11-COMET
感心している私をよそに、マーリンはエレインに手渡された羊皮紙に水銀のようなものでさらさらと魔方陣を書いていく。描き終わると、何かを呟いた瞬間その羊皮紙の魔方陣が紅く輝いた。
「さて、そろそろ始めるとしようか。アルカード、上着を脱ぎなさい。それと、ちょいと血をおくれよ」
立ち上がったマーリンは私の手を取ると、ナイフで掌を切り裂き、その血を羊皮紙に乗せた。上着を脱ぐと、私の背中にもどうやら魔方陣を私の血で書いているようだ。
「さぁ、これで準備は整った。アルカード、心の準備はいいかね?」
「あぁ」
私の返事を聞くとマーリンはにっこりと笑い、私の前に羊皮紙を差し出し、その上に掌をかざして口上を唱え出した。
「偉大なる3つのヘルメスの御名において、我マーリン・アンブロジウスが命じる。龍王の名を継ぐ者よ、滅びの民よ、血の契約の元、紅き龍と白き龍のエリクシールを封印せよ」
そう唱えた瞬間、今度は羊皮紙の魔方陣は白く光り出して、私の身を包んでいた瘴気が薄れて、背中の魔方陣に吸収されていくような感覚がした。
「あぁ、成功したようだね」
私の背中まで回り込んで見回していたマーリンは満足そうに微笑んだ。
「アルカード、君は大きな使い魔がいるね。その使い魔を封じる術式をかけた。その使い魔を出したいときは、自傷行為で血を出した後に、血の契約を解除せよ、そう言えばいい。あぁ、ラテン語でね」
「そうか、わかった」
「ただ、君のあの最大の術はあまり使わない方がいいと思うね。だから、そこには特別強い魔力で封印を施しておいたよ」
「構わない。何もなければ使う事はないだろう」
「もし、どうしても使う場合は、あぁ、この羊皮紙に書いておいたから、これを詠唱しなさい。それはなくさないように。それと、その術に関しては2つの制限と言う形で対価をもらったからね」
「2つの制限?」
「その術を発動した時には、君の全ての血と力を解放する。そうなれば発動時はただの一人の吸血鬼だ。今の様に不死身に近い状態ではいられないから気を付けるんだよ。それと、君の睡眠時間を以前の3倍に延長した。正確には、そうせざるを得なかったわけだがね。君のその不死身に近い体と力は呪いだ。何と言っても君は自ら魔に身を窶した真祖だからね。その呪いを抑える為には、君の睡眠時間で均衡を図らなければならない。君が強くなればなるほど、時間を必要とする。いいかね?」
「・・・あぁ、わかった。この礼は何をすれば?」
「いや、君から貰った「リスク」と「時間」。これが対価としては十分だよ」
「そうか、ありがとう」
マーリンに礼を述べて屋敷を出ようとすると、玄関先までエレインが見送ってくれた。
「アルカード様、ミラーカ様、マーリン様は今日、あなた方に会えてとても喜んでおられました。また、遊びに来てくださいね」
「えぇ、勿論よ。100年くらいしたらまた来るわ」
「さすがに100年は待ち遠しいです」
「何を言っているのよ。あなたもマーリンも私達より長生きじゃない。しかもあなたの方が随分と年上みたいだし」
「まぁ、それはそうですが。ミラーカ様はお友達も大勢いいらっしゃるようですし、今度はお友達もご一緒にいらしてくださいね」
「嬉しいわ。そうさせていただくわね。じゃぁエレインもマーリンもお達者でね」
「お二人もお元気で」
「改めてマーリンに礼を伝えておいてくれ」
「かしこまりました。では、お気をつけて」
エレインと別れて再びアブヴィルの屋敷へと戻った。
「ミラーカ、あのエレインと言う女性も魔術師なのか?」
正直、エレインの方がマーリンよりも年上だという事に驚いた。マーリンが史上最強の魔術師だと言うのに、それ以前から延命術を使用した者がいたという事かと疑問に思った。
私の質問に、ミラーカはふふっと笑いながら答えた。
「エレインは人間じゃないわよ」
「あぁ、そうなのか。では彼女は?」
「彼女は“湖の乙女”いわば妖精よ」
「妖精か。なぜ妖精が人間につき従っているんだ?」
「彼女はマーリンの弟子であり、愛人だからよ」
「なるほど。妖精が弟子入りするほどとは、本当にマーリンは大した男だな」
「彼だって純粋な人間じゃないわ」
エレインの正体だけでも5本の指に入るほどに驚いていたが、その返答に更に驚いた。
「では、彼はなんだ?」
「マーリンは人間の女とインキュバスのハーフよ。母親がマーリンに洗礼を受けさせたおかげで、彼から邪悪な瘴気は消え、強大な魔力だけが残された」
「それであれ程の魔術師になったわけか。まさか悪魔と人間の子供とは、驚いたな」
「世の中にはもっと面白い人がいっぱいいるわよ。それこそ吸血鬼と人間の子もね。この探知能力のお陰でいろんなタイプの人に出会えて楽しいわよ」
「マーリンと出会ったのもその能力で引き合わされたわけか」
「そうよ。おかげで私もお世話になったわ」
私が戦いに明け暮れている間に、ミラーカはいろんな人物と会って見分を広めていたのか。同じ化け物でも生き方というのはやはり人間同様に違う物なのだな。
私が今まで吸血鬼になってから出会ったのは、ミナ以外は全て敵もしくは餌だった。いや、こうなってしまえば、ミナでさえ敵であったのかもしれない。状況からして、ミナが教授を手引きしていて、最終的には心中するつもりだったのだろう。
私とミナが出会わなければ、こんな結末はなかったはずだ。もし、あの時ジュリアスが写真を見せなければ、そのままジュリアスとミナは結婚して、彼女はジュリアスのモノになっていて、私の手の及ばない存在になっていたはずだ。今頃きっと、二人で幸せに暮らしていたのだろう。
私と出会ってしまったから、ミナもジュリアスも死んだ。本当に私は化け物なのだな。人に死を振りまく事しかできない。なんという憐れな存在だ。
生前から、父も、兄も、妻も、領民も、神が私から愛する者を奪うのは、私に愛する資格も、愛される資格もないという事なのだろうか。
それが、私に課せられた呪いなのだろうか。それならばなぜ、ミナを、エリザベートを思うこの感情を、消し去ってはくれないのだろうか。
神は、残酷だ。人より、悪魔より残酷で、いっそのこと悪辣だ。所詮神はアブラハムの子孫しか救わない。
我が子を贄にするほどの狂信者でなければ、救われない。やはり、残酷だ。
「アルカード、あなたあの怪我どうしたの?」
思索に耽っていて急に声をかけられハッとした。怪我は未だ治っていなかったか。マーリンの屋敷で上着を脱いだ時に見られたのか。
「別に、ただヴァンパイアハンターにやられただけだ」
「あなたにあれほどの怪我を負わせるなんて大した手練れね。なんていう人?」
「ヘルシング教授と言う男だ」
「ヘルシング教授・・・なんだか聞いたことがあるような・・・そうだわ! 確かアムステルダムの精神医学の教授よ! 新聞で彼の記事を読んだ覚えがあるわ」
「精神医学? なぜ精神医学の教授が化け物狩りなどを・・・」
「精神病患者に吸血鬼がいたとかかしら?」
「わからん、が、ヘルシング教授の本拠がアムステルダムとなればフランスに長居する事は出来ない。これほど世話になって申し訳ないが、私は早々に移動する」
「そうね。どこか異国に移りましょう。あなたも休養が必要でしょうし、その間のことは私に任せて頂戴」
そう言ってミラーカは即座に立ち上がった。
「いや、何もミラーカまで随行することはない。これは私の都合なのだから」
「何を言うのよ。ここで会ったのも何かの縁よ。旅は道連れっていうじゃない」
「しかし、そこまで世話になるつもりはない」
「言っておくけど、私だってただであなたのお世話する気はないわよ。あなた昼間は起きていられるんでしょ? 昼間の私の護衛、お願いね」
「等価交換か、わかった」
「じゃ、まとまったところで早速準備しましょ!」
それからミラーカはティールームの男女を処分しに足を向けるも、すぐに戻ってきた。
「どうした?」
「このまま放置していた方が面白いわ」
「・・・」