ロボット、創る
短編が好きです。
長いと飽きちゃうんですよね。
『ロボット、創る。』
【職人の弟子】
その職人Aの失敗は二つあった。
一つは慢心。
自分ほどの技(WAZA)を持った職人がミスを犯すはずがないという慢心。
記憶の中での職人Aの父は常に信頼する両腕で蚤と槌を操っていた。
その背中を見て育った自分は跡を継いで伝統工芸品の職人になるということに何の疑問も持っていなかったし、反感の心も反発の念も皆無だった。
むしろその技(WAZA)を継げる事を誇りに思う事で厳しい苦境もつらい修行も乗り越えられたし父が死んだ後の重圧も周りが言うほど感じなかった。
六十を手前に重要無形文化財保持者に指定され、職人Aの自信は確固たるものとなった。
職人は利き腕という概念を持っておらず、右腕で出来る事は左腕で出来たし、左腕で出来る事は右腕でも出来た。
また、職人Aの父親がそうであったように彼もまた腕の感覚を大事にする職人であった。手の怪我や爪の長さは言うに及ばず、産毛の状態や日焼けにまで気を使った。その甲斐もあってかまたは意識の高さからなのかは分からないが職人の腕は木材に触れると乾燥の状態や樹齢、産地等手に伝わる感触以上の事が理解できるほどであった。
その腕から紡ぎだされる精緻を極めた作品は作るたびに無数の美麗字句と賞讃を浴びて数々の賞を総なめにした。それに伴ってメディアへの露出が増えると作品の依頼は殺到しその価値は一気に跳ね上がった。
しかし作品を作るにあたって手を抜いた事はただの一度もなかったし、むしろそういう状況になってからの方が真摯に作品に向き合うように心がけて来た。
今後は自分の作品をもっとたくさんの人に見てもらう為さらに研鑽を積むつもりであった。
そんな中、事故は起こった。
いつもの工房いつもの時間。昨日と全く変わらない生活リズム、弟子と2人で取りかかるいつもの作業。大型の機械を操り木材を適当な大きさにカットして行く。何の前触れも予感もなかった。
木材を大きく押し出す際、そこに有るはずのない道具が職人の足を滑らせた。木材をつかむ腕が体勢を崩した体を支えきれずに倒れ込み、機械の刃が目前に迫る。
次に気がついた時には病院のベッドの上だった。
左上肢前腕部切断及び右上肢前腕部破損。
左腕は肘の下からすっぱりと無くなっており、機械に巻き込まれた左手部分は損傷が激しかったため接合手術は不可能であった。
右腕は手首に近い部位を2/3ほど切られてかろうじてくっついてはいるものの元のように動くかどうかは絶望的な状況だった。
腕を失ったという現実を直視できずに漠然とした不安を抱えたまま入院生活を過ごしていたが、この先の様々な事を考えだした時に職人Aはあることに気がついた。
いや、知ってはいたけれどもその事について考えを先送りあるいは問題が起こるだろうけども考えないようにしていたと言うのが正直な所だった。
職人のもう一つの失敗。
二つ目は怠惰。
自己研鑽を惜しみなく積み、絶え間なく努力を続けた職人にはおよそ縁遠い言葉であるように思われるが、傷が癒えたとしても片腕では以前のような作品作りが可能になるとは到底思えない。そうなると自分が父から受け継いだこの技(WAZA)を弟子に受け継いでもらわなければその誇りも技術も終わってしまう事になる。
職人Aの心内では伝統工芸品の職人であり、そしてその技(WAZA)を学ぶという誇りが有れば自分がそうであったように多少の苦境やつらい修行も耐えられるとの思いが根強く残って、またその誇りに対する熱い心も技(WAZA)と同様に自分の背中から自然に弟子が学び取るものだと思っていた。
しかし、弟子には全くそのつもりはなかったのである。
当然最初はその技(WAZA)を学ぶつもりで弟子入りしたのだが、雑用を言い付けるだけでいつまでたっても技(WAZA)を教えてくれようとしない師匠に嫌気がさしていた。そればかりか師匠が受ける名声や金に目がくらみ誇りや技術を受け継ごうという気持ちは煙のように消えてしまっていた。
職人Aは弟子の心を育てようとはしなかったのである。
事故に遭ってから十日後、弟子は大金を持ったまま行方をくらました。
この直前、職人Aは仲間から片腕の陶芸家の話を聞いた。もちろん状況などは違うけれども片腕でも努力している人はいるし、リハビリ次第では右腕がある程度は動かせるようになるのでなんとか弟子に技(WAZA)を継承できるかもしれないと小さいながらも希望が芽生え始めた矢先に弟子の失踪の報を耳にした。
苦難困難なら今までの人生で何度も味わって来たが、このようなタイミングでの追い打ちは職人の心をへし折るのなど簡単な事であった。そして追い打ちはさらに追い打ちをかけた。
職人Aはその宣告を病室で聞いた。
専門的な内容は分からなかったが要するに右腕の血管や神経がボロボロでこのままでは壊死してしまう。切断するしかないという事だった。
同時に義手をはめてどうだとかいう話をされたようだがよく覚えてはいない。
だいたい金属の腕をつけて木の感触が分かるものか、受け継いで来た誇りを、培って来た技術をバカにしているのかそんな物を着けるくらいなら死んだ方がましだ。職人Aにとってはまさに死の宣告と同じであった。
一日に一枚、薄い紙を重ねて行くとする。それこそ向こうが透けて見えるくらいの薄い紙を毎日、毎日、愚鈍に愚直に重ね続ける。右手を動かし、左手を動かし、考え、また右手を動かす。良いも悪いも分からずただ進むべき道を信じて、きっとこの努力は報われると答えてくれると信じていた。
職人の重ねた努力とはまさにそのような毎日の繰り返しであった。
しかし今は、右手も左手も無くしてしまった、今まで当たり前のように繰り返して来た努力さえも出来ないのである。
もはや生きている意味は無い。そんな事を考え始めていた。
その日、職人Aはずっと窓の外の景色を眺めていた。気持ちのいい風が白いカーテンを揺らし、草木の香りを近くまで運んでくる。
嵐のように押し寄せたここ数日間の出来事で職人Aは年齢よりもずっと齢を重ねた老木のようにベッドの上で佇み、薄く、ずっと薄く存在が儚げであった。
気がつくと目の前には外国人が立っており、何やら外国語で話しかけて来た。職人Aにはその内容はまったく分からなかったが時々、技(WAZA)という言葉を使っているのはわかった。
そして自分の過去の作品が記載されている雑誌を引っ張りだしてまた何やら話を続けた。
もしかして作品の依頼だろうか?
職人Aは大きくため息をつき両腕を見せて、残念だがもう作品は作れない。それらを作った職人はもう死んでしまったと告げた。
外国人はやさしく微笑み、もう無くなってしまった腕を取って“心配はいらない、私の2人の子供をあなたの弟子にして欲しい”と言った。
数年後、職人Aの2人の弟子の作品発表会が催され話題となった。
その作品は職人Aの全盛期の出来には遠く及ばなかったが確かにその技(WAZA)は受け継がれている事を証明したものであった。
右腕の名前はアレックス、陽気な性格で何事にも前向きだ。
左腕の名前はエリー、用心深い性格で何事にも慎重だ。
2人は人間の両腕を模したロボットで、皮膚の再現こそ出来なかったものの,そのフォルムは人間の腕そのものであった。彼らの優れている点は、繊細な手の動きを職人Aの筋肉の微妙な動きと会話と表情から修正して、その動きを記憶し経験として蓄積してさらにそこから新しい発想へと転化して技(WAZA)を伝えて行ける事にある。
職人はたどたどしい英語で両腕に装着されている2人と会話をしながら滑らかな動きを披露していた。
隣にはあの時の外国人、アレックスとエリーの生みの親で某大学のロボット工学の教授が満足そうに手を叩いている。
周りを取り囲んだ記者からこれでもう安心できますねと声をかけられると職人Aはまだまだ手のかかる弟子だよ。いや、かけられるような手はもう無いんだがねと満面の笑みで答えた。
ロボットの進化はどこまでいくのでしょうかね
今から楽しみです。