1-DAWN
1431年
ツァラ・ロムネヤスカ公国 通称ワラキア公国
今は既に亡き、森深き河畔の小国。
私はこの地に、貴族であり、ドラゴン騎士団員である父の二男として生を受けた。
厳格で勇猛な父、聡明で美しい母、強く優しい兄、3人の可愛い弟たち。屋敷の前が処刑場であったことを除けば、幸福な子供だったと思う。
「お父様、この刑場で処刑されるのが女の人ばかりなのはなぜですか? 彼女達は何をしたのですか?」
毎日のように家の前で処刑される女達が、火炙りにされ悶え苦しむ様を見つめながら父に尋ねた。
「あの女たちは魔女裁判で有罪になった魔女だよ」
「魔女?」
「悪魔と契約をした罪深き女の事だよ」
「罪?罪を犯したのですか? 魔女は悪い事をするのですか?」
「魔女は何もしなくても、存在するだけで罪なんだ」
敬虔な正教徒であった父は、竜騎士に叙任され「竜公」という渾名にとても誇りを持っており、私にも熱心に神の教えを説いた。
両親の熱心な信仰と、目の前で死んでいく魔女達を見て育った私も、当然の様に正教会に信心した。
今思えば、幼少の頃から人が惨殺される様を見て育つことが幸せだったとは思えないが、当時の私には当然のことで、反逆者は殺されてしかるべき、その概念が根付く根底にあったのは、この魔女裁判と処刑だったのだと思う。
私が7歳になった時、父が公国の君主の座に就いた。そこから、私達の運命は大きく変わっていくことになる。
純真ゆえの残酷に満ちた子供時代に終わりを告げたのは12歳の時。
公国は、帝国の藩属国であったが、父は国の独立に尽力し、断続的に帝国と交戦していた。
父が就任した年に、侵略してきた帝国から国民を救おうとしたことで、父は帝国のスルタンから不興を買った。キリスト教国混成軍、通称ヴァルナ十字軍は帝国に敗走し、元帥フニャディ・ヤノーシュに責任があるとして、兄、ミルチャが戦争責任を追及したため、ミルチャもまたヤノーシュから恨みを買った。
父と兄が買った恨みは、後に人生を大きく変えるファクターとなる。
侵攻してきたヤノーシュから逃れようと帝国に亡命した際、私と下の弟、ラドゥは父と共に帝国に拘束された。その間、短期間ではあるが、ミルチャが父の代理として公位に就いていた。
私とラドゥを人質に取られ、父は帝国に従属を誓う事を余儀なくされ帰国と復職を果たしたが、私とラドゥは12歳から約5年間、帝国の人質として囚われた。
囚われの身でありながら、デウシルメ令により徴兵され、イェニチェリ軍団に従軍したことで、戦争の英才教育を施された。
戦術、戦略、用兵、そして殺し方。イスラム教国家であった帝国の配下にあったイェニチェリ軍団は、他国から捕虜としてきたキリスト教徒たちで構成されていたため、いざ戦争に駆り出されると抗戦する相手は同じキリスト教徒。
私も同僚も最初はその葛藤に悩まされていたが、徐々にその感覚も麻痺していった。それにより私は疑り深い性格を養うこととなり、狡猾で反抗的で兇暴だとして恐れられていた。
反対にラドゥは、その美麗な容姿からスルタンの汚い男どもに寵愛を受けて、自らの体と美貌を駆使し、地位を向上させることに妄執するようになり、私はそんな弟を苦々しく感じた。
「お前には竜公の子として、神の子としての誇りはないのか」
「兄様、信仰や誇りで生きていけるなら、男娼のような真似はしませんよ」
ラドゥの含みのある笑顔に虫唾が走った。
囚われの身となってから3年後、戦争責任を追及され死刑まで宣告されていたにもかかわらず、政治手腕とこれまでの功績をたたえられたヤノーシュは完璧に信頼を回復し、幽閉された王の代わりにハンガリーの摂政となり、その権力を以て父と兄が暗殺された。二人は自分で墓穴を掘らされた上に、生きながら土中に埋められ、無念の死を遂げたと聞いた。
父や兄の仇を討つために、国を取り戻すために、戦うことを決めた。
オスマン帝国、そしてハンガリー。私たちの敵は強大で、それに打ち勝つには一筋縄ではいかない。
戦わなければ勝てない。勝つためには手段は選ばない。
公国にはヤノーシュの目論見で、我が一族と敵対する貴族の人間が国王として君臨していた。私は公国の支配を企む帝国の支援でそいつを排除し、帝国から解放され、17歳の時に国王に就任した。
しかし2か月で前任者に公位を追われ、同様に、かつては隣国モルダヴィアの国王であった伯父の元に身を寄せた。
「ヴラド、俺は絶対にモルダヴィアを再興して王位を手に入れるぞ。だから、その時はお前もちゃんとワラキアの王位に就けよ」
「勿論そのつもりだ。俺が先に王位に就いたらステファンが王位に就けるように支援してやる」
「それはこっちのセリフだ。俺が世話してやるからヴラドは待ってろよ」
「いや、俺が先に復職して世話してやる」
「なんだよ、お前負けず嫌いだな!」
「お前もな・・・」
2歳年下の従弟ステファンとはとても気が合って、お互いに復職と再興を誓い合い、その後もずっといい友人として関係が続いた。
20歳になって、伯父が貴族に暗殺され、ステファンと仇敵ヤノーシュの元に身を寄せることになった。
今すぐにでも殺してやりたい仇敵。何度毒を盛ろうか、寝首を掻こうか考えたか知れない。だが、私はそれをしなかった。
ヤノーシュはヤノーシュで何を考えていたのか定かではなかったが、私とステファンを側近として起用し、ヤノーシュの息子ラースロー、マティアスと共に中央集権や政治の在り方、反大貴族・反ハプスブルク政策などに積極的に携わらせた。
勇猛果敢な将軍、そして大変有能な政治家として名高いヤノーシュの下で学んだ帝王学や戦術、政治は、ヤノーシュの息子であるラースローやマティアスは勿論、私にとってもステファンにとっても大きな財産となった。
23歳を迎えた時、ヤノーシュが黒死病で死んだのを機に、公国領内に進攻し、国王に復位し、その翌年にはステファンもモルダヴィアの国王となった。同年兄ラースローが大貴族に処刑され、その翌年には中小貴族に推薦され弟のマティアスがハンガリー王位についた。
当時、国内では貴族どもの権力争いが過熱していた。
ヤノーシュに恭順し、父と兄を裏切った貴族を拷問し、虐殺し、徹底的に弾圧した。残虐、冷酷、非道。何と言われようと構わない。
反抗的な貴族、ハプスブルクの息のかかった者は見せしめに、残虐の限りを尽くして殺した。
何よりも、それを喜んだのは領民たちだった。
国内の安定を図る為、政治改革により中央集権化を進め、君主の権力を強化し、軍事改革も行った。経済侵略を企んでいたドイツ人も排斥して、国力も回復させた。
復讐の準備は整った。これからだ。これから私の、私だけの国を作る。
邪魔をする者は皆、死ねばいい。