10-MOON
ロンドンからドーバー海峡を経て、私はフランスのアブヴィルというコミューンへたどり着いた。河畔の風光明媚な町、歴史的な作りの家が立ち並ぶ街路をふらふらと歩いていると、川沿いの屋敷の前で月明かりに照らされて、美しい女がこちらを見て佇んでいた。
とりあえず、腹が減った。この女を喰おう。そ知らぬふりをしてゆっくりと女に近づくと、女の方から声をかけてきた。
「あなた、吸血鬼よね?」
予想もしなかった言葉に驚いて女の顔を見ると、その女は美しい顔を綻ばせて微笑んだ。
「心配しないで、私もあなたと同類よ。うちにいらっしゃい。食料なら山ほどあるわ」
それだけ言うとさっさと屋敷の中に女は入って行ってしまった。どの道他に行く当てもないので私も渋々女に着いて屋敷の中に入ると、屋敷の中は血の匂いが充満していた。
サルーンを抜けて「食糧庫」と呼ばれた部屋に入ると、そこには面白い光景が広がっていた。天井からくさびを打たれて吊るされた、たくさんの若い男達。見たこともない器具を装着されて泣き叫ぶ若い女達。そのいずれもが、血を流し、それでも生きていた。
「うふふ。ちょっと驚かせてしまったかしら? 気にしないで。お好きなのをどうぞ」
そう言うと女は天井からつるされた男の一人の肩にナイフを突き立て、ゆっくり切り裂いてそこから流れ出た血をグラスにとって、ゆっくり味わうように飲んでいた。
私にはこの女のような趣味はなかったので、適当にその辺の奴を食べることにした。
しばらくして、少しは渇きが収まってくると、女は微笑みながら口を開いた。
「私はミラーカ。ミラーカ・カルンシュタイン」
ミラーカ? カルンシュタイン、どこかで聞いた名だな。
「あぁ、もしかして血の伯爵夫人か」
「よくご存じね。そうよ」
言い当てられた女、ミラーカは嬉しそうに微笑んで、それであなたは? と尋ねてきた。
「私はアルカード・ドラクレスティ」
自己紹介すると、ミラーカは大きく目を見開いて急に大喜びし始めた。
「本当に!? あなたがあの不死の王アルカード!? 最強の吸血鬼アルカード!?」
どうやらミラーカも私の事を知っていたようだ。
「まぁ、そうだが。そんな二つ名がついていたとは知らなったな」
「私なんて幸運なのかしら! まさか伝説の吸血鬼に会えるなんて嬉しいわ!」
余程嬉しかったのか、彼女は私の隣に腰かけて目を輝かせて手を握ってきて、部屋で行っている所業からは想像もつかない程明るい笑顔に、思わず苦笑してしまった。
「伝説になるほど長生きも大層なこともした覚えはないがな」
「そんなことないわ! 少なくとも私みたいに作られた吸血鬼からしてみれば、あなたのような真祖が存在するだけでも伝説よ!」
興奮して握った手をブンブン振ってくるミラーカに再び苦笑してしまう。ふと、疑問が浮かんだ。
「何故私が真祖だと?」
そう尋ねると、ミラーカは少し興奮が収まったようで、ニコッと微笑んで答えた。
「私、人より少しだけ探知能力が高いのよ。それで、さっき強烈な瘴気を感じたものだから屋敷の外に出てみたらあなたが立ってるじゃない? あなたは本当に、最強という名は伊達ではないわね。本当に強いわ。でも、それは後天的に得た力もあるでしょうけど、先天的なものでもあるわね。だから、真祖だって思ったのよ」
なるほど、それで私が吸血鬼だという事もすぐに分かったのか。しかし、探知能力か。吸血鬼の力にも色々あるものなのだな。
ふぅん、と呟きながら考え込んでいると、再びミラーカが口を開いた。
「でも、アルカード。あなた今のままじゃかえって危険ね。力を制御した方がいいわ」
危険? 何故? 不思議に思ってミラーカを覗き込むと、やっぱりわかってないと言う顔をして溜息を吐いた。
「あなたは今まで闘争に闘争を重ねてきたのでしょうね。だから必要なかったかもしれないけど、これから徐々に戦争は減っていくわ。もう、戦いに生きることは難しくなるでしょう。それよりも、人に紛れて生きる術を身に着けるべきよ。その為にはあなたのその強力な魔力を放出し続けるのは、仇になるわ。必要な時にだけ使えるようにしておいた方が効率的だし、エクソシストだとかヴァンパイアハンターに探知される確率も低くなるわ」
確かに彼女の言う通りかもしれない。産業革命において発展したのは生活だけではなく武器や兵器も新しく高性能なものがどんどん製造されている。
今後戦争が起ころうとも、これまでのような兵力と戦術の戦争ではない。兵器と戦略の戦いになる。昔ほど、戦地で人が戦う事はなくなる。
「確かに言う通りかもしれないが、私は制御などしたこともないし・・・・・」
「それなら心配ないわ!」
ミラーカは私の言葉を遮って立ち上がると、出かけましょう! と急に手を引いて歩き出した。屋敷を出て、そのまま馬車に乗りパリ郊外のセルジーという町に着いて、ある一軒の古い屋敷の前で馬車を停めると、さぁ行きましょう、と馬車を下りる彼女の後を着いて屋敷に向かった。
年若い門番に招き入れられて入った屋敷は薄暗く、ろうそくのほの明かりだけが揺らめいていた。
しばらく歩き、ある部屋の前で立ち止まりドアをノックすると、中から老人の声でどうぞ、と返事が返ってきた。
「やぁミラーカ、いらっしゃい。久しぶりだね」
「久しぶりね、マーリン、それとエレインも。相変わらず元気そうで何よりよ」
部屋には奥のデスクに老人が一人と、若い女性がその傍に一人控えていた。マーリンと呼ばれた老人は私に目を向けると、驚きながらもにこっと微笑んだ。
「ミラーカ、そのお連れさんは吸血鬼かい? また大層強い人だね」
どうやら、この老人もただの人間ではないようだ。顔中に長いひげを生やし、年老いているにも拘らず大柄なためか強い生命力を感じる男。
ミラーカは私の手を取ると自慢げに私の事をマーリンに紹介し始めた。それを聞いたマーリンはとても驚いて、立ち上がり私の前まで来ると、ようこそと歓迎してくれた。
「いやぁ、まさか噂の不死の王に会えるとはね。長生きと言うのはするものだね」
「うふふ、本当ね。それでね、マーリンに今日は頼みごとがあるのよ。アルカードの魔力を制御できるようにしてほしいの。あなたにならできると思って連れて来たのだけど」
「あぁ、なんとかやってみるさ」
そう言うと、マーリンはエレインに何かを指示して本棚から何冊か本を取って、パラパラとページをめくり出した。
「ミラーカ、彼は?」
正体不明のマーリンの事を尋ねると、ミラーカは思い出したようにこちらに振り向いた。
「彼はマーリン・アンブロジウス。至上最強の魔術師であり、錬金術師よ。彼は人間だけど、その呪術で1400年近く延命している、正真正銘の魔術師」
魔術師、本物に会うのは初めてだ。それにしても人間と言うのは本当に素晴らしい。元々才能もあったのだろうが、それに努力を重ねてここまでになるとは。大したものだ。本当に、人間の探究心、叡智と言う物は素晴らしい。
血のにじむような努力、諦めの悪さと言ってもいい。それこそが人間の強みか。