蝉女
この小説は、しょこたんこと中川翔子さんが蝉の抜け殻を頭につけたという話を起点に書きました。
中川翔子さんありがとうございました。
それは絶好調だった太陽に陰りが見えてきた9月初旬、風が冷えてきて大気に秋を感じることができるようになった日のこと。一人の男が広場に立っていた。
その百貨店に隣接する広場には色取り取りの服で着飾った人々で溢れかえり、広場に接する道路を挟んで取り囲む様にビルが立ちならぶ。道行く人々の顔には柔らかい光が照らされていた。
そんな広場に呆然と立つ男は空や待ち行く人を手持ち無沙汰に眺めている。約束をドタキャンされた男はこれからどうするべきか悩んでいたのだった。
悩める男が待ち行く人をしばらく眺めていると頭に何か大量に載せた女が歩いて行くのを目撃した。
気になった男は、何が乗っているのか確認してみたくなった。そして男が歩く人にぶつからないように女を追いかけて、2メートルまで差を縮め確かめてみるとそれは蝉の抜け殻だった。
おいおい、マジかよ。……って、なんで皆騒がないんだ? これは異常だろう? 知らない振りするなんて可笑しいだろう。男は周りを確認しながら訝んだ。周りの人間は蝉女(正確には蝉の抜け殻を頭の中心から約10cmにぎっしりと絡ませた女)をさも普通の人間だという風に扱って騒いでいない。
こんな状況で男が考えられる事態は蝉の抜け殻を頭に絡ませるのが流行っている、または男しか気づいてないの2つだった。だが、どっちにしても不気味にかわりなかった。男の好奇心が沸きあがる。
「確かめてみるか」
すると周りの人間が独り言をもらす男のほうをチラリと見てすぐに目を逸らす。
俺はいいから、もっと蝉女に注目しろよ。
そう文句を言いながら、男は頭を掻きつつ尾行を開始した。男の今日の予定が決まった。
男は黙って蝉女の後を尾けていた。男の服装はポロシャツにジーパン、手ぶらで首元にはネックレスが自己主張する。身長は平均的で体型は痩せていた。一方の蝉女は、チェックのワンピースにぺたんこ靴、レザーバックを持ちストールを巻いていた。体型は小柄で、頭以外は落ち着いた雰囲気を持つ。
蝉女と男が歩く道は、街路樹よりも大きな影を落とすビルに挟まれていた。雑多な人間に様々な建物。どこに続く分らない道がくっつき、人はみんな他人に無関心。沢山の人間が同じ道を歩いているのに一人として同じ方向を見ている人間はいなかった。
男は蝉女を見ながら考える。蝉女の行き先を。目的を。
この女は何をしたいんだろうか? 蝉の抜け殻なんか頭に乗せ、街を平然と歩いている。不思議な奴だ。
男はそう思いながらも初めの頃の不気味な気分が薄らぎ、街行く人々は知らない秘密を自分と蝉女だけが共有しているというこそばゆい感覚を持ち始めていた。
そんな蝉女と男の不思議な関係はしばらく続く。
そして5分ぐらい歩いただろうか。1軒のカフェの前に着くと蝉女がその中に入った、男は一瞬悩んだが続けて中に入った。
男が金属製の無機質なドアノブを回し中に入ると、店内は薄暗い照明に低音の音楽が流れていた。待ち構えていた店員にどこに座るのか男は聞かれ、蝉の抜け殻が絡まった頭の後ろに座ることにした。
蝉女は通行人を見れる窓側で一番奥から2番目の席に、壁を見る形で座っていた。男は蝉女の背中を見ながら自分の席に向かい、蝉女の後姿を観察できる位置に座る。そして適当にコーヒーとパスタを頼むと、蝉女の頭の観察を始めた。
男が蝉女の頭を改めて観察してみると頭頂部にぎっしりと並べてある蝉の抜け殻のお陰で地肌が見える余地は無く見事蝉の抜け殻に溢れていた。その姿は芸術的とさえ言え、途方も無い時間が掛かったことは想像に難くなかった。
アブラゼミかクマゼミ、またはミンミンゼミのだろうか?
くだらないことを考えながら男はコーヒーを飲む。こんな休日も悪くないと感じ始めていた。蝉女を見たときは驚いたが、今では休日を彩ってくれる大事なパートナーのように錯覚している。不思議な縁だ。
辺りには陽光と照明の暖かな光が満ち、ゆるやかなテンポの曲と合わさって穏やかな時間を演出していた。
男がぼんやりしていると、蝉女がいきなり立ち上がり出口に走っていった。男は慌てて顔を伏せやり過ごす。しばらく様子を見ていると、蝉女は、がたいがいい男を連れて席に戻ってきた。
二人は最初普通の恋人同士の様だったが、蝉女の頭の所為で険悪な状態に移行しつつあった。 さらにヒートアップしていく二人はどんどん声が大きくなっていく。
「何をつけていようと私の勝手でしょう」
「だからって蝉の抜け殻をつける馬鹿がいるか?」
「好きなんだもん。しょうがないでしょう」
ガチムチの男は立ち上がって言った。
「いいかげんにしろよ。お前のそういうところに飽き飽きしてるんだ。惚れた俺が馬鹿だったよ。じゃーな」
蝉女の彼は別れを告げると去っていった。場には嫌な空気が流れる。
周りにいた人間は今気づいたかのように蝉女の頭を指差しコソコソし始め、蝉女は蝉女で俯き泣き始めた。
男は無言で席を立つと、蝉女の目の前の席に座った。蝉女は俯いたままで反応しない。
「なんでもいいです。話してみてください」
男が蝉女の頭頂部をみながら言うと、蝉女は堰を切ったかのように話し始めた。
自分は周りの人とは違う人間であり理解してくれる人間はいない。昔から変わっており、周囲と違う行動をしていた。今日の頭の蝉の抜け殻も抜け殻が好きすぎてつけて、彼に見てもらい褒めてもらいたかった。等のことを俯き、途切れ途切れになり声が震えながらも話した。
「私だって、異常だって言われたくない。でもこれが私にとって普通だから」
男は蝉女の表情は見えないし顔さえ見たことも無かったが、蝉女が苦痛にさい悩まされていることだけはわかった。異常な行動は理解できないが、苦痛だけは取り除いてあげたくなったのだ。
「蝉女さん。俺にはまだ貴方の事が理解できてません。でも貴方のその直向な姿は尊敬できるし、惹かれます。他の人が何を言おうと気にしないでください。俺が理解しますし世の中の普通にしてみせます」
蝉女は初めて顔を男に見せた。その顔の肌は清水のように透き通っていて、目は吸い込まれそうなほど黒い。整った小振りな鼻に唇は湿って艶かしく、泣いていた目は軽く充血していたが、それが逆にコケティッシュな雰囲気を放っていた。凄い美人である。
男を見つめた彼女は、その顔に笑みを乗せる。その瞬間男はいろいろ考えてしまった。これからいろいろ苦労しそうだけど、こんな女の子なら我慢できるなぁとか、いままでろくなことが無かったけど生きてて良かったとかだ。
蝉女は笑みのまま、口を開いた。男はドキドキして思考がおかしくなる。
くるのか? ついにくるのか? 俺の時代が!!!
男の緊張が最高潮に達したそのとき、蝉女はたった一言
「キモイ」
現実とはこういうものだろうな。蝉女の顔を見ながら男は思ってしまった。
感想、批評等ございましたら書き込みよろしくお願いします。




