乙男(オトメン)魔王様と平凡乙女の協奏曲!!
何処にでもいる平々凡々な社会人の女性である"篠宮 希望"は、いつも通り勤務先へと朝の街を歩いていた。
真冬の朝はとても寒く、お気に入りの真っ白なコートでしっかりと身を包んでいた。
寒さに耐えながら歩いて駅の階段を上りきった希望の前から、黒いコートを身に纏った子供の頃からの友人であった"藤川 愛"が歩いてくるのが見えた。
成長と共に疎遠となってしまった友人を、久しぶりに見た希望は挨拶だけでもしておこうと、近づいて来る愛へと笑顔を向ける。
「おはよう、藤川さん。久しぶりだね。」
しかし、愛からの返事は言葉ではなかった。
ゆっくりと俯いていた視線を上げ、希望を見たかと思えば、どんっ、と身体に衝撃が走った。
階段の一番上から突き落とされた希望の身体は重力に従って落ちていく。
状況が理解できず、目を見開いた希望の最後に見た光景は、唇を歪めて嗤う愛の姿だった。
突き落とされた理由も理解できないまま体中に衝撃が走り、希望の意識は真っ暗な闇の中に落ちていったのだった……。
「あんたみたいな笑うことしか取り柄のないブスが、何で私よりも愛されるのよ?
……でも、優しい私は許して上げる。
あんたを生け贄に、本当に私に相応しい世界に生まれ変わるのよ!」
階段をゆっくりと下りて、白いコートを血に染めて横たわる希望を覗き込み吐き捨てる様に言葉を掛ける愛。
人を階段の上から突き落とした愛の行動に周囲から悲鳴が上がる。
そんな周囲の喧噪など無視して、愛もまたホームへと入ってきた電車の前へとその身を投げ出すのだった。
※※※※※※※※※※
「あーあ、殺ちゃった!」
何処までも広がる闇の中で独りの少女の愉しそうな声が響き渡る。
「あは、あの女は本当に狂っているのかな?
自分に相応しい世界は他にある?
生け贄を捧げれば他の世界に行ける?
人を殺すことが生け贄?」
あはははっ、と真っ暗な闇の中に少女の嗤い声が響き渡る。
「あはっ、君みたいな愚かで、傲慢で、身勝手な魂が堕ちていく様は、本当に面白いだろうねえ。
……いいよ、その願いを叶えて上げる。
ただし、君に相応しい世界なのかは知らないし、君の思い通りになるとは限らないよ?
すこーしだけ、僕が愉しめるようにお膳立てはして上げるけどね。」
少女は退屈を紛らわせるオモチャで遊ぶように女へと残酷な笑顔を向ける。
「……さて、君の方はどうしようかなあ?
もともと、君はあんまり運が良く無かったみたいだねえ。
不幸と言うよりは、不運体質?
鳥の糞は落ちてくる、君を狙った訳ではない悪戯に引っかかる、トイレへ行くと高確率でトイレットペーパーが無い、ロシアンルーレットをすれば必ず引き当ててしまう……。
……地味に嫌な体質だねえ。
でも、最大の不運はあんな女の知り合いだったことかなあ?」
呆れたような、可哀想な者を見るような眼差しを向けてしまう少女。
「……いいよ、君も転生すると良い。
ちょっとした僕からの贈り物もあげるよ。
……前世の記憶の中でも人に関することは思い出さないように封じてあげる。
そして、最高の幸せを掴むと良いよ。
あの女が自分は特別な存在だと思い込んで調子に乗った頃に、君の姿を見たらどう思うかなあ……。」
今から楽しみだよ、と最後に呟き少女の姿は闇に消えていくのだった。
※※※※※※※※※※
ある剣と魔法の勇者や魔王が存在する、6つの種族が均衡を保ち平和を維持している異世界があった。
その世界は、6つの種族をそれぞれの王達が治め、さらにそれを見守る王、即ち精霊王が世界の均衡を維持している世界がだった。
その精霊王が長年一輪の花の種に力を注ぎ込み、花は蕾となり、咲き誇り、一人の乙女が生まれた。
彼の乙女の名前は"ベルセポネ"。
異世界より流れ着いた"篠宮 希望"の魂を宿す乙女だった。
ベルセポネは、花を育て、治癒能力を持つ以外は容姿も性格も平凡だが、精霊達に愛される穏やかな少女へと成長した。
……そして、一人の男性と出会い、結ばれることとなる。
※※※※※※※※※※
「ベル、何をしている?」
「ハーデス様に習った編みぐるみを作っているのですわ。」
精霊王の一人娘であるベルセポネは、真剣な表情で毛糸を編んでいた。
「……狸か?」
「……クマですわ。」
「……すまん……、ベル。
……だが、可愛らしいと思う。」
「……ふふ、ハーデス様。ありがとうございます。」
褐色の肌に長い銀色の髪、真っ赤な瞳を持つ、無表情なベルセポネの夫。
彼こそは、この世界に存在する6つの種族のうちの1つ魔族を統べる王、魔王陛下だった。
その容姿や身に纏う冷たく、鋭い雰囲気から冷酷無慈悲の鉄面皮。
泣く子も怯え、笑う子どもは泣き喚く悪逆非道の恐怖の権化と噂される魔王、ハーデス。
しかし、そんな彼には誰にも相談できない秘密があった。
……ハーデスは、少女が好むような小さくて可愛いもの、キラキラと輝く甘いお菓子、料理や手芸など、乙女チックな物が大好きな乙男だったのである。
……もっとも、魔王がそんな趣味を持っていては周囲に示しが付かないと考え、必死で隠しているつもりの彼の趣味嗜好は努力虚しくバレバレであったが……。
そんな彼と何の因果か恋に落ちたベルセポネは、ハーデスが唯一秘密を共有していると考えている何よりも愛しい妻だった。
本当は可愛らしいぬいぐるみを飾り、甘いお菓子で休憩をしたかったハーデス。
美味しいと思えない無糖の珈琲を魔王のイメージを守るために頑張って飲んでいたハーデス。
一目惚れしたベルセポネを妻に迎えてからは、そんな我慢をしなくて済むようになった。
妻であるベルセポネが好んでいるからと言い訳が周囲に出来るようになったのである。
愛しい妻の側に寄り添い、表情は変化しないもののまるで花が咲いているかのように幸せそうなオーラを纏ったハーデスの姿を見て、周囲の部下達も微笑ましく見守っていたのだった。
そんな幸せな結婚生活を送っていた彼等に、1つの悪い知らせが届く。
人間の国の王女で"聖女"を名乗る女が、人間達の国で起こった流行病を広めたのは魔王に他ならないと扇動し始めたのだ。
……そして、魔王討伐に向けて勇者達一行が魔王の元へと旅立つ事となる。
「ベルセポネ、お前は父君である精霊王陛下の元へ戻れ。
……このような下らぬ争いにお前を巻き込む訳にはいかぬ。」
無表情ではあったが、悲壮な決意を胸にハーデスはベルセポネへ安全な場所へと避難するように告げる。
「いいえ、ハーデス様。
私は、貴方様の妻です。
お父様や竜王様の前で婚姻の儀を挙げた時に誓ったではありませんか。
幸せや喜びを共に分かち合い、悲しみや苦しみは共に乗り越え、永遠に愛することを誓うと……。
ハーデス様、私は何時だって貴方様の側におりますわ。」
ベルセポネは、頬に添えられたハーデスの片手に己の手を重ね、ふんわりと微笑んで言葉を紡ぐ。
「……ベル、ベルセポネ。
お前が私の側に居る限り、例えどんな強敵であっても私は負けることはないだろう。
必ず勝利することを愛するそなたに誓おう。
……愛している、ベルセポネ。」
「私もお慕いしています、ハーデス様。」
固く抱きしめ合った二人の影は重なり、しばらく離れることは無かったのだった……。
その後に、勇者一行が魔王城に辿り着くこととなるが、その一行の中にいた聖女が自分が殺した前世の姿と変わらぬ魔王の妻であるベルセポネの姿を見て口汚く罵り、魔王だけでなく精霊王や竜王の怒りまでも買ってしまい、悲惨な末路を辿ることとなるのだが、今はまだ誰も知らないことなのである。