陰陽寮の主
よろしくお願いします
「気持ちは、変わらないのですね」
白髪の多くなった祖母の悲しそうな表情を見て、心は折れそうになったが自分の使命を知ってしまった今は迷うことなく頷くことしかできなかった。
「お婆様。私には使命があります。それはこの世界を左右する事なのはお爺様が言っていたことと思います。だから、行かなくてはならないのです。入内という形になってしまっただけです」
困ったような表情を浮かべて綺羅姫は言った。ほんの数年しかこの世に生を受けていないはずの子供の台詞ではなかった。
「解っていたのです。あなたがここには少しの間しかいられない事も…でも、こんなに幼いのに入内しなければならないなんて…」
綺羅姫を強く抱きしめて辛さを隠さずに叫ぶように言った。
「奥、もうその辺にしておやり。姫も困っている…綺羅姫、本当に良いのだな?内裏の事は私も少しは知っている。あそこはこの世で最もきらびやかで最も暗い場所だ。本当はそんなところにお前を行かせたくはない。だが、必要なら行かなければならないのだろう」
祖母に抱きつかれている綺羅姫の頭を優しく撫でながら言った。
「大殿様……解りました。わがままを言うのはこれきりにします。綺羅姫、これだけは言っておきます。何があっても逃げてはなりませんよ。あなたの両親がそうであったように、あなたも守るべきものを守りなさい。そして…疲れたら、帰っていらっしゃい」
最後には優しく微笑んで祖母は綺羅姫を抱きしめるのをやめた。
「はい、お婆様、お爺様」
大きく頷いて綺羅姫は返事をした。
数日後、お忍びで来ていた玻璃は来た時と同じように出仕する中務大臣の車に乗って内裏へと帰って行ったのだった。
更にその一ヶ月後、正式に帝の位を継いだ利紀皇子改め駿桜天皇が即位した。同時に中務大臣の娘、綺羅姫が入内した。
幼い姫が天皇の妃になったとの知らせは瞬く間に広がった。
陰陽寮もその話で盛り上がっていた。
「幼いながらもかなり賢い姫だと聞いた」
陰陽寮の一人が噂で聞いたことを口にする。
「あの左右の大臣様が一目で懐柔されたとか」
そう、確かにこの国で実権を握っていると言っても過言ではない右大臣、左大臣達が入内したばかりの綺羅姫を自分の孫のように可愛がっていると言うのは本当だった。
仲の良い中務大臣の孫娘というのはあったが、年相応であればこれほど可愛がりはしなかった。歌を詠ませれば他の者が考え付かないような歌を詠み、驚かせた。
琴を弾かせれば都随一と謳われたものよりも上手く弾きこなした。
「声は小鳥の囀りのように可愛らしいということだったぞ」
一度で良いからあってみたいと誰もが口にした。
「噂話はその辺にして、仕事をしたらどうだ」
手元の書類から一切目を離すことなく、ひとりの陰陽師が言った。
「いつも通り固いな、陰陽の司殿は…」
一瞬、糸が張り詰めたような緊張した空気が支配した所で、声の主が呆れた口調で言った。その一言でその場の空気が一瞬にして和んだのは言うまでもなかった。
「お前か…何の用だ、中将殿」
ぶっきら棒に言いながら、陰陽の司と言われたものは声の主に視線を合わせた。
「殿はいらないって言ってるだろ?それより、仕事だよ」
巻物を持った手を差し出して言った。
「……」
黙って受け取ると巻物を少し開いただけで弾かれたように中将の顔を見上げた。
「お主がお待ちだそうだよ。希代の陰陽師殿」
不敵な笑みを向けて中将は言った。
「私だけではなく、お前にも来ているのではないか?」
巻物を仕舞いながら、陰陽師は言った。
「良くおわかりで。では共に参りましょうか、竜珠」
「蝦蛄、その名はここでは使うなよ」
中将が耳元で囁くように言うと、追い払うようにしてから、鋭い目つきで睨んでから陰陽師は先に呼ばれた所に向かってしまった。
「待てって」
「早く来い、本当に置いて行ってしまうぞ」
呆れたように言ってから、中将が追いつくのを待って、共に向かった。
「なんだかんだと言って、あのお二人は仲良いよな」
陰陽寮の者達は二人の後ろ姿を見送りながらそう口にした。
ありがとうございました。