第四話
――どれくらい、意識を失っていたのか。
遠くで、誰かの声がした気がした。
名前を呼ばれているような、そうでもないような。
重たいまぶたを、ゆっくりと持ち上げる。
最初に目に入ったのは、白い天井だった。
ひび割れた石の模様。
そこに差し込む、やわらかな光。
「......あ」
息を吸うと、ひんやりとした空気が肺に広がる。
ーー帰ってきたんだ。
身体を起こそうとすると、頭にわずかな痛みが走った。
同時に、視界の端で誰かが動く。
「......湊?」
聞き覚えのある声。
振り向いた先にいたのは、セレナだった。
安堵したように、そしてどこか泣きそうな顔で、こちらを見ている。
「あなた、森で突然倒れたの。
呼びかけても反応がなくて...」
そこで、セレナは言葉を切った。
「でも、同時に歪みが......消えたの」
その一言で、胸の奥が静かに鳴った。
「......消えた?」
「ええ。あれだけ”濃く”なっていたのに、
あなたが意識を失ったと同時に、嘘みたいに消滅したの」
セレナの視線が、まっすぐ俺に向けられる。
「まるで......
あなたが”向こう”に引き戻されたことで、
この世界とのズレが、解消されたみたいに」
言葉の意味を、すぐには理解できなかった。
でもーー
なぜか、納得している自分がいた。
「俺は......」
伝えることも出来た。
けれど、確信がなかった。
森で影を見たこと。
倒れる直前の、あの感覚。
現実世界で目を覚ました記憶も。
「......なんでもない」
そう言うと、セレナは少しだけ目を伏せた。
「ねえ、湊」
静かな声で、セレナが言う。
「一年前、私たちが”初めて”出会ったあの日より前のこと......
何か、引っかかることはない?」
「......いや、特には」
「...そう。とりあえず、今日はゆっくり休むといいわ」
そう言い残して、セレナは部屋を後にした。
一年前。
俺が十六歳だった頃より前の記憶。
あのとき、ここに来たのが初めてのはずなのに...。
「......そんな訳ないよな」
疑問は残ったが、俺はそれ以上考えるのをやめた。
考えたところで、答えは出ない。
それにーー今は、身体が重すぎる。
天井を見上げたまま、深く息を吐く。
石の匂い。冷たい空気。
やっぱり、ここは現実だと思わせる。
ぐう、と腹が鳴った。
「......そういえば、夢でも腹は減るんだよな」
俺は、ベッドから起き上がり、
脇に掛けてあった上着を手に取って、部屋を出た。
食堂へ向かう廊下。
遠くから聞こえてくる、城内を巡回する兵士たちの足音。
それに混じって、少し慌ただしい駆け足の音が近づいてくる。
「湊!」
呼び止められて振り返ると、
そこには息を切らしたカイルが立っていた。
「ああ。カイルか。どうして城に?」
冒険者の彼がここにいるのが意外で、そんなことを口にしていた。
「倒れたお前を運んできたの、俺だからな。
それより......身体はもう大丈夫なのか?」
「そうだったのか。
ありがとう、身体はこの通りだ」
そう言って、両手を広げてみせる。
「無理はするなよ」
俺は頷き、カイルと並んで食堂へ向かった。
「そういえば、歪みが消えたって聞いた」
「ああ、湊が倒れた、その瞬間にな......」
カイルは、どこか言い淀むような表情を浮かべたまま、口を閉じる。
「...なんだ?何かあるのか?」
食堂の入口は、もうすぐそこだった。
俺がそう尋ねると、カイルは足を止め、ゆっくりと口を開いた。
「......あの時な。
セレナは気づいてなかったかもしれないが、俺は確かに見たんだ」
「何を?」
カイルは一瞬、言葉を選ぶように黙り込んだ。
「湊の......
お前の身体の中に、影が入り込んでいくのを」




