1-10 壁
パンッと乾いた音が、大気を揺るがせた。
途端に黒いなだれが生垣を押し倒し、庭の奥へと広がる。結界が破られたのだ。
屋敷まではあと少し。
(――チバシ部隊、突撃!)
チバシの命令で、十数匹の空飛ぶペンギンが急降下する。よく見ると、彼らはペンギンと違う生き物であることがわかる。空を突っ切る嘴や翼はペンギンのもの。だが、トンボのように大きな眼のある顔、眉毛のようなフサフサとした触角、毛むくじゃらな胴、それらは翅をもいだ蛾のようだ。彼らが飛んだ跡に、白い燐粉が尾を引く。ぞくぞくと屋敷を目指す黒い群れに、流星のように突っ込んでいく。
チバシ部隊は地面すれすれで急カーブ、それぞれが人混みの中を突っ切る。彼らが通った後、次々と<水風船>が崩れて行く。チバシたちが剃刀のような嘴で、皮を裂いているのだ。縦横無尽に黒い波をくぐるチバシ部隊。<水風船>の中身が流れ出す音が響きあって、砂浜から引く波のような音に庭が包まれる。
こんなに効率よく<水風船>を割っているのに、焼け石に水、黒い行進は止まらない。
チバシは、野嵜の言葉を思い出す。
(侵入者は、<水風船>に紛れてくる。できる限り<水風船>を壊すこと。うまく追い込めば、相手は尻尾を出す。動きが妙な奴から狙え)
(先頭集団は行かせろ! 中心を狙え!)
チバシが叫ぶ。隊員が真ん中めがけて群れを突っ切り始める。すると、群れの中から何体かの人影が飛び出し、超人的なジャンプで屋敷の壁や窓に張り付いた。そいつらは大きなヤモリのように、するすると壁をのぼっていく――と思いきや、途中で宙に投げ出された。壁につたっていた蔦が、弾き飛ばしたのだ。蛇が鎌首をもたげるように、ゆらゆらと蔦が壁から起き上がる。
(やっと起きましたか、クサドリさま。ご老体のあまり、今回はお休みになられていると思っていましたよ)
チバシが動き出した蔦に挨拶する。
(後輩にばかり任せておれんだろう…実際、長いこと枯れておって、動くのはきついがのぉ)
ばしばしと<水風船>を叩き落としながら、年老いた蔦が応える。彼は、建物中に張り巡らせた茎を、触手のように動かすのがやっとである。
その間にも、妙にすばしっこい人影が壁を走る。速すぎて蔦がついていけない。
(クッカ、そいつを頼む!)
すかさず隊員が追跡して、切り裂く。
ドシャアッ
中身がぶちまけられる。それに混じって、何かの内蔵のはしきれみたいなのが壁をつたう。
(よっしゃ当たり☆)とクッカが喜ぶのもつかの間、あっちの壁を飛び跳ねる影が。
(こっちはもらい〜!)
意気揚々と飛び付いたクッカを、そいつは壁に叩きつけた。
ギギィ―――!!
黒板を爪でひっかくような悲鳴をあげるクッカを、なおも叩きつける。
(やべぇ、あいつだけ強いぜ…)
(そろそろ化けの皮が剥げて来たな。みんな、気を引き締めていくよ!)
チバシ部隊がその一匹を目がけてつつきまくる。
(こいつだけめっちゃ、皮、厚いで)
やがてそいつは無音の叫びをあげ、ズブズブと中身を垂れ流しながら萎んでいった。
(見てご、さっきのやつより中にあった肉片が多い)
隊員の一匹が云う通り、今度のやつはブヨブヨした塊や毛が大量に混じっている。それを窓からの光がヌラヌラと照らす。
(これは、シッポでは…?)
シッポ、しっぽ、、、、、トカゲのしっぽ。
(あ! しまった!)
チバシ部隊が顔を上げると、一際大きな人影が、野嵜たちの窓へ近づいていた。 懸命に抗う蔦をものともせず、周りから来る人影と、水銀のようになめらかに合体している。その動作は緩慢だが、見る間にもこもこと膨れ上がっていく。
(これは囮で、あれが本体だ!!)
チバシたちが総力を挙げて、その黒い塊を崩そうとする。しかし、先ほどの個体にまして、非常に丈夫な皮である。そのゴムのような皮の内側で、ゴキゴキと骨のなる音が聞こえる。
(何かが、この中で組み立てられてる!)
(ホンマやばいで!!)
嘴も立たないチバシ部隊は、もはやなす術がない。必死でつつくが止められない。
(これまでだ、皆、引け!)
チバシが撤退命令を出した。素直に命令に従うものもいたが、あきらめきれないものもいた。黒い固体は、大きな芋虫の形になり、中で別の何かが動いている。
(離れろ! もうそいつは危険だぁ!!)
チバシが叫ぶ。そいつが急にむくっと膨れた。そのとたん何かが頭の皮から突き破って出て来、そのままガラス窓も突き破った。派手な破壊音。飛び散った中身をかぶった何匹かの隊員や蔦は、硫酸に触れたかのように溶けてしまった。焼け付く死臭が辺りに充満する。
(とうとう、入っちまった…作戦通り、か)
チバシが呟いた。
割れた窓ガラス、負傷したクッカを見ながら、思い出すのは野嵜の言葉。
(…我らが総力を挙げても侵入を防げない、そのように演じろ。極力こちらの犠牲を出すな。
むしろ、後の仕事に心身尽くせ)