どうして婚約破棄と叫びながらそんなに震えているんですか?
「ギルベルト様ぁ、ここに居らっしゃったんですかぁ」
一人の女子が男子生徒に抱き着いた。ピンク色の髪にピンク色の瞳をした、あどけなさの残る顔立ちの少女。他の女子生徒と比べても小柄で、庇護欲をそそる見た目をした彼女は、ピュアリーナ・ルナール男爵令嬢だ。
周りの令嬢たちは顔をしかめた。抱き着かれた男子生徒・ギルベルトには婚約者がいる。それを分かっているはずなのに、ピュアリーナはベタベタしているのだ。
ギルベルトもギルベルトで、ピュアリーナを押しのけようともしない。それどころか振り返って笑顔になっていた。
「ピュアリーナか。俺も君を探していたところだよ」
とさえ言う。
「待ってくれ、ピュアリーナ」
彼女の後ろからは複数の男子生徒が付いてくる。学校中の男子生徒に節操なく愛想を振りまいているためか、ピュアリーナの周りにはいつも男子生徒が大勢居た。
まるで逆ハーレムでも狙っているかのようだ。
男子生徒からの人気は高い一方で、女子からは嫌われ、陰口を叩かれる存在だった。
この貴族やお金持ちしか通えない王立学園で、彼女の行いはとても淑女らしいとは言えなかったからだ。
「何をしているのですか」
鋭い一言がピュアリーナたちの談笑を中断させた。近づいてくるのはヴィクトリカ・シルヴェスタ公爵令嬢。ギルベルトの婚約者だった。
しかしヴィクトリカに睨まれても、ピュアリーナはギルベルトから離れようとしない。それどころか、更に身体を押し付けるようにしている。
ヴィクトリカは小さくため息を付いた。
「ピュアリーナ嬢。あなたは仮にも男爵令嬢。貴族なのですから婚約者のいる殿方に、そんな振舞いをしてはなりません」
ピシャリと言い放つ。周りの女子生徒たちも、うんうん頷いていた。
「えー、良いじゃないですかぁ。私はただぁ、皆さんと仲良くしたいだけなんですよぉ」
ピュアリーナは上目遣いでヴィクトリカを見る。目は潤んでいるが反省の色は全く感じられない。さっきピュアリーナは「皆さん」と言ったが、彼女が女子生徒と絡みに行くところは全く見たことが無かった。
「そんなことでは結婚出来ませんわよ」
「えー、出来ますぅ! 私は絶対に優しい殿方と結婚してぇ、愛し愛されながら生涯を添い遂げるのです!」
周りからは失笑が起こった。ヴィクトリカは頭を押さえている。もしかしたらピュアリーナの言動が痛すぎて頭痛がしたのかもしれない。
「ピュアリーナ嬢、あなたのお花畑みたいな妄想を垂れ流すのは大概にして。いい加減分別を付けて頂戴」
「も、妄想なんて、酷いですわ」
ピュアリーナは涙を溜めた顔をギルベルトの腕に埋めた。
「おい、言い過ぎだぞ。ヴィクトリカ」
そうピュアリーナを擁護したのはギルベルトだ。
「私は事実を述べたまでです。あなたも私の婚約者ならば、もっと自覚を持たれてはどうですか? あなたの一挙手一投足は学園中で注目されているのですよ」
ギルベルトは隣国ヴァイス王国の第二王子だ。王位継承権は持っていないが純然たる王族であり、しかも貴族の最高位である公爵の娘との婚約者とあらば、学園中で噂される存在なのは当たり前だった。
それなのにギルベルトは、ヴィクトリカよりピュアリーナを優先してばかりだ。
「ヴィクトリカ、お前は俺を束縛してばかりではないか。だから嫌なのだ」
平静を装っているが、ギルベルトの声は少し震えている。
「お分かりですか? あなたは私が居なければ、この学園に通うことも出来ないのですよ」
「だ、誰も通いたいなどと……!」
「それから……」
ヴィクトリカは再びピュアリーナに目線を移した。ピュアリーナは無邪気に微笑む。
「最近、生徒の失踪事件が幾つか起こっていることはご存知でしょう」
「知っている。だが失踪事件自体は昔から起こっているらしいじゃないか」
ギルベルトが答えた。
「最近の失踪事件は性質が違います。居なくなったのは女子ばかり。性質が変わったのは……いつ頃からだったかしら。」
ヴィクトリカはただ、じっとピュアリーナを見つめていた。
不意に彼女は目線を外した。その笑顔はぎこちないものに変わっている。
「ま、良いですわ。ギルベルト様、結婚式の日程は既に決まっておりますので、そのつもりで」
そう言ってヴィクトリカは踵を返し、去って行った。
この時、彼女の背中を見つめるギルベルトの目には、ある決意が宿っていた。
◆
翌日。それは突然起こった。
「ヴィクトリカ・シルヴェスタ。お前との婚約を破棄する!」
朝、教室に入るなりギルベルトは宣言した。彼の脇にはピュアリーナが控えている。まるでその位置が最初から彼女の居場所だと言わんばかりだ。
教室中、そして廊下からも注目が集まっている。
座っていたヴィクトリカは静かに立ち上がった。
「何を言い出すのかと思えば」
扇子で口を隠しながら、彼らに近づいて行く。
「理由をお聞かせ頂けますか?」
彼女の声はあくまで冷静だった。しかしそれがかえって威圧感を持たせている。
「お、お前が俺の婚約者として相応しくないからだ!」
ギルベルトが高らかに宣言するその言葉を、ヴィクトリカは鼻で笑った。
「公爵令嬢の私が相応しくない。それなら誰が相応しいというのですか」
ギルベルトは、待ってましたと言わんばかりにピュアリーナを引き寄せた。
「このピュアリーナ・ルナール男爵令嬢こそ、俺の真の婚約者に相応しい!」
ヴィクトリカは首を傾げざるを得なかった。王子の婚約者として、公爵令嬢より男爵令嬢の方が相応しいという理屈が全く分からなかったからだ。
「えっと、どうしてピュアリーナ嬢の方が相応しいと?」
ギルベルトと男爵令嬢は見つめ合った。どちらからともなく頷き合う。
「ピュアリーナはいつだって俺に優しくしてくれる。それに、可愛らしくて可憐だ」
ヴィクトリカは昨日と同じく頭を抱えたくなった。このバカ王子に、貴族のしきたりをどう説明すれば良いのか、必死に考えていた。
「ギルベルト様。貴族の……ましてや王族の婚約というのは当人同士の間だけで決めて良いものではなく……」
「そんなことは知っている! だが俺は婚約に同意した覚えはない!」
ギルベルトはひときわ大きな声で遮った。
「子供みたいな理屈を言わないで下さい。それに、その女の方があなたに相応しいというのは本当でしょうか」
「……どういう意味だ」
「昨日も言いましたが、生徒の失踪が何件か起こっています。他の方はピュアリーナ嬢が男に媚を売るしか能の無い女だと、甘く見ているようですが……私は彼女が犯人だと思っています」
ヴィクトリカは閉じた扇子でピュアリーナを指した。
「な、何故そんなことが分かるんだ」
「今の段階では女の『勘』としか言えません。けれど、ピュアリーナ嬢の身辺をくまなく調べれば証拠は出てくると思いますわ」
ヴィクトリカに指摘されると、ピュアリーナは俯いた。昨日と同じような反応だった。
「何も言い訳出来ないということは、やはり事件に絡んでいるのかしら。そんな人が王族の結婚相手に相応しいと思っているなんて、素晴らしい審美眼ですわ。ね、ギルベルト様」
周りから嘲笑が起こる。しかし王子の顔は恥ずかしさに赤くなったり、怒りを露にしたりする様子が無い。
逆に顔を真っ青にして、死人のような表情をしていた。目の下のクマは濃く、死相がはっきりと出ている。
「……じゃあ教えてやる。俺がお前と結婚したくない、一番の理由を」
「あら、何かしら」
ヴィクトリカは鋭い視線で王子を見下ろす。
「それは……」
そこまで言って、王子は口ごもった。遠目にも緊張しているのが分かるほど、彼は震えていた。
「頑張って、ギルベルト様!」
ピュアリーナの甘ったるい応援で意を決したのか、ギルベルトはカッと目を開いた。
「そ、それは、ヴィクトリカ。お前が俺を食べようとしているからだ!」
彼の人生の中で、最も大きな叫びだった。先ほどまでの嘲笑が一気に止む。教室は急速に静まり返った。
「まぁ、こんなところで閨のお話ですか? ギルベルト様ったらはしたないですわ」
「そうじゃない! お前は本当の意味で俺のことを食べようとしているだろう!」
にわかにヴィクトリカの表情が険しくなった。扇子を下ろし、静かにギルベルトを見つめるその口元からは、鋭い牙が覗いていた。
「どこでそれを?」
「図書館で調べれば幾らでも情報が出てくるさ……それに、俺がお前を、お前たちオークのことを信じるわけがないだろう!」
ギルベルトは震える指をヴィクトリカに突き付けた。彼女の肌は緑色だった。大樹のように腕も足も太く、筋肉は岩のようにゴツゴツしている。
そして、肉食獣を更に凶悪にした形相でギルベルトを見つめている。その見た目は大型のモンスター、オークそのものだった。
ヴィクトリカだけではない。彼女以外の女子生徒も、全員オークだった。唯一、ピュアリーナを除いては。
◆
ここはオークの国、ガウラ。オークたちにはある特徴がある。その一つはメスのオークしかいないということだった。連中は他種族を襲い、オスを奪って生殖の道具にする。
また、人間を奴隷にすることで、彼らの文明や技術を取り入れ、発展させてきた歴史がある。そのため貴族制度も学園の仕組みも、人間と同じものを採用していた。
しかし幾ら模倣していても、オークの行動原理は人間とは全く異なる。
彼女たちは人を生殖の道具か奴隷、もしくは「エサ」としてしか認識していない。
オークの貴族にとっては人間と結婚することがステータスなのだが、そこにはある「しきたり」がある。
子供が必要人数生まれたら、その男を殺して食べてしまうのだ。
勿論、ギルベルトもこの国に拉致された男性の一人だ。彼は王子として、近隣諸国への外遊の途中を襲撃され、このガウルに連れてこられた。そして気が付けばヴィクトリカと婚約させられていたのだ。
彼にとっては地獄の日々だった。
少しでも逆らうとムチで打たれ、首を絞められる。連中は人の骨を折ることさえ何とも思っていない。力の差は歴然だった。
ギルベルトを始め、貴族令嬢と婚約した男たちは学園に入学させられる。そしてどのオスが一番優れているか、そういったマウントの道具にさせられていたのだ。
◆
「はぁ、これだから人間は。きっと頭お花畑の汚らわしいメスに毒されたのね」
ヴィクトリカはゆるゆると首を振った。
「毒されてなどいない。むしろ俺は彼女がいたから人間の尊厳を失わずにいられたのだ!」
「そうです! 私は愛する人と……ギルベルト様と生涯を添い遂げるのが夢なのですわ」
「その考え方がお花畑だと言っているの。夫は食べ物。添い遂げるなんて夢物語。お分かりかしら」
ヴィクトリカはピシャリと言い放った。
彼女の言葉とほぼ同時に、武装したオークの兵士たちが教室に雪崩れ込んできて、二人はあっという間に包囲されていた。
ギルベルトは自分の人生の終わりを悟り、ピュアリーナの手を握る。
昨日ギルベルトは、やろうとしていることをピュアリーナに話した。ヴィクトリカに婚約破棄を突きつけ、潔く死ぬつもりだと。
すると彼女は「じゃあ私も一緒に行きます!」と言う。
ギルベルトは「俺と一緒に死ぬことになるぞ」と彼女を説得しようとしたが、ピュアリーナは折れなかった。むしろ「それは幸せなことです」と何故か目を輝かせていた。ギルベルトは困惑したが、最後まで見捨てないでくれる彼女のことを、とても頼もしく思ったのも事実だった。
「もし生きて帰れたら、結婚しよう。そして、生涯を添い遂げるのだ」
そして二人は共に今日を迎えた。
ギルベルトは「終わりか」と思う。短い人生だった。
それでも愛する人と死ねるのなら、幸せな人生だったと言えなくも無いだろう。
ピュアリーナの手のぬくもりに意識を集中させた時だった。
その手が振りほどかれ、後ろに突き飛ばされた。
尻もちを付き、衝撃を感じた直後だった。
耳をつんざく轟音。
襲ってくる突風。
思わず目を閉じた。
何が起きた? 恐る恐る目を開け、前を見た瞬間、ギルベルトの目は驚きに開いていた。
襲い来るオークたちを、次々に殴り飛ばす者がいる。速さ、パワー、スキル、全てがオークを凌駕している。
しかし彼を更に驚かせたのは、戦闘を行っている人物が、ピュアリーナだということだった。
彼女の拳は、オークたちをまるで石ころのように簡単に吹き飛ばした。
教室の向こう側には無数の穴が開いており、オークたちはパニックに陥っている。
「あーあ、もうちょっと静かにしておきたったのにぃ」
両拳から、ポタポタと赤い血が滴っている。ピュアリーナはいつもの媚びるような表情で、ヴィクトリカを見つめた。
表情のあざとさと、やっていることのエグさのギャップが凄い。
ヴィクトリカは正気を失う程の恐怖に駆られた。しかし、蛇に睨まれたカエルのように動けない。
この時になって彼女はようやく気付いた。
自分は狩る側から、狩られる側に回ったのだと。
「ヴィクトリカ様は私が失踪事件に関わっておられると仰いましたね」
ピュアリーナはごきっ、ごきっ、と首を鳴らしながらオークの方へ進んでいく。
「こ、来ないで!」
ヴィクトリカは甲高い声で叫ぶ。
「大当たりですぅ。私が、男の子を食べようとしていた薄汚いオークどもをぉ、ぶっ殺して回ってたんです」
昨日ヴィクトリカは「最近は失踪事件の質が変わった」と言った。
その本当の意味は、以前失踪していたのは男子生徒、つまり人間だったということだ。それは、食欲を我慢できなくなったオークによって、人間が食われていたということに他ならない。
その行為をピュアリーナが止め、尚且つオークを殺していたのだ。
ピュアリーナが腰を落とした。
張りつめた空気がズシンと重い。
彼女の両目がが狂気を宿す
殺気は業火の如く渦巻き
気迫は圧倒する烈風だった。
「こうなったら仕方ないや。皆殺しにしちゃいますね♡」
ヴィクトリカが足を上げ、逃げようとした瞬間、ピュアリーナの拳に一閃されていた。
一撃の威力は凄まじく、オークがぶっ飛ばされた後には、向こう側から外の景色が見えていた。
◆
ピュアリーナは幼い頃、両親をオークに殺された過去を持つ。その後、オークに恨みを持つ者たちが集まった多国籍のレジスタンス組織で訓練を受けた。彼女には武の才能があったようで、みるみる頭角を現した。
強烈な復讐心に突き動かされていたピュアリーナは、オークの国への潜入任務に就く。内部の情報を組織に流しつつ、生存している人間を外部に逃がすのが役割だった。
ピュアリーナはわざと目立つためにぶりっ子を演じ、男子生徒たちを誘引した。自分の目の届く範囲に人間を集め、危険が迫れば排除するためだった。
そして彼女は自分がオークに見えるよう、偽装魔法を掛けていた。この魔法は魔物にのみ作用する。そのため男子生徒たちからは、ピュアリーナがしっかり人間に見えていた。
彼女が男子たちに「私が人間ってことは内緒にしてね」と言うと、彼らは犬のように従順に従った。そのため殆どのオーク達はピュアリーナの正体を知らなかったのだ。
しかし一人だけ、彼女が人間だと気付いた者が居た。
ヴィクトリカだ。
彼女はピュアリーナがレジスタンスの工作員であることを知っていたわけではないが、危険因子の一人だと感づいていた。
だからこそ、兵士が普段から常駐させられていて、この時を待っていましたとばかりに飛び出してきたのだ。
しかしヴィクトリカには一つの誤算があった。
ピュアリーナが、オークを小指でひねり潰せるほど強かったということだ。
ピュアリーナを始め、偽装魔法で各地に潜伏していた工作員たちは一斉に牙を剝いた。
彼らは多数のオークを葬り、混乱に陥らせた後、人質と共にガウラの国外へ脱出した。
それと入れ替わる形で、オーク討伐のための連合国軍がガウラに侵攻した。
オーク討伐に参加した国々は、長年オークに苦しめられた歴史を持つ。積年を晴らそうとする彼らの殺意は凄まじいものだった。
こうして瞬く間にガウラは攻め落とされ、滅ぼされたのだった。
◆
ピュアリーナはギルベルトの故郷、ヴァイス王国に招かれた。
彼女は王子を救い出した英雄として国賓級の待遇を受けた。しかしピュアリーナにとって、王国での体験はショックな出来事だった。
式典に参加してみれば、右を見ても、左を見ても、眉目麗しい令嬢ばかり。自分など足元にも及びそうにない。こんなに美しい子女が溢れている中で、ギルベルトが自分に振り向いてくれるわけが無いと思ったのだ。
あの時、王子は気分が盛り上がって私にプロポーズしてくれたけど、戦うこと以外能の無い私は、きっと選ばれない。そう思い、一人落胆した。
しかし、ギルベルトはピュアリーナへ正式に求婚した。彼女にとって想定外の出来事だった。
「本当に私なんかで良いんですか?」
求婚された日、ピュアリーナはいつもの上目遣いで聞いてみた。長年その仕草を続けた結果、それが彼女の「素」になっていたのだ。
「何を言っているんだ。生きて帰ったら結婚すると言っただろう。そして生涯を添い遂げるのだ」
あの時言った言葉を、ギルベルトは繰り返し、彼女を抱き締めた。じんわりとした温かさにピュアリーナは包まれる。
ギルベルトは他の令嬢には目もくれず、ずっとピュアリーナだけを見ていた。あの絶望的な状況で自分を支え、助けてくれた彼女を。
極限状態で培われた絆は、もう一生解けないだろう。嬉しさと感動で、ピュアリーナの目から涙が溢れた。オークの国で見せたウソ泣きではない、本当の涙が。
「俺と、結婚してくれるな?」
「はい!」
ピュアリーナの脳内では、未だかつてないほどピンク色の花々が咲き乱れているのだった。
おわり




