ。笑っている自分がおかしくて、カプセルに手を付きながら口元を触る。

手で触っても変わらない。今、自分は笑っている。

「ははっ」と声が漏れる。


もし、そんな明日が来たら、もし、また自分に笑いかけてくれるなら、リーシャの為に用意したお菓子を良にも分けてあげよう。

もぐもぐと可愛らしく食べるリーシャを2人で見ながら、惚けている良の口元に突っ込んでやろう。

きっと、驚いて、でも食べ物を無駄にするような奴じゃないから、食べながら怒るだろう。

そしたら、リーシャが行儀が悪いと言って、口をリスのように膨らませながら怒るだろう。

きっとそれにもっとキレる良を笑いながら、為にならない授業をBGMにしながら3人で昼寝をしよう。


あぁ、そうだ、良はビーフジャーキーが大好きなんだ、特に赤みが残る、新しめのが大好きなんだ。だから、近所のおじさんに分けてもらおう、彼はジャーキーだ大好きだから持ってるはずだ。

良が怒りながらも、美味いって言って、笑いながら、赤い、赤いジャーキーを.....

っ!!


「いやぁ!!!」


手が、手が、真っ赤に染る。ジャーキーの様な赤じゃなくて、赤黒いドロドロとしたものに手が覆われていく。違う!!違う!!

着いているわけが無い、綺麗に体は洗った。血なんてもう自分の体に着いてるはずがない!なのに、スカートの裾で何度擦っても、ブレザーで何度拭いても、手は赤黒く染る。


ガジガジ、

ガジガジガジガジ、

ガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジガジ


っ!!

嘲笑うかのような、馬鹿にされているような、不愉快で、神経を逆撫でして、自分の命の糸を握っている音がする。


「いや、いや、いやぁぁあ!!!」


耳を塞ぐ、その勢いで、ドン!と地面に尻餅を着くが、痛みなんてやってこない。

恐怖が自分の神経の全てを麻痺させる。


ぼこぼこっ


あの音の隙間に気泡の音がする。

なに、助けてくれるの?

良?良!!!


ばっ!と前を向く。

希望の音だと信じ前を向く。

そしてそれは、絶望の音だと知る。


良の首の裏側。

治りきっていないそこは、少量の泡を吹き出しながら蠢いている。

首の半分しか繋がっておらず、肉と肉の隙間から白いものが見える。

バキッ、っと耳を済ました今だからこそかすかに聞こえる音は、中心にある骨の回復する音で、亀裂を入れて回復させ、微かに表面を削り、その削ったのを使って骨どうしをくっつけていた。


「はっ、はっ、はっ、」


肉は筋肉の繊維が伸び、神経の繊維が伸び、くっついては離れ、くっついては離れ、くっつけば泡を出し既にくっついている肉の塊にくっつく。

まるで自分の相方を探しているようなその動き。まるで、なぜ自分達を引き離したのかと聞こえてきそうな動き。


「あ、ぁぁ、」


地面は乾燥しており、自分の手を砂で汚す。なぜまとわりつく、でも何も濡れてないのに。

っ、ゆっくりと手を見る。

真っ赤に染る手。まるで、忘れるな、お前のせいで、また笑いかけて貰えるなと忠告してくる血の塊。


何度も、何度でも人を見ると、人と目が合うと見えてくる良の姿。

笑いかけ、真顔になり、侮蔑の瞳になる。

軽蔑し、嫉視し、最後に音にならない言葉をはく。

何を言われたかは分からない。ただ単純に、その瞳が怖くて、どんな目も憎しみを感じる。


バサッ!

っ、カーテンの揺れる音がする。

それは逃げ出す音だ。抜けていた腰が嘘のように力が入り、体が倒れないように手で地面を押しながら、力強く地面を蹴る。

暗幕を掻き分け、入口の膜を跳ね除け、明るい光が体を照らす。


「うっ、ぇえ」


せり上がってきたそれに、次は抵抗すること無く吐き出す。手で抑えながら裏にある木の根元にそれを落とす。


「げほっ、うっ、ぐっぅぇ、」


全て消化してしまった胃は、胃ごと出てきそうなほど大量に胃酸を押し上げてくる。

ヌメヌメとしたそれが口端を伝い何も出てこなくなる。それでも吐き気は収まらず、何かをひっくり返す感覚だけが胃と口の中を荒らす。


胃酸がせり上がってきた食道、喉、舌、上顎、下顎、全てがヒリヒリとした何とも言えない居心地の悪さを伝えてくる。

カシャ、

っ、足元に何かが当たる。

.......水?


本日支給された、軍でも使用されている入れ物に入れられた水。

自分は持っていただろうか?

首をひねりながらも、喉の気持ち悪さには勝てず、その水を掴み蓋を開ける。


新品だったのか、軽い音を立てて開いたそれを、口に含む。

グチュグチュと鳴らし同じ場所に吐き捨てる。

胃と喉が焼けるようにヒリヒリとしてくる。

そのまま腰が抜けるように背中の方にある木に背中を預ける。


飲む気にはなれなかった。

もし悪い水なら口に含んだ時点で危険はあるが、飲むよりまだマシだ。

少しだけ気持ち悪さが無くなり空を仰ぐ。


忌々しいほどの青さを見せる晴天に、もし学校にいたなら授業を抜け出して、緩やかな風邪に吹かれながら惰眠を貪っていただろう。

空模様とは反対の自分の心に溜息をつきながら、ボトルを地面に転がす。

人差し指だけでボトルをグルグルと周し、考えることを放棄する。


このまま、どこかに消えていきたい。

どこかに風が、この晴天が運んでくれないだろうか。

このまま目をつぶって、次目を開けた時には暗闇になって、1人取り残されていたらまだ楽になれるかもしれない。

そんな望みを掛けて体の全ての力を抜いていく。足の指先から、中心を脱力させていき、最後に手の指先を脱力させる。

あぁ、このまま、静かに


「ハズナ」


周りを全く気にしてなかったせいか、声をかけられても頭は働かず、言葉だけが回る。

はずな、筈な、ハズナ、あぁ、名前か。

納得し、脱力させた瞼を持ち上げ呼んだ人物を見る。


見なくてもわかる。十数年聞いてきたその声は、もう間違うことはないだろう。

目を向け、林の外から眺めてくる友人(・・)がその場から動く気がない事を確認する。

脱力させてしまった手足はそう素早く動くことはなく、次は指先から確認するように動かしていく。


ゆっくりと体全体を動かし立ち上がる。

そののんびりさに友人は何も言わずに見ている。

水を持ちながら林から出ていくと、頭数個分小さい友人はいつもより数段険しい顔を向けてくる。


あぁ、嫌だな、会いたくない、話したくない、見つめたくない、見たくない、

初めてこの子に抱く感情を心に抱きながら、ゆっくりと近づく。

つい数十分前まで一緒にいたのに、随分久しぶりにあった気さえしてくる。

きっと、今の自分の顔は酷い。眉が下がり、口端が軽く上がっている。


「リーシャ。」


いつもの声、より少し低め、さっき喉が胃酸でやられたせいだ。

そんな声でいつものように、友人の名を呼ぶ。


その小さな親友は、何を考えてるか分からないほど澄ました顔をしている。

ただ少しだけちがうのは、いつもより少し名前を呼ぶのにトゲが入っているということ以外、幼少期から見ている親友の姿だった。


「ハズナ。私は軍人になって良を治したい。でもさっきハズナも一緒にじゃないと私たちは受け入れられない。

だから一緒に結城さんに言いに行こう。」


そう、淡々と伝えられる。

まるで断るわけが無い。もう帰ってくる答えは決まっているとばかりに彼女は背を向ける。


「行くわよ」


彼女は歩き出す。

彼女の1歩半が、私の1歩だということを知っている。だから、数歩歩けば彼女には追いつける。それをすれば、いつものように横を歩けると知っている。

でも、私の足は動かない。


少し歩いたところで彼女が足を止めてこちらを振り向いた。結構離れている。

この距離で会話したら、良にうるさい迷惑だ!なんて言って怒られる距離だ。

なんていうように、変なところに思考が飛んでいく。

なんだろう、考えたくないはずなのに、自然とそういうことは浮かんでくる。


「なにを、しているの」


彼女の問いかけに、目を伏せる。

きっと、彼女の事だ。察しのいい彼女はそれだけで言いたい事を察したかもしれない。


「いか、ない」


行かない。

行けない。

行きたくない。

行ったらきっと後悔する。

行ったらきっと悲しくなる。

行ったらきっと私は私を許さない。


彼女の目が大きく見開かれる。

ただでさえ大きな彼女の目は、そうすることによってこぼれ落ちそうだ。

無駄のことしか考えないこの思考。ただ今は、この思考が1番自分を楽にしてくれると分かった。


「ハズナは!ハズナは良を見捨てる気!?

ふざけないで!!!

自分の力不足のせいで仲間が死んだのよ!ずっと一緒に暮らしてきた親友が!家族が目の前で死んだのよ!!!

それを、はいそうですか。って言って投げやってそのまま殺す気!?

目一般人が欲しくて欲しくて、一生かけても手に入らないような蘇生技術が目の前まで転がってきているのに!?」


今日の彼女は本当によく喋って声を上げるな。そんな事が頭の中に巡ってきた。

あぁ、ほんと、ろくなことをこの頭は考えない。

そう思いながら彼女の言葉を頭の中で噛み砕く。


そうだ、確かにそうだ。

目の前まで転がってきてくれている蘇生技術。出来すぎたレースの様に用意された目の前のご褒美。

いつもの自分なら考える前に飛びついていた。

きっと、彼女と私の立場はいつもなら逆転していただろう。


彼女はこちらを睨みながら、目に涙を溜め込み小さい肩を上下させている。

いつもの自分ならこんな顔はさせない。そうなる前に対処するはずだ。

なのに今日は、そんな気分に一切なれなかった。


「ごめんね。」


なんて言ったらいいのか分からなくて、働かない自分の頭はそれしか思いつかなくて、更に悲しませる言葉だったとしても、それ以外言える言葉がなかった。


「ふ、ふざけないで!!

ハズナが、アンタが近くにいたのに1番なんにも出来なかったんでしょ!!近くにいて、あなたの足ならまだ良を少しは守れたかもしれないのに、それを捨てて自分が助かろうとしたんじゃない!!

本当にふざけないで!私は、私は見とくことしかできなかったのに!!」


確かにそうだ。結城にも同じようなことを言われた。

心の中で相槌を打ちながら、静かに彼女を見守る。


「いつも、いつも!私の指示をあなたは聞こうともしない!!!

私は制しするのにあなたはいつも無責任に「行ける!」とか言ってすぐにそうやって突っ込もうとする!それに慣れてしまった私達がいるからこんなことが起きたのよ!!!

その尻拭いさせられる私の身にもなってよ!!」


彼女にはいつも迷惑をかけている。

そう思うと少しだけ目を伏せる。


「ねぇ、ねぇ!!!」


ふっと気付く。

声が、声の音が、独特の音になっている。


伏せがちになっていた目を上げて、もう一度彼女を見る。

彼女は大きな瞳にいっぱいに涙を貯め、私を睨んでいた。


「なんで、なんで、何も言わないの!!!

いつものあなたならすぐに怒って言い返すはずでしょ!!それともなに!!私には、ただ見とくしかなかった私には何を言っても無駄だって思ってるの!?」


瞳に貯めた涙を零しながら、それを、両手と両腕で拭いながら彼女が叫ぶ。

声を出すのを我慢するかのように低い声を上げながら彼女は涙をふきとる。


「怖いの」


ひくっ、と言いながら彼女の視線が時分に向くのが分かる。

自分のはそれを見返すわけでもなく、手元のボトルを指先に遊ばせながら言葉を選ぶ。


「きっと、良は、彼は私を許さない。」


きっと生き返らせて、彼が起きた瞬間彼女が飛びつく。それに困惑した顔を浮かべながらも彼は彼女をしっかりと受け止める。

彼女は大泣きし、それを彼が慰めながら再開の言葉を送り喜ぶ。

そして、その隙間に見えた私に、きっと、彼は彼女に見せない瞳を見せる。


一般的な茶色の瞳が真っ黒く染めるほど憎悪の気持ちを込めて、瞳の奥が真っ赤になるほどの憤怒の灯火を燃やしながら、彼は私を見る。


それを実際に見るのが怖くて、想像出来てしまった事で本当になりそうで、怖くて辛くて、そんなことになったらきっと泣いてしまうから、会いたくない。

そう思ってしまった。

これは、恐怖。これは、エゴ。

私に都合のいいように転がしているだけ。


「そんなこと、ない!

良なら、良は許してくれる!むしろ、なんで生き返らせたんだ!俺はもう役目を果たした!とか言って怒るぐらいだよ!!」


彼女の言葉に、今度は実際に相槌を打つ。

確かに、彼ならそう言うかもしれない、彼ならきっと笑って許してくれるかもしれない。

でも、万に一つでも可能性があるなら、彼に嫌われてしまう可能性があるなら、私は1歩を踏み出すことは出来ない。


「ハズナは、ハズナは会いたくないの!

もう一度笑ってくれる良に、もう一度頭を撫でて、仕方ないと許してくれる良に、」


会いたくないと言ったら嘘になる。

それはもちろん会いたいし、一緒に居たい。つい先日までは、ずっとこの関係が続いて、ずっとこんなふうに3人で笑って、ずっと、ずっと幸せに暮らすんだと思っていたから。


その問いかけに、私は笑う。

今度は自分がどんな風に笑っているか分からない。眉を下げているのか上げているのか、口角はどこまで上がっていてどんな風に見えるのか、


分からないけど、彼女は、彼女は何かを堪えるように手を握りしめた。


「そう。」


それだけ言うと、彼女はまた背を向けた。

次は振り向かなかった、自分も止めることはしなかった。走っていく後ろ姿を見ながら、何も考えない頭は見ているだけだった。

自分がどんな気持ちかも分からない。

脳は、考えることを辞めたから。


「交渉決裂、って判断でいいの?」

「っ!?ゆ、うき、さん。」


彼女の背中が小さくなった時、背中の方から声が聞こえた。

振り返るといるのは、この会話の糸口を作った軍人。


「全く〜、子供だと言うのに難しく考えすぎだぞ!」


お茶目に言ってくる結城さんに、黙って見返す。


「キャラがブレすぎた。」


笑いながらごめんっと言って結城さんが自分の手を取る。


「え?」

「子供が手を引かれる事に戸惑わない」

「え、でも、」

「いーから」


そう言って楽しそうに手を引く結城さん。触れる結城さんの手は、綺麗な女性の指なのに皮は分厚く、ゴツゴツしている。

見た目は母の手、感覚は父の手、彼女がオススメしてきた本の知識から引っ張り出すと、結城さんの手はそんな感じだ。


「難しく考えるからめんどくさいんだよ。簡単に、単純に、親友の願いを叶えながらも、自分の願いも叶える方法もあるでしょ?」


柔らかく、柔軟にって言いながら彼女は楽しそうに歩く。


「欲張りでは?」

「子供なんて欲張りで十分!

我慢を覚えるのは、大人になってから、」


大人でも我慢できない人はいるから!と言って結城さんは楽しそうに笑う。

確かにそうだ。大人は我慢する代わりに違うことを我慢しない。

子供はお金がかかるものを我慢して、不満を言うことを我慢しない。

大人は不満を言うことを我慢して、お金をかけることを我慢しない。

それと一緒でしょ?っと笑う結城さんにそうかもしれないと思い直す。


「どこ行ってるんですか?」

「んー、わかんない。」

「え、」

「散歩だよ、散歩!」


結城さんは迷子になった子供を道案内するかのように手を引いてくれる。暖かい手。随分暖かく感じる。

あぁ、吐いて、彼女と喧嘩して、いつの間にか血の気が下がっていたのかもしれない。

自分でも気付かないうちに、思った以上に慌てていたんだと思って笑う。


「そうそう、子供は笑顔が1番」


にひひっと笑う結城さんに、「もう高二です。」と返す。その言葉に対する返答は無かった。

ただ笑って手を引く結城さんの背中に着いて行った。

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