1-12 穴
「ここから、出れないことはないわ」
抑揚を付けずに、めみみが発音する。
「そうだろうな」
野嵜がゆっくりと机をまわって近づいて来る。ふかふかな絨毯のため、足音は聞こえない。
「でも・・・」
「できるかどうかは別。」
野嵜の声だけが響く、静かな部屋。
「そうだろう?」
うつむいたまま、何も云えないめみみ。
その横に来て、そっとささやく野嵜。
「仮にも私は野嵜だからな」
「出れるわ」
めみみは野嵜に、そして自分に言い放った。挑戦的に見つめられる野嵜の顔には、笑みがあった。他者を見下す、冷たい笑みが。
ジッと見つめる火ょう。その瞳にはかつての幼馴染、ゾディが映っている。
その間にさっき喰いちぎった、巨大なナメクジのような肉片が、ゾディの方へ素早く這う。すぐに、ゾディの脚を這い登り、もとあった喉元に収まる。
「あー、あー、テスト、テスト」
ゾディのもう一方の首が、片言にしゃべり始めた。
「よお、火ょう。元気、してるか?」
火ょうは表情を変えずに応じる。
「元気だ。まさかお前と言葉を交わせる日が来るとは思わなかったぞ、人面瘡・・・」
狼の首と並んだ人間の首が、ニヤリと笑う。
「そうだな、貴様とゾディが仲良くしてる頃は、まだ、ただのできものだったもんな」
「そのお前が、なぜゾディを囮に使うまでになった。なんで、人面コブのパーツが足りて、君のパーツが足りないのか、ゾディ!」
「ゾディ自身が望んだからだよ、火ょう。貴様を取り戻すなら、どんなことでもするってな」
こっくりとゾディがうなずく。
「・・・ゾディ・・・!」
火ょうは言葉もない。
[己が身、生くるまま従者に決して与ふべからず。
己が事、全て従者に決して任すべからず。ゆめゆめ・・・]
「貴様がいなくなってから、こいつは淋しくてしかたがなかった。天涯孤独になったからな。・・・それで、俺を貴様の代わりにしたのさ」
「自己の身体の部分に、従者を造ってはならない。野嵜がまず教えただろう?」
人面瘡が、ふん、と鼻を鳴らす。
「俺は<ツクモ>さ。毎日毎日話しかけられ、答えてほしい、『火ょう』が欲しい・・・と願われた結果、こうなったのさ」
火ょうは深々と息をついた。
「それだけの年月が経ってしまった、ということか」
「それだけの想いがあったのだよ」
「それで、なぜ、野嵜を狙う」
ゾディがおずおずと口を開く。
「『火ょう』と一緒に〜いたくて〜・・・」
「? なら、伝令を使って呼べばいいだろう」
「だから〜野嵜が〜」
「いい! 俺が説明する」
ゾディの歯切れの悪い口調に我慢しきれないのか、人面が割り込んできた。
「ゾディの件で、貴様にどうしようもない事情があったのは、察する。ゾディを失ったことで、その穴を埋めようと任務に没頭したのもわかる。その結果、野嵜の片腕になった。今や貴様の相棒は野嵜。たとえゾディが貴様を呼んだとしても、野嵜が引き戻す。だから、野嵜をなくせば、火ょうはゾディのところへ・・・」
「お前の洗脳か。
というより、陰啖の入れ知恵だな」
ふっと切なく火ょうが笑う。
「お前が脳無しなのをいいことに、そういう思考回路を吹き込んだ。
お前は人間らしく振舞っているつもりかもしれないが、結局は陰啖の操りタコさ」
余裕シャキシャキだった人面の表情が変わった。
「野嵜のところへ通せ」
「通すものか。たとえ死闘になろうとも」
「そうなったら、貴様が死ぬ。貴様にゾディは殺せないからな」
人面が蔑んだ笑みをたたえる。
「そして俺をも殺せない。俺はこいつが生きる限り、体のどこかに巣くってやる」
「お前はゾディの病だからな、あらゆる意味で。――ゾディ、」
火ょうがゾディに向く。
「そいつは俺じゃない。そいつを捨て、本当の俺のとこへ来い」
ゾディがうなずく。
「ゾディ! こいつは野嵜を無くさない限り、お前のところには帰ってこないぞ!」
人面がゾディの耳に叫ぶ。はっとしたゾディが、またうなずく。
その様子を見て、火ょうは肩をすくめる。
「野嵜はどこだ! 野嵜のところへ通せ!」
人面が喚き散らす。
「ご覧の通り、結界の中だ」
淡々と火ょうが答える。
「お前らほど大きな力を持つものは入ったが最後、二度と出れないぞ」
「出る方法はある」
ニヤリ、と人面が口を吊り上げる。
「その結界の造り主、すなわち野嵜を殺すこと」
「私をなめないで」
めみみが野嵜を見据えて云う。
「あなたも云ったでしょ。ただの『めみみ』で来たわけじゃない――『わたし』が来たの。これがあなたの幸にして不幸ね」
「ほう・・・じゃあ、ますます厄介になるのではないのかい?」
「あなたが張った結界くらい、『わたし』なら、」
「この『野嵜』が張ったのだよ」
自信たっぷりで、野嵜が云う。
「ならば・・・!!」
と、めみみが椅子を蹴って飛び上がった時、窓の向こうからガラス――いや、結界を突き破って、大きな塊が飛び込んで来た。