ワタシを溺愛する公爵パパが選んだ結婚相手は、王家でも爵位でもなく『13歳までに生きる知恵を叩き込まれた男』でした
帝国屈指の大富豪であり、一代で莫大な富と爵位を築き上げたロスフェルド公爵。
政財界の誰もが恐れおののくその怪物が、唯一、目に入れても痛くないほど溺愛しているのが、ひとり娘のわたくし、レベッカである。
社交界では、わたくしの十八歳の誕生日に向けて、連日とんでもない噂が飛び交っていた。
「第二王子殿下との婚姻か」
「いや、筆頭侯爵家の跡取りこそ相応しい」
「持参金狙いの没落貴族どもが列をなしているそうだ」
だが、当の父上が誕生日の夜、私室にわたくしを呼んで差し出してきた羊皮紙には、王家でも、どこぞの公爵家でもない、見知らぬ青年の名前が記されていた。
「アブラム・レビ。……商人街の一角で商会を営む、レビ家の方ですか?」
「そうだ」
父上は葉巻の煙を静かにくゆらせ、いつになく真剣な、しかしどこまでもわたくしを慈しむ瞳で頷いた。
「レベッカ。王侯貴族の馬鹿息子どもは、私が死ねばお前の遺産を食いつぶし、愛人を囲って我が家を破滅させるだろう。あいつらが誇っているのは『過去の栄光の肩書き』だけだ。だが、このアブラムの家は違う。父祖から受け継がれた厳しい家庭教育を通じて、十三歳を迎えるまでに、大人として自立するための生きる知恵を授ける家系なのだ」
父上は、かつて大陸を股にかけた大交易の折、レビ家の先代たちと深く関わり、その堅実な生き方に瞠目したのだという。
レビ家の教えでは、十三歳(女子は十二歳)で成人式を迎え、宗教的にも社会的にも「自分の行動に責任を持つ大人」として独り立ちする。その年齢に達するまでの間に、親は子へ三つの絶対的な生きる力を授けるのだと、父上は語った。
「第一に、徹底した対話と議論による思考力だ。幼い頃から聖典を学び、ただ丸暗記するのではなく『なぜそう思うのか?』を親や大人と対等に議論し尽くす。だから彼らは、どんな甘言や詭弁にも騙されず、自らの言葉と思考で道を切り開く」
「第二に、生きていくための実践的な金銭感覚だ。『金や土地は奪われても、頭の中の知恵は奪われない』という教訓を重んじるレビ家では、幼少期から金銭を『消費』『貯蓄』『投資』、そして社会への『寄付』の四つに分けて管理する術を教え込む。金に振り回されず、正しく使いこなす術を幼い頃から身につけさせるのだ」
「そして第三に、家庭の食卓での対話によって育まれる、他者と比較しない自己肯定感だ。『お前は何者か』を確立した人間は、どんな逆境でも簡単に折れはしない」
父上は立ち上がり、わたくしの肩に節くれだった大きな手を置いた。
「レベッカ。私はお前を愛している。だからこそ、国が乱れ、革命が起き、爵位や領地が灰燼に帰したとしても――知恵ひとつでお前を守り、共に笑って飯を食える男をお前の伴侶に選んだ」
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後日、父上の手引きで、わたくしはアブラム様とお見合いをすることになった。
豪奢な宝石で着飾る貴族たちとは違い、彼は仕立ての良い、だが実用的な黒い上着を身にまとっていた。澄んだ鳶色の瞳には、若さに似合わぬ深遠な知性が宿っている。
「初めまして、レベッカ様」
「ごきげんよう、アブラム様。……わたくしが持参金目当ての令嬢ではないかと、警戒なさいませんでしたか?」
社交界流の牽制を投げてみると、彼はふっと優しく目を細めて笑った。
「いいえ。閣下から、あなたが幼い頃から父上の事業の相談役として鍛えられてきたと伺いました。我が家では、対話によって互いを知ることを何より重んじます。レベッカ様、もしよろしければ、あなたの『なぜ?』を私に聞かせていただけませんか」
その日から、わたくしたちの奇妙で、けれど胸躍る交流が始まった。
彼はわたくしを「守られるべき無知な令嬢」として扱わなかった。
事業の投資案件、街の貧困問題、流通の仕組み――わたくしが意見を述べると、彼は決して否定せず、「なぜそう考えるのですか?」「その場合の弱点はどこにありますか?」と、真摯にハブルータ(対話)を重ねてくれた。
ある日、わたくしは気になっていたことを尋ねてみた。
「アブラム様のご家族は、皆様あなたのように商才に長けていらっしゃるのですか?」
すると彼は、少し苦笑いを浮かべて首を振った。
「まさか、そんなことはありませんよ。私の兄は数字が大の苦手で、小さなパン屋を営んでいますが、計算よりも粉をこねる方が性に合っていると言っています。私の従兄弟には、投資で大失敗して無一文になりかけた者もいます」
「まあ、そうなのですか?」
「ええ。我が家の教えはあくまで生きるための土台に過ぎません。それをどう活かし、どんな人生を選ぶかは、結局その人次第なのです。……私が商才や数字にこだわるのは、十五歳の頃、見通しの甘さから仕入れを失敗し、大切な資金を焦げ付かせた手痛い挫折があったからです。痛い目を見て、自分の足で市場を歩き回り、帳簿の裏を読み解く泥臭い経験を重ねて……ようやくここまで来ました。家の看板ではなく、私自身の失敗の積み重ねこそが、今の私の知恵なのです」
伝統の枠に甘んじず、失敗を糧に誠実に泥をかぶってきた彼自身の姿。
その飾らない言葉に、わたくしの胸はあたたかく打たれた。
毎週金曜日の安息日には家族と食卓を囲み、感謝を捧げ、得た利益の一部を迷わず孤児院や施療院へ寄付する。富を誇示するためではなく、社会の一員としての責任を果たすために。
(ああ……父上が仰っていたことは、本当だった)
血統や見せかけの優雅さなど、この人の持つ本物の「知性と気品」の前には砂上の楼閣に過ぎない。
わたくしは、急速にアブラム様へ惹かれていった。
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だが、面白くないのは社交界の有象無象たちである。
ある夜、王宮の夜会に父上とアブラム様を伴って出席した時のことだ。
わたくしに求婚を断られた第二王子が、取り巻きの高位貴族たちを引き連れて、嘲笑いながら歩み寄ってきた。
「やあやあ、ロスフェルド公爵令嬢! どんな眉目秀麗な貴公子を選ぶのかと思えば……なんだその男は? 爵位も領地も持たぬ、平民の商人風情ではないか! 公爵家の莫大な財産を、そんな卑しい血の輩に横取りされるとは、公爵も耄碌したものだな!」
取り巻きたちが下品にどっと笑う。
リリィ男爵令嬢が「まあ、平民の匂いが移りそうですわ」と扇で口元を覆った。
わたくしが怒りに身を震わせ、一歩前に出ようとした瞬間――。
スッ、とアブラム様がわたくしの前に立ち、優雅に礼を執った。
その立ち居振る舞いは、どんな高位貴族よりも洗練されていた。
「第二王子殿下とお見受けいたします。不躾ながら、ひとつ議論をお許しいただけますでしょうか」
「あ? 商人風情が、私と議論だと?」
アブラム様は穏やかな微笑みを崩さぬまま、静かに口を開いた。
「殿下は先ほど、私どもを『卑しい』『財産を横取りする』と仰いました。ではお尋ねいたしますが――殿下にとって、人の価値とは『先祖が残した土地と肩書き』にあるのですか? それとも『その人自身が持つ知恵と徳』にあるのですか?」
「なっ……貴族の血統こそが至高に決まっているだろうが!」
「なるほど。では、もし隣国との戦争や天災によって国が傾き、領地が奪われ、通貨が暴落した時、その『血統』は飢えた領民を一人でも救えますか? 失われた富を、自らの頭脳で再び生み出すことができますか?」
「ぐっ……そ、それは……!」
「我が家では、十三歳を迎えるまでに学びます。『土地や金は奪われても、知恵だけは誰も奪えない』と。私どもは、公爵家の富にぶら下がるつもりなど毛頭ございません。消費・貯蓄・投資を適切に回し、この国に新たな産業と雇用を生み出す準備をして参りました。……翻って殿下、殿下が今年、王家の予算から投じられた新規事業の利回りと、領民への還元率はどれほどでございましたか?」
「な、なにを……馬鹿なことを……!」
「お忘れですか? 王家が推進する王立鉱山事業について、貴族院から民間監査の諮問を受けた組合の筆頭監理員は、この私でございます。殿下の放漫な支出計画に疑義が生じたため、本日の登城にあわせて公的帳簿を精査して参りました」
アブラム様が懐からすっと取り出した一枚の羊皮紙には、第二王子が私利私欲のために大赤字を垂れ流している王立鉱山の収支報告書が、寸分の狂いもなくまとめられていた。
「なっ……な、ぜそれを……!?」
「不都合な数字から目を背ける方に、他者の価値を問う資格などございません」
「口を慎みたまえ、殿下」
背後から、ロスフェルド公爵――父上が氷のような声で威圧した。
「我が娘の伴侶は、国家予算の無駄遣いを見抜き、飢饉の年に備えて食糧の流通路を確保できる本物の知恵者だ。……身代を食いつぶすだけの放蕩息子に、我が娘の指一本触れさせんよ」
広間は静まり返り、第二王子は顔を真っ赤にして、取り巻きと共に逃げるように立ち去っていった。
周囲の重鎮貴族や大商人たちは、アブラム様の卓越した弁舌と、自らの足で掴み取った確かな実力に、惜しみない感嘆の拍手を送っていた。
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夜会の帰り道。揺れる馬車の中で、アブラム様は少し照れくさそうにわたくしを見た。
「でしゃばった真似をして、申し訳ありませんでした。レベッカ様を侮辱されたことが、どうしても許せなくて」
「いいえ……本当に、胸がすくようでしたわ」
わたくしは胸の前で手を組み、彼を見つめた。
「アブラム様。あなたと出会って、わたくしは知りました。本物の誇りとは、誰かから与えられる爵位ではなく、自分の頭で考え、誰かを支えるために使う知恵の中にあるのだと」
アブラム様は驚いたように目を見張り、それから、今までで一番あたたかい笑顔を浮かべて、わたくしの手をそっと包み込んだ。
「レベッカ様。私の家は、毎週の食卓を何より大切にします。もしよろしければ……私の生涯の食卓の向かい側に、あなたが座っていただけませんか。どんな疑問も、どんな困難も、あなたと対話しながら共に生きていきたい」
「はい……! 喜んで、アブラム様」
王冠も、領地もいらない。
奪われることのない最高の知恵と、互いを尊重し合えるあたたかな食卓があれば、わたくしたちはどんな荒波も笑って越えていける。
けれど――何よりも。
そのすべてを見通し、わたくしの未来を誰よりも深く案じて、この素晴らしい殿方を引き合わせてくれたのは誰だったのか。
向かいの席で、腕を組んだまま窓の外を見つめ、照れ隠しに必死で威厳を保とうとしている父上。
その節くれだった大きな手も、不器用で、厳しくて、けれど海よりも深い愛も、わたくしは痛いほど知っている。
わたくしはアブラム様の手をそっと放すと、満面の笑顔で向かいの席へ飛びつき、大好きな父上の腕にぎゅっと抱きついた。
「おとうさま、だーいすき♡」




