第三話
気がつくと、見慣れた自分の部屋だった。
朝日が鏡に反射して眩しい。
俺は起き上がり、いつものように学校へ行く準備を始めた。
だが......なぜだかいつもとは違う、妙な感覚が残っていた。
確かに、何か夢を見たはずだ。
でも、その内容は思い出せない。
何もかもが霞んでいる。
「......なんだ、これ」
俺は初めてもやもやした気持ちを覚えたが、
それもすぐに薄れ、いつも通り身支度をし、家を出た。
――――
高校もいつもと同じ、変わりはない。
校門をくぐり、教室に入る。
クラスメイトの笑い声、椅子を引く音、黒板を叩くチョークの乾いた響き。
全部、知っている光景だ。
「おはよー、湊」
声をかけられて、反射的に手を上げる。
「ああ、おはよう」
返事は自然と出た。
ただ、なんで俺に挨拶なんだ?
こいつとは、今まで話したことすらないのに。
胸の奥が、わずかにざわつく。
何かを忘れている気がする。
でも、それが何なのかは分からない。
授業が始まっても、ノートは取れているし、先生の話も聞こえている。
集中できていないわけじゃない。
ただ、現実そのものが薄く感じる。
窓の外に目をやる。
校庭の木々が、風に揺れていた。
ーー揺れ方が、どこか変だ。
そう思った瞬間、頭の奥にひどい頭痛が走った。
「......っ」
思わず額を押さえる。
だが、次の瞬間には痛みは消えていた。
「気のせい、か......」
誰にも見られていないことを確認して、深く息を吐く。
そのときだった。
ノートの端に、見覚えのない文字が書かれていることに気づいた。
[Lunaria]
誰が書いた?
いつ書いた?
思いだそうとしても、そんな記憶はどこにもない。
それなのにーー
その言葉を見た瞬間、胸の奥が、ひどく締めつけられた。
「......なんだよ、これ」
知らないはずの言葉。
知らないはずの感情。
けれど、なぜか確信していた。
――これは、夢の続きだと。
理由は分からない。
ただ、その言葉が頭から離れなかった。
昼休み。
教室は騒がしく、いつも通りの時間が流れている。
机に突っ伏して目を閉じると、
まぶたの裏に、知らないはずの光景が浮かんだ。
石造りの床。
差し込む朝の光。
どこかで聞いた気がする、金属が触れ合う音。
「......っ」
慌てて目を開く。
心臓が、早鐘を打っていた。
夢だ。
そう思おうとした。
けれど、夢にしては妙に生々しい。
匂いも、温度も、感触もーー
現実と変わらないほど、はっきりしている。
「月島?」
担任の声で我に返る。
「ぼーっとしてるけど、大丈夫か?」
「あ、はい。大丈夫です」
咄嗟に答え、時計を見る。
もう六限目の終わり間近だった。
こんなに時間が経っているのも、
これが夢......だからなのか。
[Lunaria]か......。
「......知らないはずなのに」
小さく呟く。
この言葉も、この感情も、
俺の中にあるはずがない。
それなのに、どうしてこんなに胸の奥が疼くんだ。
まるでーー
どこかに”帰る場所”があるみたいに。
その瞬間、
耳鳴りとともに視界が一瞬だけ暗転した。
風の音がする。
教室にはないはずの、
どこか懐かしい、森を抜けるような冷たい風。
「......っ!」
机に手をつき、身体を支えようとした、その時。
水の中に沈むように、感覚が落ちていく。
息苦しさだけを残して、
俺の意識は、静かに途切れた。




