1-9 線
この庭は、野嵜が何十年も前に作った、古い結界だ。まともに機能するか心配だったが、今見る限りちゃんと働いている。とはいえ、この結界が彼の最新作なのだが。
野嵜は結界張りに卓越している。なかでも、このような生け捕り型を得意とする。基本形は柔軟な膜でできるドーム。その中に、閉じた、しかし無限に続く空間を作る。こうして、いったん迷い込めば決して外にでれない、外と内を隔絶する膜に触れることさえもできない、一種の小宇宙を創り出すのだ。その完成度は、もはや芸術の域である。
今回は植物の力を取り入れた傑作だ。生きる壁でできた魔法陣の隙間に、黒い人影があふれかえっている。彼らは二度と外へ出れない。玉ネギにも食われないものは、永遠にさまようのだ。魔法陣を解かない限りは、玉ネギさえ出ることができない。そういう仕掛けなのだ。
たいていの場合、こういう戦闘で歩兵として使われる下っ端は、憐れな末路をたどる。無理やり呼び起こされ、欲しくもないからだを与えられ、利用しつくされ、捨て駒にされ、救いを与えられず、永遠にこの世をさまようだけとなる。
野嵜。彼がよく生け捕り型の結界を仕掛けるのは、そういった袖振り合ったさまよえる者を、後で浄化する意図がある。何十年か前までは、こういったトラップを、あちこち盛んに張っていた。この結界もそのひとつだった。
しかし、この結界を境に、野嵜の結界のスタンスが微妙に変化する。一ヶ所に、妙に固執する。特にこの屋敷。外側に彼らしくない硬質な膜。番犬の狛犬は、誰も通すな、との変更不可な命が下っている。数には弱い、だが一点集中となると破るのは難しい・・・あの野嵜さえもだ。外部の侵入を防ぐというよりは、まるで自分をひたすら閉じ込めるような造り方だ。
そして何年か前から、パッタリ結界を張らなくなった。一番外側の結界が脆くなっても張り替えることもしない。それどころか、屋敷から一歩も出ない。
隠居?
・・・主人の内心が察せない・・・
ここ何年か、ずっと引っかかっている違和感だ。
(隊長!! あれを・・・!)
部下の声ではっと我に返る。
(どこ)
(あの陣中央のもの、結界解除の陣を描いている可能性があります)
(なに?!)
私が結界に向かって呼びかける。すると目の前に迷路の縮尺図が、案内板のように浮かび上がる。その縮尺図に、結界に迷い込んだものたちの軌跡が光の筋として書き込まれた。
(こいつです)
一筋の光を残して、ほかの筋がすうっと消える。消えるにつれて、かなり複雑で緻密な文様が浮かび上がってきた。問題の<水風船>の足取りだ。
(これは間違いなく解除の陣です。封印の陣を解くための)
(まもなく完成するな・・・。もう玉ネギに食わせても遅い。突撃態勢に入る)
(はいっ)
部下が下がって、待機している部隊に通達する。ここが空中でなく氷上なら、遠目から見た我が部隊は、ペンギンの整列に見えなくもない。
入れ代わりに、私の右腕、副隊長が飛んできた。
(チバシ、なぜ陣を描くほどの頭を持つ奴が、あの中身に敏感な玉ネギに食われなかったんだ?)
(中身がなくとも、これだけの数の<水風船>がいれば、そういう偶然もありうる)
もはや身動きが取れないほど生垣の隙間に詰まっている黒いものたちを見下ろしながら、私はため息をついた。
(もっとも、仕組まれた偶然は、必然と云うべきかしら?)