1-11 窓
煌煌とシャンデリアの燈る部屋。
ふかふかな絨毯の上に散りばめられた、鋭く光を放つガラスの破片。窓に近づくほど、散らばる破片は密になる。色のないガラスだが、シャンデリアの炎を反射して朱色になっている。ただ、侵入者の影になった欠片だけが、闇色を映していた。
革張りチェアの上にも、黒檀の机の上にも、窓の欠片が散乱している。それを踏みしめ、破れた窓を背景に仁王立ちする、<水風船>から羽化したもの。・・・全身は、生まれたての仔牛のように濡れそぼり、頭にはまだ、破った抜け殻をそのまま被っている。そして、これらも炎によって、ぬらぬらと朱色に照らされている。
「野嵜さぁ〜ん?」
くぐもった、粘っこい声が、皮の下から聞こえる。
「どこに行かれました〜?」
その、犬のような身体は真っ黒だが、そのところどころに白骨が見える。下半身にいたっては、ほとんど皮・肉がついておらず、ハイエナに貪り食われた死体のようだった。
「あなたに退路はないですよぉ〜?」
ジャリ、と足を踏み出す音が、空っぽの部屋に響く。肋骨が剥き出しになった脇腹が、ぬらりと光る。
「あ〜、もしかして〜、そこですかぁ〜?」
足音も立てず、机から降りる。したたる液が、絨毯に黒い軌跡を残す。侵入者が歩み寄ろうとしているのは、部屋にかけられた小さな一枚の絵。闇に沈む、古びた洋館の窓を描いたものだ。蔦が這う壁、明かりの消えた窓。そこに、一人の老人と奇妙な鳥が覗いていた。
「状況危ないんじゃないの?」
窓の外を見ていた、めみみが野嵜を振り仰ぐ。
「ここは閉じた空間、なんでしょ?」
野嵜はふっと笑いを漏らす。
「そう、ここより後ろはない」
椅子を回転させて、部屋の中、それから部屋から廊下へ続く出入り口を眺めた。
「いかなるものも入れるが、君のような大きなものは出れない。あの、『火ょう』でぎりぎりだ。『火の子』たち程度の雑魚なら通れるが・・・」
「『火の子』って、あの、出て行った、いい子たち?」
「そうだ」
小さく、ひ弱な使者たち・・・どう考えても戦闘向きではない。城を守る兵士ではない。
そうでないならば――。
『最後の仕事を頼む』
先ほどの野嵜の言葉を思い出す。そして、目の前にいる野嵜――いや、野嵜を名乗る肉塊を見る。
「あの子たち・・・あなたを閉じ込めるために作ったんでしょ、野嵜が」
めみみが野嵜の膝から飛び立ち、再び、椅子の上に留まる。
「気付いたか。」
光を背にして、黒く、野嵜が笑う。
光を浴びて、白く浮かぶめみみは、身じろぎひとつしない。
永遠に続くのではないか、と思われる沈黙が降りる。
しかし、それを破るのは、やっぱりめみみの方だった。
「陰啖、」
めみみが老人に巣食うモノの名を呼ぶ。
「貴様というやつは・・・」
云い終える前に、野嵜の身体は首を振ってチェアから立ち上がった。
「どちらにしろ、私にも君にも、ここからの出口はないのだよ」
ゾディのいる、朱色に染まっていた部屋が、一転して青くなった。シャンデリアの炎の色が変わったのだ。蝋燭ではありえない、真っ青な、高温の炎。
ことの異常さに気付くのが一瞬遅れた、侵入者。
攻撃態勢から防御態勢に切り替える、その一瞬の隙をついて、シャンデリアの炎が飛びついた。
「これはこれは〜、『火ょう』ではないですか〜?」
黒い侵入者が、自分の喉元に喰らい付いた炎に、平然と問いかけた。
「『火ょう』が、いヒョウをつくってね〜? いや、意表をつかれた、ですかぁ〜?」
皮の下で、クククッと笑いを殺している。「火ょう」と呼ばれた炎が、ゆっくりと豹の形になる。先程みみはを捕らえた、あの炎の豹である。
「双頭の狼、『ゾディ』をお忘れですか〜?」
豹はカッと目を見開き、全身の炎を最大限にした。炎は黒い塊に燃え移る。身体に絡み付いていたヌメリは蒸発し、さらさらの毛皮が現れたが、身体自体を燃やすまでには至らない。頭に被った抜け殻だけが燃えた。
「お口が塞がっていて、答えられないですか〜?・・・ひとつ頭って、不便ですねぇ〜?」
そこにいたのは白いたてがみ、二つの頭を持つ、黒い狼だった。
しゃべっているのは、豹が喰らい付いている首とは別の、もうひとつの首である。
「いや〜、いい炎ですね〜。おかげさまでサッパリしました〜。もう、ベチョベチョで気持ち悪くて〜」
グチュリと音を立てて、豹が狼から離れる。口には、喰らい付いていた喉の肉片がある。
「あいかわらず、ものを口に咥える癖が抜けないんですねぇ〜。三つ子の魂百までっていいますし、ねぇ〜」
口の中のものを床に吐き捨てて、豹はしゃべり続ける狼を見据えた。
「あれ〜? お口に合いませんでしたか〜?」
「無様な姿だな、『ゾディ』」
「そりゃあ〜細切れになって〜<水風船>に入って〜ここに入り込めたのはいいけど〜、いくつか〜あなたのとこの下っ端にやられちゃったから〜パーツが足りなくて〜」
「頭の中も足りてない」
「そうなんです〜。なんか〜しゃべるの〜遅くって〜」
火ょうは耐え切れず、頭を振った。
「そのくだらないしゃべりを止めろ。そっちの喉も食いちぎるぞ」
「久しぶりなのに〜、ひど〜〜いな〜」
「ずいぶん昔に、お前とは袂を分かった。その状態は今でも変わらない」
火ょうはゾディを見つめていた。
「その証拠に、今君はここにいる。俺の主人を潰すために」