姫巫女
よろしくお願いします
滝巣天皇が崩御する直前、天皇は次の天皇を後ろ盾のない利紀皇子にすると遺言を残した。
そのため、帆杜皇子を後押ししていた者達は次々と刺客を彼に送りつけた。しかし、悉くそれらをあしらった皇子は五年の歳月を何とか乗り切った。
「天皇位を今年戴くことにする」
最上段に座って御簾の陰にいる少年は大臣が三人そろっているのを確認して、そう言った。
五年前に天皇崩御してから、利紀皇子は幼いながらも天皇と同じ仕事をこなしていた。しかし、まだ子供であることに変わりはなく、天皇位を継ぐことを表明していなかった。
「確かに、今年で十二歳におなりになられるから、申し分なく位を継げますな」
左右の大臣、二人の目付け役ともいえる中務大臣ともに頷いた。帆杜皇子を押していた者達は中将位以下に格下げになり、それ以外の者達は天皇に仇なす逆賊として流刑や死罪になった。帆杜皇子自身も母親が天皇に毒を盛っていたことがばれ、母親もろともに流刑になった。
「それで相談なのだが、私に数日の休養をくれぬか?」
利紀皇子は大臣たち三人にしか聞こえないように言った。
「皇子、せめてお人払いを」
左大臣がひそひそと耳打ちするように言った。仕方なく人払いをし、大臣たちと一人の従者のみで話し合った。
「それで、休養はくれないのか?」
少し拗ねたように利紀皇子は言った。完全に子供に戻っている。
「皇子、我らだけになった途端に子供に戻るのはよしてください」
右大臣が大きな溜息を吐いた。
「私だって子供だ。少しは休ませてくれてもいいだろう?だいたい、本当に天皇位を継いだら、俺は本当にここから出られないんだからな」
利紀皇子は足を崩して伸ばした。
その様子に一番に折れたのは中務大臣だった。
「数日ならよろしいでしょう。ただし、この都から出られて帰ってこられないのでは話になりません。私の邸宅なら都の隅です。それに敷地も広い。住んでいる者も少ないので、まず、皇子がいるとはだれも思いませんよ」
中務大臣は可愛い孫のような皇子が不憫に思えてならなかった。
「中務卿がそう言われるのであれば、仕方ないでしょうな」
キラキラとした瞳を中務大臣に向けている姿をみて、左大臣は項垂れるように賛成した。やはりこの大臣も甘かった。そして、最後まで渋っていた右大臣も渋々承諾した。自分の家の娘が産んだ子、実の孫が少しのわがままを言っているのに、承諾しないわけがなかった。
「皆、ありがとう」
年相応の笑顔で礼を言う皇子は本当に悪魔のような才能の持ち主だとその場にいる誰もが思わずにはいられなかった。
中務大臣の邸宅には一人の少女が住んでいた。人目を忍んでいる割には元気なこの少女は毎日のように家の者達を困らせていた。
「姫様、どこにおいでなのです?」
廊下をバタバタと走り続けている女性を近くの木の枝の上から眺めて、その少女はくすくすと笑っていた。
「いつになったら、気づくのかしら」
気持ち良い春の風が頬をくすぐり、風上へ視線を向けた。
「そう、新しい風が吹くの」
少女はにこやかにそう一人呟くと思い立ったように木の枝から飛び降りた。
「きゃぁ、姫様」
それをたまたま見ていた侍女は悲鳴を上げた。
「煩いよ、胡蝶」
耳を塞ぎながら、少女は溜息を漏らした。
「姫様、胡蝶をいじめないでくださいな。それよりも大旦那様がお帰りですよ」
少女の着物に付いた砂埃を落としながらもう一人の侍女が言った。
「解っているわ。紅葉、新しい風が吹くんですって。良い風ならいいわね」
少女はにこやかに笑って言った。
「姫様はたまに面白いことを仰いますね。新しい風とはどんなモノなんでしょうか」
「解らないわ。でも、今までにないことよ。私に起こるのか、あなたに起こるのかは分からないのよね」
少女ははぁと大袈裟ともとれる溜息をついた。
「きっと姫様にですよ。風も姫様に語り掛けたのでしょう。風に選ばれた巫女様ですもの」
紅葉はにこやかに言いながら、家の主が来るところまで少女を誘導した。
「巫女って…そんなものじゃないよ。たまたま私にはこの玉の加護があるだけだよ」
少女は苦笑して答えた。手にしているのは小さな親指ほどの大きさの透明な玉。光にあたると七色に輝くその玉は生まれたときから持っていたと聞かされていた。それが原因で自分は命を狙われ、両親は生まれて間もないころに命を落としたと聞かされた。五歳にしては聡明なこの少女へ祖父母たちは包み隠さず話した。これから命を狙われたときにいつでも対処ができるようにとも言っていた。
「その玉を瑠璃の玉と言います。あなたの真名も瑠璃と言うのですよ」
以前、紅葉は似たような玉を手にして、話してくれた。紅葉の真名は瑪瑙。手には綺麗な白色の縞模様の玉があった。
「このような玉を持っている者達があと五人います。どこにいるのかも、何をしているのかも解りません。ただ、あなたのその玉に集まってきます。もう一人、最初の人物と言われる玻璃もあなたの傍にいるはずです。あなたは玻璃と共にこの世を救う運命の者。ただ、あなたに災いが起きるのも変えられない真実。しかし、あなたが道を見失わなければこの世は救えます。今までのように。その聡明さも、生まれついての能力もあなたに必要があるからこそ、備わっているものだということを自覚してください。あなたをこれまでも、これからも支え続けますから、どうか」
紅葉は少女に縋り付いて、訴えるように話した。
「…話してくれて、ありがとう。紅葉、あなたに言われなくても、私はきっとこの世を救っていたわよ。だって、大好きな人がたくさんいるこの世を私が守れるなら、守りたいじゃない?」
少女はにこやかに紅葉に言った。
「お爺様やお婆様を守りたいもの。もちろん、あなたや家の人たち全部もね」
五歳のあどけない笑顔で少女は言ったのだった。
紅葉はこの年端もいかない少女に言ったことを少し後悔もしたが、少女の笑顔に救われた気がした。
ありがとうございました。