第九話
父が消えた場所には、何も残っていなかった。
ついさっきまで、そこにいたはずなのに。
私たちの前で笑って、話して、帰ろうと言った父がーー
まるで最初から存在しなかったみたいに、消えた。
「わぁー!パパ、魔法まで使えるの?すごーい!」
「......」
ミナトは、父が消えたのは魔法を使ったからだと思っていた。
まだ幼いから仕方がない。
でも私は、魔法なんかじゃないと分かっていた。
あの時、空気が変わった。
嫌な気配が、肌にまとわりついて離れなかった。
ここにいたら危ないーー
そう直感した私は、唇を強く噛み、涙を押し込める。
「......パパ、魔法で先に帰っちゃったのかもね。私たちも帰ろう」
ミナトは無邪気に笑って頷いた。
悪い夢であってほしかった。
けれど、つないだ手の温もりが、これが現実だと教えてくる。
家に戻るまでの記憶は、ほとんど残っていない。
気づけば、母が私たちを強く抱きしめていた。
「大丈夫だから」
そう自分に言い聞かせるように、
何度も、何度も、私たちの頭を撫で続けていた。
――――――
父が消えてから、三日後。
二人の女性が家を訪ねてきた。
「はじめまして。私はイリスと申します。こちらはノクティア。
国から歪みの調査に来ております。
道中で、レオニスさんが巻き込まれたのではないかという話を耳にしまして......」
「......どうぞ」
扉の前での会話が終わり、二人は家の中へ入ってきた。
私とミナトは、慌てて母の後ろから部屋の奥へ下がる。
こちらに気づいたイリスが、母に視線を向けた。
「銀色の髪......この子たちは?」
「私の子です」
それを聞くと、イリスは私たちに歩み寄り、やわらかく微笑んだ。
「こんにちは。私たちの髪おそろいね。お名前、聞いてもいいかしら?」
「こんにちは。私はセレナ。この子は弟のーー」
「ミナトだよ!」
食い気味に、ミナトが答える。
イリスは小さく笑った。
「よろしくね。お母さんと少し、お話があるの。
二人とも、このお姉さんと外で待っていてくれる?」
私たちは頷き、ノクティアと外へ出た。
「何の話をしにきたの?」
私が尋ねると、ノクティアは一瞬だけ視線を落とし、
「......いずれ分かる」
それだけ言って、それ以上は何も語らなかった。
代わりに、黙ってミナトの相手をし始める。
――――――
しばらくして、イリスが家から出てきた。
二人は「またね」とだけ言い残し、去っていった。
母は、いつも通りの様子だった。
けれど、目の下だけが、わずかに赤かった。
私は何も聞かなかった。というより聞けなかった。
――――――6年後
私が十五歳、ミナトが十一歳になった頃。
庭で母と洗濯物を干していると、遠くに見覚えのある姿が見えた。
こちらへ歩いてくるノクティアだ。
「......もう、そんな時期なのね」
母が小さく呟く。
「セレナ、ミナトを呼んできてくれる?」
「うん」
私は家の裏で薪割りをしているミナトを呼び、戻った。
家に入ると、母が自分の横の椅子を軽く叩く。
何か大事な話がある。
私とミナトは顔を見合わせ、頷いて座った。
「......今日は、二人に重要な話を伝えに来た」
ノクティアは静かに言った。
――――――
歪みの存在。
銀色の髪を持つ者には、歪みを静める力があること。
一六歳の成人を迎えると、ボーダーキーパーとして働く義務があること。
歪みは放置すれば広がり、生き物を魔物へ変えてしまう。
人を呑み込み消してしまうこともあるとか。
ーー父が消えたのも、歪みが原因だった。
「ただ、ボーダーキーパーには欠点がある」
ノクティアは続けた。
「歪みの気配は感じ取れるが、”視る”ことは出来ない」
「それじゃあ、どうやって静めるのよ」
思わず口を挟む。
「気配を感じ取る......あとは、勘」
ノクティアは悲し気に笑った。
「そんな......私、やりたくない」
本音だった。
怖かった。
「イリスが言っていた。
『私たちが静めなければ、誰がこの世界を歪みから守るの』と。
......正直、私だって怖い。だが、彼女のためにも、誇りを持ってやり遂げたい」
その言葉で、悟ってしまった。
イリスは、もういないのだと。
「僕はやるよ!」
ミナトが、、真っ直ぐに言った。
「父さんは、あの時、僕たちを守ってくれた。
でも歪みは、そんな父さんを一瞬で吞み込んだ。
......もう、あんなの見たくない」
その真剣な眼差しが、胸に刺さる。
弟に、もしものことがあったらーー
私は、耐えられない。
「ミナトがそう言うなら、私も頑張る」
私が必ず、ミナトを守る。
そう、心の奥で静かに誓った。




