1-4 風
火花は部屋の中央、めみみの留まっている椅子の脚まで届いた。
めみみが慌てて翼をしまう。
風が出てきた。
闇をわたる、漆黒の風が。
静まっていた庭園の木々がざわめき始める。
聳え立つ洋館に這う蔦の葉がふるえる。
黒く縁取られた窓、野嵜たちのいる部屋の外を、不穏な風が撫でて行く。
野嵜は暖炉に向かって、「∽Å♯▼…」と、低い声で何かを呼んだ。はっきり発音しているが、どうしても聞き取れない、そんな不思議な響きを持つ声だ。その声に応じて、暖炉から炎の塊が這い出て来る。
「仕留めたか」
野嵜の重々しい問いに、静かな声が答える。
「…はい……中枢の『ミミハ』を一匹…」
恭しく野嵜に近づく炎は、キラキラと火の粉を纏いながら豹の形になった。それは、熱で流動する液体のガラスのように、美しい。
「…これで、あちらの伝令系統はしばらく麻痺するものと思われます…」
豹はその口に、何か黒いものをくわえている。
焦げたねずみのようなものだ。
それを目にしてめみみが驚く。
「それは・・・陰啖側の偵察ではないか。
結界破りに長けていると聞いていたが、
ついに結界の名匠・野嵜のものまで破るとは…」
「わしはそこまで落ちぶれてはおらん」
野嵜はにんまりと笑む。
「わざと粗くしておるのだ。
一定以下の雑魚は素通りできるようにしている」
「そんな危険な・・・」
めみみは絶句している。
「危険は承知、もともとここは目をつけられていたのだからな。
それに『ミミハ』は伝令モノ。
そこを利用して、こちらの敵意のないことを向こうに知らせるために、
それから向こうの状況を逆探知できるように野放しにしておったのだ。
だからこそ、このように・・・」
傍に控える豹を見ながら、野嵜は続ける。
「向こうが、いよいよ行動に移ったことを知ることができ、
こちらもそれ相応の心構えができるのだ」
「なら、私も共に迎え撃つ!」
いきり立つめみみを、野嵜は目で椅子に釘付けた。
「いや、君はここにいるべきでない」
めみみは怪訝な顔をした。
「どうして?
いつものように、一緒に暴れるいい機会じゃない?」
野嵜は額に拳を当てて、言葉を選びながら、搾り出すように云った。
「確かに・・・暴れた時期もあった・・・それでなんとかなった・・・。
しかし・・・今回は・・・私の考えるところもある。
私一人で決着をつけたい」
「一人? 危ないじゃない!
自信家も大概になさい!!」
「押さえて」
みみはを咥えたままの豹が、めみみを嗜めた。
「中枢を潰したとはいえ、他のミミハは起動中です」
「それに、」
野嵜がめみみをじっと見る。
「私たちはもはや、共に戦った頃とは違う。
君は『めみみ』であるし、
私はこのような状況であるし」
「だから、身体更新しなさいっていうの!」
めみみがぷくっと膨れっ面になる。
「それに、」
と、野嵜は続ける。
「もしもの場合の指示は、この屋敷に住まうもの全てに出してある。
すべては私の計画通り、ことが運ぶ。今、それが発動したのだ」
野嵜はチェアを回転させてめみみに背を向け、窓を見る。
「しかし、できることなら君を巻き込むことなく・・・」
窓はさっきよりも黒さを増している。肉眼では外の様子がわからない。
「・・・君が来たとき、まだ外は明るかった。
明るいうちは、あいつらは動けん。
日が沈む前に何度も帰るように促したのに…」
「そんなこと、さっさと云えばよかったじゃないですか」
「帰れと云ったら、君が勘ぐるだろう。
そして確実に君がこの屋敷に残ることになる。
ギリギリまでチャンスを残していたのだが・・・」
野嵜が窓に映るめみみを、軽くねめつける。
「お生憎様。」
と、めみみ。
そんな彼女に、野嵜はため息。
「まぁ、今日君が『めみみ』を伝令以上に使ってくれていて、不幸中の幸いだ」
窓の方を向いたまま、呟いた。
「もっとも幸か不幸かは、君の実力次第だがな」
「ん? 何て云いました?」
「いや、何でもない。
・・・ミミハを潰して取った、状況説明の時間はこれぐらいだ」
ふっと野嵜の顔が締まる。
「始まった」